性教育_だれにす

性教育、だれにすればいいんだ問題について思ったこと

先日、性教育は(男子生徒ではなく)女子生徒相手を中心にするべきだ、という内容の記事を見ました。

http://blogos.com/article/203302/

学校教育上での話ではなく、
しかし、もっとリアルで身に迫った問題としての、性知識の話です。

述べられている点は多岐にわたっているのですが、
論は基本的に、冒頭に記されている

現実は、性欲でギラギラ燃え盛り、同時に、おしなべて「避妊倫理」のようなものが著しく低いハイティーン男子にそれを期待するのは現実的ではない。

という前提の上に築かれています。

ハイティーン男子は性欲で燃え盛り、避妊倫理が著しく低いから
性教育はハイティーン女子にこそ行った方がいいし、
コンドームもハイティーン女子にこそ必要。
というような展開です。

かつてハイティーン(とりあえず)女子だった身としても、
(ハイ)ティーンに性情報を提供する立場にいた者としても、
これはどうしても、黙ってはいられない話でした。

以下、上述の記事にあわせ
男女間での(基本的には1対1の)セックスを前提として書きます。


1、女子にのみ負担させてはダメ


女子にばかり避妊教育を行う、ということは
避妊の責任をより女子側に問うことにつながります。

性犯罪被害の予防について、また性被害が起こってしまったときの風潮について想像してもらえれば、伝わるものもあるかなと思います。

女子にばかり自衛を求める、ということは
ことが起きてしまった際、その自衛に落ち度や隙があったのではないか、粗探しする風潮を引き寄せるということと強く繋がっています。
「こうなりたくないなら女子が自衛すべき」は
「こうなってしまったってことは、女子の自衛が(も)足りなかったのではないか」という疑念のようなものを、
どうしても引き起こしてしまうのです。
自衛が足りていなかろうと、被害者に非は全くないのに。

自衛が足りていようといなかろうと、加害者がいる限り、絶対に被害は起こるのに。

避妊にも、似たようなことが言えます。

100%の避妊方法はありません。
コンドームはもちろん、ピルでさえ100%ではないのです。
緊急避妊ピルだって確実じゃない。

確実じゃないものについての責任のようなものを、女子だけに求めようとするのはおかしいです。

ただ、これがピルの話なのだとしたら、また別の側面での話もできるようになり得るとは思います。
妊娠する・しないを、する側である女子が主体的にコントロールするためには、
ピルは非常に有効な手段になりえます。(繰り返しますが、100%ではないとはいえ)

「あなたがあなたの“妊娠する・しない”という自由を守るために、あなたひとりでもできることがあるよ」

そういうエンパワメントにもなるでしょう。

でも、コンドームではこれはできません。
なぜならコンドームは、男性器につけるものだから
です。

女子の手元にコンドームがあり、
意識があり、知識があろうとも、
男子にそれがなければ、コンドームをつけてのセックスは成り立ちません。

「彼女がコンドームつけないでって言ってくる」
ケースよりも
「彼氏がコンドームつけたくないって言う」
ケースの方が、耳にすることは俄然、多いです。

女子の意識と知識を高めることばかりで、コンドームによる避妊率を高めようとするのは
それこそ、現実的ではないのではと思います。


2、もちろん、男子だけに言うのもだめ


少しまえ、『性教育、誰がすればいいんだ問題について思うこと』というエントリ(https://note.mu/tiharu/n/n74cf24281ba9?magazine_key=mff7d4764d9d8)
性教育は

自分と、自分にかかわる人たちの身体を守り、適切に扱うため

に必要だ、と書きました。

女子だけでなく、男子にだって、自分の体を守る必要はあります。
自分の体について知ること、その機会を得て、自分の体の扱い方を考え、決めるためのきっかけは
男子にだって必要なのです。

性欲にギラギラ燃え盛っているのであれば
避妊倫理に欠けているのであれば
知識は、なおさらに必要なはず
です。

「男子ってこういうものだから、ダメでもできなくても仕方ない」

と、知識を伝える側の人間が“現実的”と判断して省いてしまっては
男子は得るべき知識や、強く理性を働かせるべきケースについて
深く関わる契機を阻害されてしまいます。
男子にとってもよくないです。
(そしてそのしわ寄せは、女子により大きく向かいます)

とはいえ、「じゃあ男子に言うのだけに注力すればいいのか?」といえば
絶対にそんなこともないわけです。

日本の性教育って、なんだかんだとずっとお粗末で
性に限らず、女子への教育は特におざなりです。
(なおざりです、と言ってもいいかもしれません)

かつ、現在であっても、女性が「性」に対して積極的な姿勢を見せることは
忌避されたり、
好きにセックスさせてくれる奴だろうと勘違いされて言い寄られたり、
条件によっては裁判でも不利にはたらいたり
します。

