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"愉快なオトナたちのリアル講義"〜COGA Part1〜完全版✙

高校生によるオトナたちへのインタビュー第14講
見た目はほぼほぼジョニー・ロットン!野望に向かってカッコいいを追求する”ミュージシャン”COGAによるリアル講義
前回に続けてタイで活動するバンド THE GREEDのボーカルCOGAさんの思考を聴き解く今回のインタビューは〜COGA Part1〜。Part1はタイに行くまでの波瀾万丈な物語。そんなプロフェッショナルの思考法をここに書き留める。









1,偶然と必然


1,偶然と必然


遡ると、父親がビートルズとか好きでよくそういう音楽が車で流れたんで、そういうんで音楽の影響は受けてましたね。レコードもいっぱい家にありましたし。


ずっと人気になりたい有名になりたいって思ってたんすけど、有名になりたいって思ったキッカケは小学5年生の時、当時人気だった光GENJIがキャーキャー言われてて、あーなんか人気者っていいなって。元々時代的にもアイドルをテレビで観るのが好きで、そっからですね、本気で有名になりたいなって思ったのは。

小6でブルーハーツとか聴いてて、中学生になってBOØWYの氷室京介さんに憧れて。氷室京介さんの影響でロックバンドで有名になりたいと思い始めた頃に、XとかBUCK-TICKとか聴き始めて、バンドブームど真ん中だったんで。

ちょっと、でも。。必然だったのか偶然だったのか、中学に入学した時に先輩たちでコピーバンドが流行ってた学校で、2,3年生がライブやってるのを観に行ってて俺らもやりたいなってなったんすよ。
たまたまそういった環境で、必然だったのかなってのはありますね。

Xがデビューしてジュンスカ・バクチクみんな聴いてて、それが中学1年の後半あたりで。俺だけちょっと変わってたというか深掘りしていくようになって、CD屋行ったら好きなバンドのCD周辺にある音楽も聴くようになってくんです。インディーズの人気なバンドまで。でもそんなの俺くらいしかいなくて。

いわゆるビジュアル系も深掘りしてて、ジャケ買いしてて。自分の中では衝撃受けないようなのももちろんあるんすけど、そんな中学生活ですね。

偶然を必然として掴み取れ




2,影響:SEX PISTOLS


2,影響:SEX PISTOLS


今やってるバンドのグリードはパンクロックバンドで、1番影響を受けてきたのはセックス・ピストルズなんですね、ファッションもカルチャーも含めて。


ストーリーだったりメンバー以外の人物のバックボーンからも、実際ものすごい影響を受けてて。自分がビジュアル系に憧れてた時に、父親がロック聴くならコレ観なきゃダメだよ、ってピストルズの映画を渡してきて。

自分とかって、中学入ってヤンキーブームの最後の方で、不良学生服に金髪でみたいな。小3,4年生頃にはそういうのに憧れてて、なりたいってのがありましたね。

それも小学2年の時ビーバップハイスクールって映画があって、親が借りてきてきたのを観てたり、2つ上の兄貴が持ってたビーバップの漫画も読んだり。
ロックバンド以前にツッパリになりたいって、ツッパってるヤツがカッコいいよねってあったんですよ。

全盛期では全くないんすけど、その流れで学年でも、不良グループみたいな暴走族の恰好が一番カッコいいってのが出来上がってましたね。

で、不良の学生服とか特攻服とか、カッコいいって思ってたけどピストルズを観たときに、カッコいい不良ってこういうカタチもあるんだって。すぐにそれにかぶれてってのはありましたね。
バンドTシャツ着るのも流行ってて、ヤンキーだけどロック好きって学校でもあって。

それが今も1番基盤になってんのかも知んないっす。そっからオリジナルバンドでCD出してとか、ヒップホップだったりいろんな音楽に出会ってってとかあるけど。グリードをやってても改めてそれが根本にあるなって感じますね。

あなたの根元にあるものは、なんですか?




