決めることが苦手なひとは、主張することも苦手

「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」
詩人・茨木のり子のことば。

なんというかそれぐらい感受性というのは、守っておかないといけないもので、守っていないとすぐに壊れてしまう代物なのだ。
「心の豊かさ」と言ってもいい。眼の前の相手や社会に自分を合わせ過ぎて、自分の心を抑えていると、心が乏しくなり錆びついていくものだ。

気づいた時には、時すでに遅し。「自分の趣味ってなんだっけ?」とか「好きなこととは?」と言ってしまう大人になってしまう。

眼の前の相手に合わせることが癖になってしまうと、自分の意見を持つことができないし、リスクを取って何かを決めることも主張することも苦手になる。

自分ではなく相手が主人公の物語を生きてしまっているし、自分の人生の主導権を相手が持ってしまっている状態なのだ。

こうやって書いてみたが、わたし自身について振り返ってみると、ゴリゴリに相手や社会に合わせるタイプで、そんな生き方で人生の大半を過ごしていると「拒絶されたくないから主張しない」というより「拒絶されてもいいと思えるほど何か主張したいと思わない」という状態に近い。

でも、自分の主張がないのは、実は主張してないから何じゃないかとも思う。
営業活動で自社のサービスを何度も話しているうちに、少しずつサービスが好きになるような要領で、何度も主張することによって自分の主張が形成されていくものなのだ。

だから難しいことは考えず、より積極的に発信していこうね。って話。

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