『仮面ライダー剣 天使聖戦』紹介

CDジャケット

人生も、半世紀以上生きながらえていると

時として、数奇な縁に恵まれる。

FacebookというSNSを使い始めたことで、40年前からの悪友や

30年前の元カノと、消えていた縁が再び繋がったなんて話にも出くわした。

本作は、既に「お蔵入りが確定して」から、15年が過ぎていた作品だった。

15年前、僕の隣には愛妻さんがいて、部屋の中はカスタムフィギュアで溢れ

その中で、この作品の企画は生まれ、稼働し始めた。

「アクションフィギュアで作った加工画像と

テキストで作った物語」は、その後2000年代に一つの流行りを生んだが

ヒーローの活躍バトルをフィギュアで描く前段階で

どうしても「物語」は必要であり

そこでの「人間ドラマ」を、萌えフィギュアで展開させるなど

思いつくわけもなかったあの頃。

僕は「人間ドラマ部分は、人間で撮ろう」と「普通に」考えたので

まずは、出演してくれる、役者集めから始めることになった。

私事で申し訳ないが、この作品がお蔵入りしていた理由は

そこで精力的に、熱意を抱いて尽力して

出演者を集めたり、ロケで頑張っていた奥さんが

ロケの後の夏、この作品のクライマックスの

フィギュアによる戦闘シーンを作成中に

突如、帰らぬ人になってしまったため

状況は、人形ごっこどころではなくなり

それこそ、出演してくださった方や、協力者の連絡先も振り払って

大騒動の果てに、全てを捨てて、今の生活で再スタートしたからである。

「はじめてはみたものの、途中でお蔵入り」

こんな話は映画や出版の世界では日常茶飯事。

ましてや、自主映画等の世界では、完成する事例の方が少ない。

かくいう僕も

シミルボンの「『機動戦士ガンダム』(1979年)を読む!」や

ブログ時代からの『光に国から愛をこめて』等

数年越しで放置のままの作品も少なくない。

だから、この『仮面ライダー剣 天使聖戦』も

メインプロデューサーの片割れが帰らぬ人となり

登場させるフィギュアも全て捨てたとなれば

お蔵入りが当たり前であった。

むしろ「未完成のまま、静かに眠らせてあげることが供養」

ぐらいの気持ちでいた。

始まりは、夫婦そろって仮面ライダーの

フィギュアのカスタムに入れ込んでいたのと

当時エレメンツが出たばかりの

フォトショップを使った、画像加工遊びに没頭していた事。

2005年当時期の本家の仮面ライダーは、デザインも話も登場人物も

何一つ、僕が求める路線ではなかった。

そこへ、輪を掛けたかのように「脚本迷走」「キャラ崩壊」の

『仮面ライダー剣』の放映開始。

世間やネットは、これをとことんネタにして楽しんでいた。

しかし、僕はフッと、逆転の発想を思いついた。

平成仮面ライダーシリーズは、2000年の『仮面ライダークウガ』から始まり

続く『仮面ライダーアギト』ぐらいまでは、まだヒーローが

「仮面ライダーに見えるデザイン」だったが

『仮面ライダー龍騎』の面子や『仮面ライダー555』などはもう

石森タッチの面影さえなくなっていた。

石森テイストを感じられないデザインのヒーローが

面白いと感じられないドラマを、魅力的と思えない人物像で描く作品を

当然僕は、面白いとは思えず、むしろ視聴の興味すらなくスルーしていたが

こと『仮面ライダー剣』に関しては

トンデモなのはシリーズ構成と、各話脚本演出と

役者の芝居のクオリティと、敵怪人(アンデッド)と

ライダーの因果関係性だけで(つまりほぼ全滅)

こと、特に主役の二人の仮面ライダーの

デザイン「だけ」に絞ってフォーカスすると

意外とコレが、石森テイストとしては、正統派に見えるフォルムや

ライダーらしいデザインをしていることに気づかされた。

イラスト壁紙

(放映当時の、石ノ森プロによるイメージイラスト)

なれば。

仮にここで、「ごっこ」をしてみよう。

仮に、クリエイターである僕に、この二人の仮面ライダーの

デザインとカードギミックだけ、手渡されて

世界観から設定から、テーマのあるドラマまでの

全てを創り出せと言われたとしたら……?

もちろん、玩具も売れなければいけないので、カードギミックも推し出すし

フォームチェンジも、最大の見せどころにならなければならない。

幸い、テレビ版『仮面ライダー剣』は

「観ていたような。観続けてはいなかったような」状態だったので

一切、テレビ版の影響を受けずに、全てをゼロから構築することにした。

「石森ヒーローの、青と赤のコンビ」といえば

僕の世代では、ドンピシャで

『宇宙鉄人キョーダイン』(1976年)が思い浮かばされる。

キョーダイン 画像

「二人の兄と、守られる幼い弟」の構図も

葉山健治、葉山譲治というネーミングも

キョーダインへのリスペクトとして、入れさせてもらった。

同じく、石森要素としては、中盤で、凌がつぶやく

「『ピノキオ』が幸せになれたか」への疑問は

漫画版『人造人間キカイダー』(これもまた、青と赤のヒーロー)

