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「子ども虐待をなくしたい」と思った時、すぐにできるのに面倒に思われがちな、たった3つのこと。

目黒の件を契機に、子ども虐待のことが話題です。

いくつかの署名が行われたり、警察との全件共有をすると発表する自治体があったり、職員と面談しない親には子ども手当を渡さないようにすると発表されたりしています。
(上記それぞれに対し、私は基本的に非賛同の立場です。すべてに、ではないけど)

政治的マターでいえば、すべきことといえば
予算を爆発的に増やす
以外では、今はまだ何もない、という段階かと思っているし
子どもの虐待被害を減らすための制度的解決方法といえば、現状それでまかなえる部分がかなり大きいと思っているのですが
制度ではない、
つまり私たち個人、ひとりひとりができること、といえば、かなりたくさんあると思います。

現場や専門家からも懸念が上がって来ていますが(ありがたい!)、事件の詳細が検証される前にもかかわらず、いろいろなものが抱き合わせにされている署名に参加するよりも、
より根本的解決に近く、
やろうと思えば明日から・今からでも、私たちがそれぞれひとりでだってできることが、あるように思うんです。

ひとりでも、制度がまだ変わらなくてもできること。

今回はそんな、「子ども虐待なくしたい」と思った時、すぐにすべき(だけど面倒に思われがちな)3つのことについて書いています。

「189された」ことを、”当たり前”もしくは”ラッキー”と捉えられるようにすること

いきなり難しいでしょうかね。
しかし。
189されることが「ショック」「ひどい」「不名誉」とか思われて
それが社会的に当たり前であるうちは
虐待を減らすことって、難しいです。

だって
ショックで、ひどくて、不名誉なことなら、みんな不安があっても隠したがるでしょう。
通告する側だって、189するときに「虐待じゃないかもしれないのに189したら悪いかも」って思っちゃって躊躇しちゃうでしょう。

虐待を防ぐために必要なのは、まずは、兎にも角にも密室化を防ぐことです。
「ショック」「ひどい」「不名誉」という理解・了解・社会的扱いは、密室化しがちな現状を強化します。

いまの日本てね、ただでさえ密室化を促進しがちな、むしろ推奨してる感じの国なんですよ。
「3歳までは母親と一緒が一番」ってね。
必要性があっても保育園に入れないし、
必要性があるから申請してるのにいや必要度低いでしょって言われたり、
必要性があるのに一度専業主婦になったらそもそも申請すらほとんどできなかったり、
専業主婦のままじゃ、一時保育すら安価ではなく、そもそも予約とることすらままならなかったり。
とかね。

母子を密室にしたがる社会とは、つまり、保護者に虐待親になるリスクをわざわざ負わせてくる社会。ということです。
すべての親に虐待するリスクを負わせる社会ということは、
すべての親が、189される可能性を持っている。
ということでもあります。

いつ189ダイヤルされても不思議じゃないはずなんです、本当は。
だってこの社会は、そういうふうにできているから。

だからね、
「189ダイヤルされた」=「あぁそうなんだ、まぁそういうこともあるか……」
くらいのテンションになるのが、むしろ当たり前だと思うのです。

密室育児をさせたがる社会だからね、
189されたことがきっかけで何かしらの支援に繋がれて育児がしやすくなるなら、「むしろラッキー☆」くらいがちょうどいい。
本当は。

なお、189に通告があった場合の、約2割は「虐待ではなかった」と言われているそうです。(※1)
10人に2人って、結構な高確率ですよね。
「189したけど虐待じゃなかった」は、別に普通なんです。
だから「虐待じゃないかも」なんて、ダイヤルする側はおそれなくていいです。
それを判断するのは専門家の仕事
それができると期待できるからこそ、専門家なんです。

「おや?」と思ったら、軽率に189しましょう。

……とはいえ。

「189されても当たり前、むしろラッキー☆」て、
自分ひとりがそう思ってても、社会全体がそうならなきゃ、結局プレッシャー感じちゃうんですよね。
だからぜひ、
これからは、みんなでそう思うようにしましょう。

どこの誰か知らないけど、うちの子を気にかけてくれていた人がいる。
どなたかは存じませんが、ちょうど育児で困っていて追い詰められていたんですが支援につながりました。
ありがとう、ありがとう。

って、ね、
これでいいじゃないですか。

189ダイヤルは
「ダメでひどい虐待親をチクってやる! 見つけ出せ! 暴いて断罪しよう!」
っていう類のものではないんです。
そういう扱いをしちゃダメなんです。
そういう片鱗すら見せないほうがいい。

本当に虐待を防ぎたいと、本当に本当に思うなら、
虐待親を「信じられない悪いダメな親!」扱いして、異常で異例な存在として切り離してぶん殴ったらダメなんです。
逆効果です。