3,Junior High School


3,Junior High School


最初のバンドは兄貴の同級生のギターとベース、自分の幼馴染のドラムって感じでしたね。ドラムの幼馴染とは日本で最後のバンドを解散するまでずっと一緒にいて。
コピーバンドだったんすけど、毎週のようにスタジオ入って中2の夏に渋谷のちっちゃなとこ借りてライブしたんす。それはなぜだか1バンドでワンマンライブでやって。



好きなバンドがでっかいとこでワンマンライブしてるビデオ観てっていうのもあってか、コンサートにかぶれたんすかね。中学の時は2回同じとこでライブやって、もう1回は学祭で教室乗っ取って鍵閉めて、先生入れないようにしてってのもありました。
そういうのも、漫画でも描けないんじゃないかってくらい学校全体がヤンチャだったんで。

で、ヤンチャの方が自由で楽しいんすよ。世田谷のヤンチャで有名な学校のやつと出会っていって、仲間が20人30人40人と増えてって。そしたら、毎日が楽しくて楽しくて仕方なくて。家も帰んないし、みたいな。

ヤンチャのがだんだん楽しくなってバンドの方は疎かになって、でも音楽もロックもずっと聴いてて。始めて好きな音楽と出会ってからは、1回もそれを聴かなくなったときはないっていう。どういう環境になっても音楽は離れなかったんすね。

自分はなにが好きだったのか。




4,Roadie


4,Roadie


中学校ヤンキー連合みたいなののまんま渋谷の街にチーマーって奴らが繰り出してて、暴走族だったセンパイから、オマエら渋谷出てチーム組んで渋谷制圧しろってお達しがあって。でもそれものちに繋がってくんすよ。色々繋がってくんで、ほんと人生で無駄な時期なんて何一つないって思いますね。


そんで中学卒業して渋谷出るんすけど、それまで、公園丘コンビニの前でたむろってたのがですよ、渋谷って街は今では考えられないくらいもっと全然ギラギラしてて。世界が一気に広くなって。

ある日、そんなこんなで幼馴染のドラムのヤツと、やっぱりバンドやりたいからなんて言って、当時いっぱいバンド雑誌はあったからバンドメンバー募集のとこに応募しまくったんです。

どんな音楽がやりたい、こんな感じのスタイルでってことを全部に送って。で、ある日返事があって。

中学の時にコピーしてた大好きなバンドの、機材運びとかメンバの面倒をみる、いわゆるローディーやってる人間からの返事で。
さすがに、返事が100%くるだろうって自信もなかったんで、えっ!?って。とりあえず会ってみようぜって。

それで一緒にバンドやろうってバンド業界に足を踏み入れるんです。そしてそれって、雑誌で見てた人たちとも実際に対面するわけですよ。

その人たちもっていうかロックの人たちなんてヤンチャな人ばっかりで、ローディーとして自分はバンドツアーに連れてってもらって。16歳ですよ。16歳で1ヶ月は地元にも帰らず全国ツアーについて回って。

ローディーやってたバンドは京都ので、体育会系なスッゲー厳しい感じはやっぱりあったんすけど、ライブハウスに女の子たちが地方地方で待ってて。俺もいつかキャーキャー言われてぇってなって。
ステージ袖でライブのケアするだけだけど、ステージ上がってるの見てカッケェな。俺たちもこんなふうになりてぇな。

いわゆる関係者みたいなカタチで武道館のライブにもつれってもらったりして、刺激のあるライブをバックステージで観るわけですよ。中学の頃観てたすごい人たちともお話しまではなくとも生で観て、ある意味運も含めて恵まれてたんですよね。

とはいえ、16歳だから地元に帰ってきたらヤンチャもしたいわけですよ。そっちのが楽しくなっちゃって、ちょっとローディーもめんどくさいなってまだガキだったんで。ある日、ドラムとなにを思ったか大事なライブをバックれちゃって。
今思えば後悔なんすけど、のちにバックれたけれども、そこの業界の人たちと連絡とったり顔合わせたりってのはあったんで。どっか捨て切れなさもあって。

バンドやって有名になるって夢は諦めて、このままヤンチャして遊んでいこうってのはなかったんですよ。どっか心の中では、オリジナルバンドでタイミング見てやろうって。

20歳過ぎまで後輩とヤンチャしてたある日、コンビニ前で改造車停めてたまってたら。やっぱり楽しいんすよ。楽しいんすけど、楽しそうにしてる風景パッて見たときに、

あー。たぶんこのままここでこうしてたらBOØWYとかに憧れてたあのステージには立てないな。今ここでやんないと絶対ムリだよな。

って、なんか知らないけどふと立ち止まってみて。もう1回自分で曲作り始めてバンドメンバーも集めて、オリジナルバンド結成してからは音楽活動をストップしたことはないですね。それが今に1番繋がってくオリジナルバンドっす。

その時期に最も影響を受けていたのが、The Mad Capsule Marketsで、ハイスタ、Nofx、Penny Wise、Rancidってメロコア、パンクを聴きまくってて。
特にThe Mad Capsule Marketsの全てのアルバムは、自分の音楽人生において未だに最重要アーティストとして位置づけされていて。The Greedの楽曲にも自然と影響されてると思います。

