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星になった命へ

一週間前、仕事場で子猫を保護した。
小さな彼は、一週間後の今日、星になった。

子猫はお店に入りそうになっていて、周りがそのままにしていていいのか、誰かが止めるべきでないかと、とまどいの空気を帯びていた。
最初は侵入を防ぐつもりで抱き上げたが、さほど暴れなかったのと、混乱を避けるためバックヤードに戻り、一時的に保護した。

幸いその日は猫飼いの人がいて、その中でもよく面倒を見てくれた彼女に病院に連れて行ってもらった。
彼女はその日の朝に、側溝にいた子猫を見かけて気にかけていたそうだ。
うまくいけば、引き取って育てると言ってくれた。

その日は診察後一旦彼女の自宅に連れて帰れたのだが、その後急に体調が悪くなり、また病院へ。先生が一生懸命点滴や採血をして手を尽くしてくれたそうだ。

今日亡骸に向かい合い、病院に連れて行ってくれた彼女と旦那さん、病院の先生に会って、手を尽くしてくれた話を聞いて、なんて尊いことなんだろう、と思った。
尽くしてくれる人に出会えた子猫も、ただただ尊い存在だったんだなと思う。

抱き上げた時のあたたかさ、整った顔立ちや、明かりの眩しさに顔を隠した子猫の姿を思い出して、今までよく生きてくれた、と素直に思った。

この文章を書きながら、昔、仕事先に行く途中に、弱っていたのに助けられなかった子猫のことを思い出した。
すごく遠い記憶だったけど、その時は若くてペーペーだったから、仕事先を混乱させるのは怖くて助けることができなかった。
その現場に居合わせた人にハンカチを差し出す事で精一杯だった。

その時のことは、自分の中では後悔になっていたのだと思う。
今は年齢や年次が上がってたから、よかったなと思った。

保護した自分の行いは正しかったのか、自問自答はする。反対の意見もあるだろう。
そして一週間、子猫に向き合ってくれた彼女や旦那さんは、本当にしんどかっただろう。
わたしは共に過ごした時間なんて数時間でしかなかったけど、今、この時間、悼むことができている。

いない時にたくさん思い出されている人は、幸せな人だと普段からわたしは思っているが、それならば子猫は幸せ者だと思う。

生まれて、生きていて、
いろんなできごとに出会えて、
自分の意思で道を選べていることは
尊いことなんだと、今は素直に思う。

わたしは器が小さいから、
そのことを忘れていたのだ。残念ながら。

小さな彼は、きっともっと生きたかったと思う。
遺されたわたしは、その分まで、力強く生きたいと思っている。

そして、自分の器を大きくしてもらえるような
そういう出会いに出会いたいと思う。

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