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毒育ちママの徒然なる日々

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毒親育ちママが日々思うことを、つれづれに。
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「虐待かも?」と思った時、189をためらわないで欲しい理由

最近ツイッターで 「虐待してないのに、児相と警察が家にきた」 というツイートが話題です。 毎日、必死に育児をしていて、(もはや社会的なレベルで)育児へのサポートは少なく、 むしろ保育園にすら入れないという冷遇のされっぷり。 そんな中、虐待せずに育てるという困難を日々乗り越えているにも関わらず どこかの誰かから虐待を疑われ、児相と警察まで来てしまう…… これは、保護者としてとても悲しく、ショッキングな出来事と思います。 私だったら辛いし、 正直”役所”全般には恨みが募ってい

毒親持ちママが思う「これ了解されてたら生きていきやすい」かもしれない、たった5つのこと

毒親持ちの生きる世界は、世知辛いです。 同じ「毒親持ち」であっても、現在の状況は様々です。 まだ実家で暮らしているかどうか、といった物理的な環境の違いはもちろんのこと、 毒親のもと、機能不全家庭に置かれていた過去をどのように捉えているか、 いまいる環境への満足度や、受けられるサポートの差によって異なります。 たとえ条件が全く同じでも、個人によって状況をどう認識するかが変わってくることもあるでしょう。 そういう違いがあるので、これはあくまで「私は」の話ではあるのですが 毒

呪毒の書

“毒親にかけられた呪い”について。 以下、「これは、そうなのでは?」と思われるものを書き出し、 書くことで認識し、客観視できるようにすることで、克服につなげる試み。 私自身の体の中のものを解毒するため。 私自身が毒親にならず、子どものことを毒さないため。 料理「作っていて楽しい」 「日頃、私が美味しいと思うものを作るのには、私自身が一番向いてる」 って思ってもいいんじゃないだろうか。 参考 『“料理すること”ができなかった話』 参考2 『#ダメ女教室 は、damaged

#ダメ女教室 は、damaged womenがシスターフッドで人生を殴り返す、炊事場からの反撃の冒険譚でした、という話

最近話題の『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』(著;キャスリーン・フリン、訳;村井理子)(きこ書房)を読んだ。 この本との出会いは、実は発売前にある。 おそらくプロモーションも兼ねて、発売に先んじて、ツイッターでは「#ダメ女教室」というタグが稼働していたのだ。 そのタグに触発されて、『“料理すること”ができなかった話』という記事を書いた。 端的に言えば、 「料理なんて別にできなくてもいいじゃん」と言っていた私が、その実、 いかに料理することを恐れていたか、 どうして

「人は傷ついた分だけやさしくなれる、わけではない」という祝福

“親がまともじゃないと、子どももまともな人間にはななない” 最近そんな言葉を、本当に耳にしてしまう機会がありました。 (https://note.mu/tiharu/n/nc5879ba8ed49) その言葉は、言い方をかえて繰り返されました。 「親に常識がないと、常識のない子に育つ」。 「ちゃんとした親じゃないのに、ちゃんとした子どもになるわけがない。まっとうな大人になれるわけがない」。 あれですね、 犯罪者の子は犯罪者になるに決まってる、みたいな。 こんな古いタイプ

子どもへの謝り方がわからない、という話

「“正しい”謝り方のテンプレートがほしいです」 こんなことを言ったら、不誠実でしょうか。 たとえば女性向け広告・啓発の内容が“不適切”で、多数の指摘がなされると その広告や啓発資材の作り手は、よく 「ご不快にさせてしまったこと」に対して、謝罪をしますね。 最近では 「よくよく読んでみたら、謝罪の言葉がどこにも入ってないぞ……!?」 みたいなものもありますが、 基本的には、一応は、謝罪の体のナニかがなされますよね。 そのテンプレート的でしかない不誠実さに、 事態はより一層

“偉い人”からの“正しい言葉”に、心を折られそうになる私たちへ

保護者になると、当然ですが 保護者向けの学習会・講習会のお知らせなどに接する機会が、それまでよりも増えます。 子育てに自信がない。 不安がある。 漠然と「もう少し改善できたほうがいいんじゃないか」と思っている。 もしくは、 なんとなく予定があいていて、なんとなく興味を惹かれた。 など。 理由は様々あるかと思いますが、そうした機会への参加を決めたとします。 その際に共通しているのは 「今よりも、もっと“いい子育て”をしたい」という気持ちを持っている、ということだと思います。

“料理すること”ができなかった話

ツイッターで、『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』という書籍について、 #ダメ女教室 というタグを見つけました。 この書籍についての、また #ダメ女教室 タグでのツイートを読んでいるうちに 「これはもしかして、かつての私自身にオススメしてあげたい本では?」 「10年前の私みたいな人にはオススメなのでは?」 「ついでに、10年前の私みたいな男性にだってオススメなのでは?」 という気持ちが強くなりました。 以下は、この本の存在を知る1日前、くらいに書いていた文章です。

“毒親”への感謝と、“毒母”という言葉について思ったこと

毒親、という言葉に思うこと「私の親は、毒親でした。」 こう言葉にし、書けるようになるまで、ずいぶんと時間がかかりました。 「私は虐待被害者です。」 これだって、今なら書けます。 けれどどちらの言葉も、口に出して言うことはまだできません。 それでも私は、かつて自分のおかれていた環境を、あらわすことができるようにはなりました。 数年前、20代の終盤。 ツイッターで「うちの親は毒だった」と書けるようになりました。 物心ついて以来、人生の大部分は 私が私自身に対し、「被害