今ここで、やんないとむりだ。




5,Hip-Hop


5,Hip-Hop


渋谷でチーマーやってた時に、センパイがアメリカ行って帰ってきて。アディダスの上下ジャージにバスケスニーカー履いて、バンダナ後ろポケットに下げてドゥーラグをつけてアメカジで登場したんすよ。


センパイそのカッコなんすか。
これからはギャングだから。って、ギャング知りたいならこの映画観ろってカラーズってLAギャング映画を教えてもらって。
ヒップホップが流れてきて、中学1年の時に衝撃を受けたピストルズとおんなじ衝撃が今度、ウェストコーストの黒人ギャングを見て受けて。こういうカッコいいオシャレな違う不良もいるんだって、影響も受けてましたね。

ファッションを使いこなせ




6,オリジナルバンド


6,オリジナルバンド


ローディーもバックれちゃったんですけど、自分は人懐っこいタイプというか。1バンドだけのローディーだけじゃなくて、レーベルの10バンドくらいのボスがいて。
そのボスが兄弟分関係みたいな仲良かった人がXのYOSHIKIさんで、Xはエクスタシーレコードのトップで関東の方で。関西はフリーウィルってレーベルで頂点が当時大阪出身のカラーってバンドで。東のX、西のCOLOR。



自分らは関西系の人たちのレーベルに1番下っ端で入ってて、バックれちゃったバンド以外でも連絡とれるバンドっているじゃないですか。それで、ライブ観に行ってもいいっすかって観に行って関係は繋ぎ止めてたんです。ボスにも可愛がられてたから、めちゃくちゃ。

オリジナルバンドも始めて、ライブハウスはどこ頼ればいいってわかんないからその人たちを頼るんですよ。ライブあったら出させてくださいって。

今うちのグリードでベースしてるisaoはそのオリジナルバンドでメンバー募集した時の最初のベースで。今となっては、またバンコクで一緒にバンドやってるって、この話してても変な巡り合わせだなって思いますね。地元もタイにきたタイミングもほとんで一緒で、何が起こるかなんてわかんないもんっすね。

謙虚に図々しく




7,コンセプト


7,コンセプト



いろんな音楽聴くので、普段から善くも悪くも。



ミクスチャーってロックとラップの融合とかパンクのメロディックなものとか、たくさん音楽でそういうのがちょうど出てきて。
オリジナルバンド始めて、ファンもいないしお客さんも全然だし、固定客なんかもゼロだし。それでも出れそうなライブには全部出ながらもお金だってないし。

自主CDやデモテープっていろいろ出して、精力的に活動してて。

俺のコンセプトが、ヤンチャしてた頃は週末に街に出て楽しい金土日だったんで、敢えて楽しい週末に渋谷のスタジオに入るんすよ。でも渋谷のスタジオの目と鼻の先では、同い年の子たちがセンター街なんかで楽しんでるわけですよ。

その間に黙々と練習して、将来設計をするってのがコンセプトでしたね。
その方が音楽に向かって立ち向かっていけたんで。

ずっと続けてて、徐々に10人20人とバンドを好きになってくれる子が増えて、仲良くなってくバンドも増えてきて。自分たちのバンドとしてのコミュニティもできていくんすよ。ローディーしてた時の上の先輩たちのバンドもいろいろと消滅していって、中にはあの頃から今もトップ張り続けてる人もいるんすけど。
よくもテメェあん時バックれやがったななんて言ってくる人も居なくって、上の人たちも可愛がられるのもうまかったんで。

1年が過ぎ、2年が過ぎ。楽しくてまだ夢見てるわけですよ。
夢見てる人ってスポーツ選手でもそうだし、なんか根拠のない自信があるんすよ。俺は絶対やれる。俺ならできる。俺も例に漏れずそんな感じだったんすよ。

そんな中で現実的になってくヤツもいれば、何歳なってもやったる!ってヤツもいて。
それはどっちでもいいんすけど、憧れた人たちが東京ドーム5万人とかやってるから、やっぱり自分はそういうとこを見ていく。アンダーグラウンドで本当に自分たちの音楽をわかってくれるヤツが10人でもいればそれで良いって人もたくさんいて、それも美学でカッコいいんすけど、どっちかというとメジャーに憧れた人間なんで。はい。

