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「立場の上下なく」という言葉の持つ権力性について

文章にするのが難しい、まだ私の中でも明確な言葉にできないobjectに、またぶつかりました。
きっかけは、ツイッターでお世話になっている方から教えていただいた、
そして今話題にもなっている文章を読んだことです。

合わせて、それに対応しての美術手帖さんの記事も読みました。(この記事はむしろ、こちらの美術手帖さんの記事についての話です)

上記の記事は、有名写真家の荒木経惟(アラーキー)氏と、長年氏の「ミューズ」として知られていたKaoRi氏との関係性が
暴力と言えるほどの傍若無人と、権力差とも言える関係性の強弱関係に基づいたものであったという #Metoo の声です。

隠しても仕方がないので言ってしまうと、私はアートというものへの無知がひどくて
この記事の話題を知るまで、アラーキーをほとんど存じませんでした。
名前は聞いたことがなくもない、くらいのレベル。
KaoRi氏のことはなお。
申し訳ないやら恥ずかしいやら。ごめんなさい。

ただ、それでも
「アート」というものが、ときに他者の人権を踏みにじり、傷つけて、「それこそがアートだ」と開き直りさえしてきたこともある、という程度のことは知っています。(※文末注)

どこの世界にも暴力や人権侵害はあって、立場的な強弱のある関係性では、いつだって誰にだってリスクがあって
そういうリスクからは誰も逃れられないのだから
「世界的超有名人の彼に限ってはないだろう」
なんてこともまた、ないでしょう。

この話題については、もっといろいろ言いたいこと言うべきこともあるのでしょうが
今日の本題は、ちょっとだけズレた話です。

KaoRi氏の文章の末尾は、

立場の上下なく、お互いがお互いに尊重しあって発展する世の中になりますように。

という言葉でしめられています。

その記述について、またKaoRi氏のmetooの記事自体について、美術手帖さんの記事では以下のように書かれていました。

こうした経験をふまえ、仕事のスタイルが多様化した現代における契約書の重要性と、「芸術という仮面をつけて、影でこんな思いをするモデルがこれ以上、出て欲しくありません(原文ママ)」と訴えるKaoRi。約7000字にわたる告白の最後は、関係性や立場に上下をつけず「お互いがお互いに尊重しあって発展する世の中になりますように」と締めくくられている。

美術手帖さんのこの記事自体にもいろいろ思うところはあるし
それ以前に
満足に話題を扱うことすらしていない各種メディア・関係諸氏については
その無責任さに本当に怒りと呆れと、やっぱり怒りが大きい
わけですが
今回は、ちょっとこの「立場の上下なく」という言葉について書きたいです。


KaoRi氏の文章と美術手帖記事では「立場」が違う

例を出します。

たとえばパワハラの被害者が、同じ被害者立場の人たちに向けて
「立場の上下なく、おかしいと思ったことはおかしいと言おう」と呼びかけたとします。

これはエンパワメントや、権利回復につながるものですね。

また、同じくパワハラの被害者が、パワハラ加害者になり得る立場の強い人たちに向かって
・どうか立場には強弱があるということを自覚してくれ
・立場の強い人たちは、自分の弱さの尻拭いを弱い立場の人たちに押し付けないでくれ
メッセージした後で、
「立場の上下なく、お互いに尊重しあっていこう」と呼びかけたとします。

これは、立場の強い人たちによる無意識の加害をなくしたり、これまでは気づくことさえなかったかもしれない自分の暴力性への視座を作ったりすること、
かつ、立場の強い人たちの呼吸を楽にしさえするような作用のあるものですね。

KaoRi氏の文章は、そうしたものだったかと思います。
あの「立場の上下なく」という締めの直前に、ちゃんと、立場の上下が実際にあることを明記していたので。

立場の上下がある、その現実をまずしっかりと認識した上で、その立場を越えようという提案でした。

……でも美術手帖さんの記事での「立場の上下なく」は、そういう感じじゃありませんでしたよね。ないな、と私は感じました。


いまもなお存在し続けている立場性への意識

美術手帖さんの記事からは、それがどうにも感じられなかったんですよね。
感じ方の問題かもしれませんが。

あの記事を読んだとき、最初に感じたのは
「え、これはあなた、どの立場からの発言なの? どの立場で書いてる記事よ?」
ということでした。

美術手帖さんって、だって、美術手帖さんでしょう?
どちらかといえば
自分たちのこれまでの営みに問題はなかったか、
アラーキー氏の扱いはもちろん、それだけではなく
侵害された人がいなかったか、
それに対してのアンテナが鈍くはなかったか、
気づけるための仕組みやチェック体制はあったか、
(なかった場合は特に)今後どうしていくか、

とか
そういうのを、より考えていかなきゃいけない立場にあるのでは?
……と、思ったのでした。

つまり、
どちらかといえば、「強い」方の立場に並んでいるんじゃないの?