「女子」と「性」との関わり方は、とても不自由な形で規定されることが少なくないのです。
客体であることばかりが強く求められ、
主体になる(もしくは、なろうとする)と、強い圧力がかかります。

性について女性が主体になれ、と言われるのは
「貞淑さを守れ」(性を楽しんではならない、被害にあってはならない)
「操を立てるべき男とつがい、子を産め」
の2点についてばかりです。

女の体や生殖機能が、未だ完全には女自身だけのものではない現状については
たとえば人工妊娠中絶には夫の同意が必要であることや、
出産・婚姻のタイミングによっては
自分が産んだ子であっても、養子扱いにする必要が出てきてしまうことなどから見ても
想像がつくことかとも思います。

だから、
子作りを前提としない相手とのセックスについてのシミュレーションを女子にもさせ、
そうしたセックスで自分がどうすべきか、自分で考え行動する機会を提供する、という
それ自体は、大変に意義のあることだと思います。

「いや、日本で女子のおかれてる立場って、そこまで不自由でも保守的でもないでしょ」
って、感じる人も少なくはないかもしれません。

「見えている景色が違うんだね」っていうのもあるかもしれませんが
たとえ、もし、そういう抑圧を受けている女子の数が少ないのだとしても
抑圧を受けている女子がいる、というのもまず間違いはなくて
目の前の女子が、そういう抑圧を受けている女子ではない、という保証もないんです。

性教育は、「もしかしたら、今話をしている目の前の人物は***かもしれない」という想像力が
特に必要
なものだと思います。

***には
抑圧下にいる、性虐待を受けている、セクシュアルマイノリティである、中絶経験者である、出産経験者である、現在妊娠している、など
いろいろなケースが想定されます。

ともかく
そういう可能性のあるものですので、
女子への教育機会も、男子への教育機会も、
どちらも等しく大事に担保すべきだと思います。

女子であれ、男子であれ、
それぞれの体は、それぞれのものです。
それぞれが自分の体を大事にしたり、その使い方を決められたりするために、
誰にとっても、
知識は必要です。

危機的なケースを多くみればみるほど、
より緊急性が高く、
また即効性があるように感じられてしまう“女子への啓発”に向かってしまうことがある、というのは
ある程度、仕方のないことなのだろうかなと
正直、思ってしまうことは多々あります。

女子が望まない妊娠をしないでいるためには、女子が妊娠さえしなければいいんだ。
みたいな。
でも、無理なんですよね。
妊娠したりしなかったりって、女子だけでどうにかできる話ではないので。
(低容量ピルの利用、という方法を除けば)(また繰り返しますが、それだって100%ではないとはいえ)

だから、コンドームを使おうね、という話なのであれば、
やっぱり女子に注力するのは筋が違うし、ズレているなと思います。

知識は、考えるための材料になります。
考えることは、自分の気持ちや考えを固めたり、再確認したりする役に立ちます。
より強く思えるようになった気持ちには、自信や決意を持てることがあります。
そして、自信や決意が持てた思いに関しては、実行に移そうと思えることがあります。
実行にうつそうと思えたら、本当に実行にうつすことができるようになる、可能性があります。

知識を得てから、実際に行動にうつせるようになるまでには
実はたくさんのステップがあって
本当に行動に移せるか否かは、本人の努力だけではなくて
運や環境によってしまうことも多々あります。

それでも知識は、いつか行動をうむための大切な種なので
蒔いて、育てていく必要があります。

その価値も、あります。

特定の性だけに種をまきすぎて負担をかけたり、
特定の性だけに種をまかず、機会を与えないでいたり、といったことがないよう
注意深く見ていきたいなと思います。

もうね、私は
実際に若い人たちに会って啓発するような仕事はしてはいないのですが、
そして、実は先日、文筆業としても啓発する場がロストしてしまったのですが、
まぁこういう場では自由に書けますしね……
まだまだ“伝える側の人”としての意識とか覚悟とかは持ちつつやっていきたいなと思っています。

(でも、活動の場とか機会とか、もうちょっと探していかなきゃな、とも思っています)

最後になりましたが
今回、この文章を書くきっかけとなりました記事について。

その論の前提について、こうしていろいろ書きましたが
ハイティーンに無料でコンドームを配り、
性について(保護者でも教師でもない、第三者の立場として)話す機会を作り、
何かあったときのためのネットを用意し、
またそのネットから落とさないようにするよ、という活動をされていること、
とても重要で、必要です。
こういう活動をしている人たちが、もっと増えるといいなとすごく思っています。

私ももうちょっとだけがんばりたいです。
でも、まぁ、マイペースに。

おしまい。

以上、全文無料でした。

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