189は、子どもと保護者の支援、ケアや相談のためのダイヤルです。
受けて当然のサポートを得るためのきかっけになるダイヤルです。
そういう理解を、広めましょう。


3歳児神話はぶっつぶすのが正解。

3歳児神話というのは、
「子どもにとって3歳くらいまでの乳幼児期はすごく大切」
「育児に向いているのは女だから、母親が乳幼児期の育児に専念すべき」
「母親が育児に専念しないと子どもに悪影響がある」
というようなイデオロギーです。

これについてはとっくに、2000年になる前すでに、厚労省でも否定されています。
(20年くらい前だったと思います)

3歳児神話のどのへんがどう違っているのかは、
日本赤ちゃん学会のページに載っている、大日向先生の文章がわかりやすいので、ご一読をおすすめします。

https://www.crn.or.jp/LABO/BABY/SCIENCE/OHINATA/

上述しましたが、育児の密室化は虐待を生み出す仕組みです。
3歳児神話って、それそのものが虐待の原因みたいなもんですよね。

ぶっつぶしましょう。

もちろんですね、3歳までの期間を
たとえば保育園にいれなかったとか、
子育て支援広場などでお友達を作ってあげられてなかったとか、
そうなったとしても
そのこと事体が、子どもに対して悪影響である、というような話ではないです。

要は、「3歳までは母親が育児に専念すべきだ!」という価値観、それ以外の形をダメなものとみなすような視線が、
親をより追い詰め、虐待に向けて背中を押すのだ、
ということです。

「3歳までは母親が育児に専念すべきだ!」というべき論は、害はあれども価値はない、ということです。
エビデンス()もないですしね。

たとえば保育園の希望者全入を果たすことは、絶対に虐待の防止に役立ちますよ。
正規/非正規、被雇用者/自営業者を問わず、
むしろ介護や仕事をしているかどうかすら問わず、必要と感じたすべての人が、必要と感じた時に保育支援を利用できる状態。
(行政の支援なんだから、すべての必要性ある人に対しそれくらい機会の公平性を保るのってむしろ当然ですよね)
(保育園が足りない=「行政の仕事に不備がある」「子どもと保護者の権利が阻害されている」状態です)
(入園児を増やすために安全性がバーターされている現状はかなり醜悪な本末転倒なので、その動きには賛同できませんが……)

保育園の希望者全入がかなうと、

・密室化をふせげる
・虐待の可能性を感じたら児相に通告する義務が一般人より重く課せられている職員が、日常的に親子の様子を見られる

という効果があります。

ね。
これだけでも、かなりパワフルに予防できそうでしょう。

ただ、私たち個人が個人のままどれだけ「保育園って必要だなぁ」って思っていても保育園は増えないので
思うだけでなく、形にできるといいですね。

自治体に要望を出してみるとか、
署名に参加してみるとか、
反対してる人たちがいたら「まぁまぁ」って説得を試みるとか。

余ってる十分な土地があるようなら、自治体に売ったり貸したりしてあげてもいいのでは。

耳栓作ってる会社は、「チーム耳栓」とか作って、
「保育園はうるさいからダメ!」つってる人たちに耳栓配る社会貢献とかしたらいいです。

ともかく、3歳児神話は打倒しましょう。
百害あって一利なし。ですよ。


妊産婦に優しくする

ちょっと前に、こういう記事を書きました。

https://note.mu/tiharu/n/ne53547f4b93d

簡単に言うと
「妊産婦が安心・安全に、ただただ一般的生活を送るために必要な配慮はして当然のことなので、しましょう。
 普通に生活するための配慮を求めたら『ワガママ』『偉そう』とか言い出すやつはクソだ」

という記事です。

もし「虐待を防ぎたい」というレベルで言うなら
もはやゲロゲロに甘やかすくらいでちょうどよいのでは。と、思っています。

少なくとも、
たったひとりで孤独に出産し、産んだ子を生かすことのできなかった人を逮捕し、社会的にぶん殴りまくるようなことはやめないといけないです。
必要なのはタコ殴りではなく、超ケアすることです。

虐待を防ぐためには、「監視ではなく支援が必要」と言われています。

専門家とまではいかなくとも
支援の現場をかじったことがあるとか、
支援に興味があってちょっと勉強してみたとか、
そういう人なら、当たり前にきいたことがあると思います。

そして”監視的”にならないことを、とても気にかけていると思います。
監視的になってしまうことって、本当に致命的なので。

監視は抑圧であり、プレッシャーなので、その対象者である親に強いストレスを与えます。
ストレスで親から余裕が奪われると、奪われた量の何乗分かって勢いで、子どもへの虐待リスクが跳ね上がります。
気持ちに余裕があれば気にならなくても、
余裕がないと怒鳴ったりしちゃうこと、ありますよね。