から引用した。

クライマックス前の「われら 羊 むれ つどう」は

石森作品の金字塔『サイボーグ009』から構図も引用した。

サイボーグ009 われら 羊 群れ つどう
画像4

そう、今回の作劇は(2005年当時は)『クウガ』で

やり尽くされたと思われていた

「石森章太郎リスペクト」の直球であり

また、当時並行する形で人気を得ていた

漫画『仮面ライダーSPIRITS』を先どるような形であったが

「未完に終わった『サイボーグ009』『天使編』を

仮面ライダーでやってみる」という

いかにも、マニア臭い次元ではあるが

その志は間違っていなかったと今でも思っている。

「まさか、未完で終った『天使編』を受け継ごうとすると

自分も未完になるとは」

みたいなことを、「あの夏」からずっと自虐的ギャグにしてきたわけだが

もう、そんなメタネタはいらない。

だって、こうして「完成した」のだから。

2020年における、製作復活から

完成までの足取りは早かった。

上でも書いたが、人物写真は全てクランクアップしていたので

後はフィギュアの写真だけだったからだ。

当時のカスタムフィギュアは、もはや手元には一つも残っていないが

15年という年月は、ある意味素敵な技術の進歩を生み

仮面ライダーの正式スポンサーでもあるバンダイから

S.H.Figuarts(フィギュアーツ)というブランドで

ウルトラマンや仮面ライダー等の、アクションフィギュアが発売され

その、出来の良さや完成度ゆえに

放映が終った作品のヒーローや悪役も含めて

数々のキャラが商品化されていた。

本編で登場する「天使怪人」は

実は『仮面ライダー555』の怪人・オルフェノクという種族なのだが

『555』は、怪人人気の高かった作品だけに

クライマックスの「大天使」こと

ホースオルフェノクをはじめ

数々のオルフェノクがフィギュアーツから商品化されており

もちろん、ブレイドの側も、二人のライダーの

通常フォームとジャックフォームも商品化されていた。

元々、撮影に用いてた、僕と妻の作った

ブレイドとギャレンの出来がよかったからか

今回、未撮影のまま終わっていたクライマックスの戦闘シーンに

代わりに出演登場させても、違和感が少なく済んでホッとしている。

決意が出来て、制作復活にとりかかってからは早かった。

フィギュアを集めだしてから、全ての画像を作り終わるまで

一か月もかかっていない。

「それ」はむしろ「あの時、あと一か月あれば」にも繋がるが

それは、女々しいのでやめよう。

天使聖戦 絵コンテ

楽しかった。

素敵な時代だった。

皆で集まり打ち合わせをし

事前に僕が、拙い画力で絵コンテを切って

ロケ当日は、一日の内ですべてのロケ地を回り

あちらからこちらへと、ロケバスを走らせ

メイクをして、ポーズを付けて写真を撮影する。

あの時の、奥さんの、楽しそうな全力の笑顔が今でも目に浮かぶ。

画像6

けれどね。

それから15年。

僕は、もっと深い絆と、縁と、販売されているアイテムの力を借りて

この作品を「閉じ込められている蔵の中」から

「陽の当たる場所」へと出すことは出来た。

もちろん、作品内にあるように、『仮面ライダー剣』は

石森プロと東映とテレビ朝日の著作物であるから

この作品も、対価をとって頒布することなど論外で

大掛かりな無料頒布も今回は行わない。

画像7

しかし、この作品には、「ダディ」も「ムッコロ」も出てこないし

「オンドゥルラギッタンディスカー」等という名台詞も出てこない。

敵はアンデッドではないし、いわゆる「そういう意味」では

この作品は「二次創作」ではない。「一次創作」である。

単純に、僕自身がゼロから「カッコいいヒーローと

怪人のアクションフィギュア」を

作る才能がなかったが故の

「ブレイドとギャレンの形を借りて」であったのだ。

だから、大きな顔はすまい。

しかし、2020年現在、この『仮面ライダー剣 天使聖戦』を凌ぐ

実際の放映作品の『仮面ライダー』は、やまほど出てきてくれていて

それは嬉しい限りなのだが

それは2005年当時の、僕の中の「逡巡」が

決して間違っていなかったことを

ブレイドとギャレンを依り代にして、作り上げたこの作品が

証明してくれているのだろう。

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本作品にはいくつかのテーマがあり、それはもちろん

「天使とはなんぞや」「死して神と呼ばれたもう存在」等いくつもあるが

物語随所に散りばめてあるように

本当のテーマは、左右の思想や神学論ではなく

「お家に帰ろう」であることを、明確にしておきたい。

メイン主題歌は、奥さんが愛し続けた

L'Arc-en-Cielの『Fate』

エンディング主題歌は、僕が愛し続けた

ARBの『人として』を選ぶことで

「僕とあの人の作品」であることを刻み込めた。

二つの曲は、作品のメインテーマに直結している。

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つらつら書いてきたが、本作品が、僕自身の人生にとって

大きな転機であり句読点だったことは、ご理解いただけたと思う。

コンテどおりの撮影にいかなかったことや

フィギュアのポージングの限界や、出演者の演技力の限界等

言い訳要素はいろいろあるが

クライマックスの戦闘シーンの「雰囲気の違和感」さも含めて

全て僕自身の精一杯であったことを認めよう。

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今はただ、このソフトの制作に立ち会って頂けた人達全て

今、このソフトを手にしてくださっている人達全て

皆さんへ向けて、最大限の感謝の意を表しつつ……。

そう遠くない未来、自分も家族や奥さんの元に召されるだろうと

ネガティブ思考ではなく、現実論の話で年齢を考えた時に

このタイミングでの、この作品の完成は

そうそう、この後も続く「人生のロスタイム」を

孤独に陥らされずに済むという自信を手に入れた。

画像11

今はただ、この言葉だけをいつまでも。

「かならずまた、お目にかかろう」

令和2年10月21日

市川大賀(大河)

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