そのコンセプトを折って、なりたい自分になれるのか




8,ラップ×パンク


8,ラップ×パンク


オリジナルバンドを何年かやってくうちにデモCDの2枚目を出し終わって、まだうだつが上がんない感じなんすよ。なんかキッカケが掴めない。


ぶっちゃけると、父親がテレビ業界の人間で。息子がこんな感じでもテレビのコネを使うってタイプでもなくて、俺も別にお願いするつもりもなかったんで。そういう意味では芸能界にも精通してて、普通の家族と違ってたんですね。そういうのもあって、自分はこうなってったってのもあるのかもしんないんすけど。

だからうだつも上がんなかったんすよ。そしたら、違う区のセンパイなんすけどラップしてるのを知って。
その頃日本語ラップが世に出てきてて、すごいロックと同じくらい聴いてたものだったんで、ラップやってみたいってのがあって。

ラッパーってどんなとこでラップ披露してんだろって思って、まだクラブとかもよく知らないし。
それで、ちょうど自分も今転換期で、もっとラップ取り入れてミクスチャーみたいなのやりたいんすよってそのセンパイに言ったら、じゃあCD聴かせてみろって。
まだまだだけどおもしれーじゃん、もうちょい変化したらすげーいいバンドになるかもしんないね。なんて言われて、手伝ってもらえるようになって。それが日本でやり切る最後のスタートでしたね。

新しい環境。新しい出会い。




9,バンド解散


9,バンド解散


ローディーやってたレーベルで手掛けられてたある女の子がいて、やることないから一緒にフューチャリングでやりたいってなって。度々うちのバンドの持ち曲やらせてて。センパイがツインボーカルでやったら面白いんじゃない、あんまいないよってなって、その女の子に歌わせるようになって自分がラップと歌をやるってことをするようになったんです。


それが本格的に始まって手伝ってもらうことによって正式にインディーズで全国デビューを果たすんですよ。ワンマンで全国ツアーしたりタワーレコードにCD置かれるようになったりって。テレビのタイアップも撮れるようになって、ラジオにも出るんすけど、そん時に自分の好奇心ってやつが有り余り過ぎちゃって。
ヒップホップもラップもロックもいろいろ好きだしって、全部を詰め込むようなバンドになっちゃってたんですよ。

最初はロックが基盤にあってなんとなくヒップホップにレゲエ、ダンスミュージックの要素を足していく感じだったのが、だんだん自分の中で逆転して。
ラップ色が主体でロックの色もあってみたいな、良くも悪くも世の中で流行ってた音楽を追っかけようとしてた。

最初のコンセプトのまんまやっときゃよかたのかなってのもありますけど、それは後のハナシで。

最後に出したアルバムもそんな感じで、バンドとしてもどこに向かってんだろうなって解散して。
でも実はそのライブやってた頃にタイには何度か来てたことがあったんですよ。

タイが始まる!




10,シーン:THAILAND


10,シーン:THAILAND


タイの音楽シーンを見てまわっておもしろいなって。ある時無謀にも自分たちのCD持って、タイで1番有名なレコード会社にアポもなしに入ってって、日本で音楽やってるんすけど話せる人いないすか?って。拙い英語で。


そしたらタイのアーティストとコラボしない?って、ああぜひぜひみたいな。
日本にその話持ち帰って、でもそん時まだ「えー、タイ??」ってピンとこない感じで。

結局事務所の関係で却下されちゃったのね。全然誰も理解なくて。今でこそわかってくれる人はいるけど。グリードとしてももっと魅力とかも含めて、発信していきたいってのはありますね。

アンテナを信じる




11,Leave Japan for Thailand


11,Leave Japan for Thailand


バンド活動始めた頃から今日の今まで、ずっとひとつのことをやり続けてバンドやってきた人たちと比べちゃうと烏滸がましいんですけど。ロックから始めた最後のバンドは、解散前はラップしかしてない感じで本格的にラッパーとしてやって行きたいって思ってたんですよ。


クラブで出会ったラッパー仲間たちにもレコーディング手伝ってもらって、タイで有名なタイタニアムってグループと自分出会うんすよ。そういうタイで知らない人がいないレベルの有名人と友達になって、東京にある日遊びに来てくれて。

いや俺もうなんか、日本にいるのつまんなくなっちゃってタイに行こうと思ってんだよね。
って、そしたら、いいじゃん来なよって。そのノリでタイに来ましたね。そこからタイ生活の幕開けです。

次回、Part2  タイ編スタート!!







こんな人生ある!?ってのに出会えていけるから、オトナと会話するのが楽しい。

次回のタイ編も破茶滅茶で大波乱!フォローいいねして待っていてください。
乞うご期待!!

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