決心には、積み重ねが必要だ

昨日「決めること」についてnoteを書いたが、
今日も同じテーマで「決めること」考えてみたいと思う。

なんで自分は決めることが苦手なんだろう?
と考えてみた時に、疑問に思ったことは
「決めるためには何が必要なんだろうか?」
ということだ。

自信とか好きなこととか色々あるが、シンプルに分類すると

  • 過去の行為の積み重ね

  • 周囲からの反応・フィードバック

ではないだろうか。

「自分はこれが好きだよな」「自分はこの道だよな」と、
自分のなかにアンカーがある状態(「決心している」とも言える状態)に
どのようにひとは至るのか?

「小さい時からずっと強制もされず、これやってこれたしな」
「この数年間、心地よくこれに取り組めたもんな」
という、過去の行為の積み重ねを根拠にして決心をするか。

「これやってくれて、ありがとうね」
「いとも簡単にこれができるなんて、すごいよ!」
という、他者からの反応やフィードバックを根拠にして決心をしている

そういった積み重ねとフィードバックを下地にして、
好きが見つかったり、自信がついたりして、
決意や決心と言われるものが出来上がるのではないだろうか。


その2つの観点で私自身の過去を振り返ってみると、
積み重ねもフィードバックも薄いように感じる。

自分の心の赴くままに行動して、結果何か積み重ねていった記憶がそんなにない。(ここ数年で、美術の展覧会や落語、舞台に行くことは積み重なっているなと感じるけれど)

また、自分の心をOFFにせずに他者と交流する機会が少なかったから、
ちゃんとフィードバックをもらった記憶も薄い。

それは決心なんか程遠いよね、と。

「主張」という雄々しいことを狙っても頓挫するだけ。
まずは心の赴くままに行動してみること、できればそれを他のひとが手の届く形に残すこと。

例えばこうやってnoteを書くこともそうかもしれない。
自分の心の赴くままに書いて、それを他のひとが読める形に残しておくこと。
別に文章を書くのが苦手なら、Instagramでもイラストを残してもいいし、tiktokで動画を残すのもいい。

他者に合わせた発信ではなく、自分の心の赴くままに発信して、時々見返したりする。
そうすることで自分のアンカーが見つかって、心を決めること(決心)ができるようになるかもしれない

いただいたサポートは、書籍代に消え、そして雨となって次のnoteになっていきます。