美術手帖さんの記事で、KaoRi氏の記事の「立場の上下なく」について触れている部分を、上記で引用しました。
引用部分もそうですし、
その他の部分でも、そもそも立場に強弱が存在していることについて、明確に言及されていません。

アラーキー氏とKaoRi氏は、まるで
ただの対等なアーティスト同士で、
お互いに契約についての意識が薄くて、
どっちもが芸術の名の下に甘えちゃってた、みたいにも、読もうと思えば読めるくらい。

「私は失敗しちゃったけど、みんなはこれからは契約のことちゃんと考えて、ちゃんと言ったほうがいいよ」みたいなノリです。

対等じゃなかったことが問題なのに。
周囲だって、全然対等に扱ってこなかったことが問題なんですよ。
そこへの意識が薄すぎませんか。

また例を出します。

たとえばパワハラの加害者、もしくは加害者と並んで立っていた人が、
そのことへの反省もなく
「立場の上下なくって被害者も言ってますし、これからはお互いにお互いをフォローしていきましょう」
って言ったとしたら、どう思いますか。

これは、被害/加害の矮小化だと、私は思いました。
無責任だとも思いました。

「おいお前、さすがに面の皮あつすぎだろ!」
って思いません?
「先に言うべきこと、考えるべきこと、すべきことがあるだろ!」
って思いませんか?
たとえば
反省の言葉とか、改善策をどうするかとか、なにかできるリカバリー策や補償を考えるとか。

ほかにもたぶん、いろいろですけど。

美術手帖さんの記事自体は、以下のような言葉で締めくくられています。

今回のKaoRiの意思表示は、アーティストとモデル、ミューズ信仰という構図に隠された問題の一端を示すものになっている。

その通りなのでしょうね。

で、

隠してきたのは誰で、
それを見せないように構図をつくり維持してきたのは誰ですか。
その構図を見ずに、「アーティスト」と「モデル」「ミューズ」をまず最前線で相手にしてきたのは誰ですか。

どうしてそんなに他人行儀なの。
問題の一端の、自分はどこにいるのか。
なぜそこへの視点と言及がないんですか。

と、思いました。


「立場の上下なく」という言葉は、これから……

美術手帖以外の、特に写真「アート」関係者、NHK、他メディアの人たち、
ろくに記事にもしてないし声も出してないし
今後、もしかしたら、むしろたぶん
アラーキー氏を擁護する声は少なからず出てくることと思います。

「立場の上下なく」個人と個人の間で起きたことだ、って
立場の強い人たちや、そんな人たちと並んで立ってる人たちは言うかもしれません。

今はまだ強くなくても
いつか、強い立場になりたいと思っている人や
「”素材”の人権を侵害する覚悟はある!」とか勘違いで迷惑な覚悟持ってるモドキの人も、いろいろ言うかもしれません。

「立場の上下なく」という言葉は
立場の強い人こそ、上手に、自分たちにうまみがくるように使いやすい言葉
です。

今後も様々なメディアでこの言葉に触れるかもしれないみなさま方には
この言葉の使われ方には、どうかちょっと注意してみていて欲しいなと思ったのでした。


おしまい。

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※注

タイのセックスワーカーが、本人らが拒否しているにも関わらず大橋仁氏によって撮影され、東京都写真美術館に展示されてしまったことがありました。

また
ギャラリーアクアにて行われた丹羽良徳氏によるワークショップ「88の提案の実現に向けて」の企画で、デリヘル嬢が、誰もに公開された場に呼び出されそうになったこともありました。
(現役デリヘル嬢が本当に呼ばれてしまうことは、すんでで回避されました)
(が、大変に無礼で、大きな負担をさせてしまう事態にはなりました)

アート、というと、なぜか
誰かの人権、安心や安全をうっちゃってでも表現していいしむしろそうすべきそれこそが真の芸術
みたいなことを思っちゃう人たちがいるようです。

「アート」に関わる人たちの流行か、もしくは、そういう教育でもなさっているのでしょうか。

抜本的に教育が行われること、あわせて
こうした問題が起きないよう、チェック体制を持つなど、仕組みとして対策が行われることを望みます。


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