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元名人・囲碁のプロ棋士・武宮正樹先生は全てに宇宙流でゴルフや社交ダンスもプロ級で、30年以上のお付き合いです。

武宮先生に初めてお会いしたのは、1990年頃だと思います。

銀座で仲の良いEママのお店で飲んでいると、ママが「これから菅ちゃんに紹介したい方が来るので、もう少し待ってて」と言われました。

少したつと武宮先生がいらっしゃっいました。

ママは先生を僕の席に連れてきて紹介してくれました。

先生とご一緒に飲むことになり、いろいろお話したのですが、先生は第一印象から偉ぶったところがなく、話題も豊富で気さくな方でした。

歳も1つ違いで、それも気があった理由なのかもしれません。

直ぐに意気投合して、ママが
「先生は歌がプロ級だから、これからカラオケ行きましょう」と提案すると先生も
「3人で行こう」と言われました。

先生の歌はプロ級でした。

遅くまで3人で飲みあかしました。

当時はLINEもなく、仲良くなるとお互いの電話番号を交換するのが常でした。

後でわかったことですが、先生はプロの演歌歌手とデュエットの歌でデビューしていました。

他にもゴルフもシングルの腕前で、麻雀もおやりになるし、特にゲームの「バックギャモン」においては2005年に3大タイトルの1つである盤聖戦で「第12期盤聖」になりました。

囲碁以外も多趣味で、その全てにおいて一流の腕前です。

囲碁でも先生の囲碁は宇宙流と呼ばれていましたが、まさに趣味においても宇宙流の達人です。

その日以来、先生とよく飲みに行きました。

食事は先生は魚をたべないので、いつも肉でした。

先生からお電話があり麻布高校で開催された「バックギャモン」の大会に先生の応援する才能ある若手がでるので、一緒に行ったこともありました。

また昼間、会社に電話があり、「今夜、横浜で公演があるけど、菅さん一緒に行こう」と言われました。

「行きましょう」と答えると先生は「その前に太陽の光線をかけながらマッサージする所にも行きましょう」と言われました。

このように、昼間も夜もお付き合いすることもありました。

1995年には、先生は囲碁の最高位「名人位」をお取りになりました。

その時いただいた扇子は、大事にしています。

名人位を獲得した時にいただいた扇子
最初にいただいた扇子

また先生は「友神」と言う言葉がお好きで
「菅さんは友人であり遊神だよ」と言われた時は感激しました。

1996年に赤坂紀尾井町の中国料理「維新號」で、僕の80人に絞った結婚披露パーティーにも、出席していただき、美声を披露していただきました。

出席した方にも囲碁ファンが多く
「何で菅さん、武宮名人が出席しているの ? 」と聞かれましたが、適当に答えておきました。

囲碁やらない僕の結婚披露パーティーに先生が出席して、歌まで披露してくださったのが不思議だったようです。

その後、余りお会いするチャンスがなかったのですが、Eママから連絡があり、先生が
今、社交ダンスにはまっていて、先生がママに菅さんと一緒に新宿でやる社交ダンスの会に来て下さいと言われたと告げられ、ママと新宿に行きました。

広い会場でワルツ、タンゴやジルバを先生が踊るのを観賞しました。

ダンスもお上手でした。

ママと僕にも初心者向けの体験レッスンに参加するように言われ、初めてダンスを踊ってみましたが、難しかったです。

やはりワルツも初めての方と手をつなぎ、身体を接近さそるのは、恥ずかしいと言うか
緊張してしまいますね。

ママはさすがに初めてなのに、上手で様になっていました。

先生は、今はダンスの中でもラテン系にはまっているようです。

コロナになってからはお会いしていませんが、先生と僕の共通の友人Eママがコロナで亡くなった時に彼女の訃報をお知らせしました。

Eママはいろいろな意味で数少ない銀座の友人の1人でした。

彼女の訃報の知らせがあった時、ショックで目の前が真っ暗になりました。

亡くなる3か月前に食事をした後、LINEに「また食事行こうね」と彼女からメッセージがあったのが最後に、連絡が取れず、LINEも既読にならず、携帯も繋がらず心配していました。

コロナで入院すると、誰とも連絡できず、亡くなった場合でも灰になって帰ってくるそうです。

結局、お葬式もありませんでした。

何か割り切れない気持ちで一杯になりました。

彼女は武宮先生以外にも、いろいろな方を紹介してくれました。

大事な友人を亡くした悲しみは、今でも持ち続けています。

一人グラスを傾ける時には、Eママのことをいつも思い出します。

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