見出し画像

自分の周りを「耕す」ために

休みの日、母が急に「ホームセンターに連れて行ってほしい」と言い出した。
どうしたのか聞くと、腐葉土と赤玉(庭の土に与える肥料)を買いに行きたいのだと言う。

行く支度をしながら、
「でも、どうしたって土は耕し直さないといけないのよね」
庭を眺めながら、母がぼそっと言った。
栄養を闇雲にあげ続けても、今植えている植物の根が浅いから、そのままではよくないのだという。

根本から変える過程を考えると、ちょっとしんどい気分になる。
でも、今あるものを鼓舞するような、耕すという作業がないと、今何をやっても先には続かない。
放ってきたから、今があるのだ。

その作業をやれば、今よりきっと状況は良くなるはずだ。
それは痛いほど分かる。でもやる人間は私なのか?とか、他にもやるべき人がいただろう、とか思ったり。
でも、自分が率先してやらないといけないのだろう。今、変化を求めているのは私なのだから。

母は気合いを入れている時間なのだ、と思った。
自分も、今の周りの状況を思い浮かべて、なんとなく同じような気持ちになった。

世界でも周りでも、土が耕されているような、価値観のひっくり返っているような勢いを感じる。
今、自分も正念場に立たされていると思う。

「えいや」っと動くだけ。それだけなのだ。
動こう。

だから、母の庭も手伝いたい!
仕事もやってこれも、というのにはめちゃめちゃ気合いが必要なので、力を頂戴、という心の叫びでした。

実はFacebookに書いた記事なのだけど、ずっと考えてたことをうまく言葉にできた気がするので、noteにも残しておきます。

見ていただき、ありがとうございます! もしサポートいただけたら、メディア運営やお勉強に役立てたいと思います。