道路に子どもが飛び出そうとしていたら、優しく言って聞かせる余裕なんてなくて、まず腕を掴むのが大事ってなるでしょう。
余裕のなさって、そういうことです。
優しく言って聞かせるなんてこと、できない状態なんです。

しかし残念ながら
今ってね、かなり監視的な風潮が強い社会です。
赤ちゃん・子どもを連れていない人たちに最適化されたデザインだし、
そういう人たちのご機嫌を損ねないようにしていることが「正しい」「当たり前」のことで、
「そうじゃないなら消えろ」って、平気な顔して言われるような社会です。

公共交通機関である電車でも、「ベビーカーの人は周囲に配慮してください」とかアナウンスされる倒錯が起きています。
(東武東上線の話です)
(クレーム入れたら、「ベビーカーの人もそうじゃない人も気持ちよく使うために、ベビーカーの人に注意を呼びかけています」っていう「知ってるよだからそれやめろつってんだろうが」みたいな回答が来たので、東武鉄道という会社のことは軽蔑しています)
(でも運転手さんとか駅員さんとか個人にはめちゃくちゃ感謝もしてるので、がんばっても欲しいです)

そういうの全部、全部、全部やめるべきです。

超ケア。
しましょうよ。

数値目標に関しては宙に浮いた状態にされたようですが
「新たな社会的養育ビジョン」(※2)では当初、
児童養護施設への新規入所を原則停止し、特別養子縁組や里親制度の利用を基本とする。
みたいな話が出ていました。

でもね、虐待って
「”ダメ親”を排除して、”いい親”のもとに子どもをあてがったら解決する」
みたいな話じゃない
んですよ。

上述してきているように
私たちの社会は、社会全体が親を虐待に向かわせるデザインになっています。
だから
親を挿げ替えて見たところで、その親がまた虐待に向かってしまうリスクがあります。
里親による虐待だって、事例ありますしね。

「うちらにはやっぱ無理、育てられない」って里親家庭に言われて、たらい回しにされたりとか。
(分離できなければ虐待に至っていた可能性があるので、分離は正解です)

また、虐待を受けた経験があるなど特に要支援であると思われる児童については、
里親の中でも特に専門性が高い(ということになっている)「専門里親」のもとで生活するのが望ましいとされています。

里親の要件については以下リンクを参照。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/01/dl/s0108-4b_0084.pdf

専門里親って、どれくらいいると思います?
すべてのタイプの「里親」全体のうち、たったの5〜6%程度です。
一方、児童養護施設で暮らす子の6割は虐待経験者と言われています。

この差!

専門里親の数は大幅に不足していて、
現状では、専門里親ではない養育里親のもとで、被虐待児が暮らしていることもあります。

このミスマッチは、つまり
子どもがケアを受ける権利が阻害されている可能性がある、ということを意味しているようにも思われます。

ケアの必要な子どもがいて、
専門職員がいる施設と専門性のない”家庭”とがあったとき、
「家庭が優先される」というのは論が通りません。

すみません話がずれました。

ともかく、「ダメ親をすげ替える」作戦は無責任だ、という話です。

いわゆる「実親」のもとで暮らすこと、「実親」のものに回帰することが正しい。という話ではありません。

すべての子どもには、施設ではなく家庭的な環境で暮らす権利がある。のは間違いないですし、国際的風潮でもあります。日本の里親委託率が著しく低いことが問題ではない、と言うつもりもありません。

(せっかく専門職員がいるんだから、施設をもっと家庭的な環境にしていくのでもよいのでは? とかも思いますが)

実親であれ、里親であれ、施設であれ、ファミリーホームやその他のどんな環境であれ、
ともかくは養育者へのケアが必要だ、ということです。

超ケアです。(3回目)

ケアの視点がぺらっぺらにうっす〜いままで「オール地域で」虐待に立ち向かおう、みたいに言っちゃうのは
監視を強めよう、と言っているのと同義
です。
無責任だと、私は思います。

監視はやめましょう。
支援をしましょう。

「支援」をする仕事をしているわけではない私たちは、育児者にやさしくしましょう。
せめて、邪険を言動にあらわさず、邪険にしている人がいたら、そういう人たちから育児者が離れられるようにしてみましょう。
そのための作戦を考えましょう。

妊産婦へのやさしさは、親がゆとりをなくすリスクを低減します。
親のゆとりは、虐待予防には重要です。

今日、泣いている赤ちゃんににこっと微笑んでみた、それだけでも
命がひとつ、救われるかもしれません。

<以下、注釈について。わりと読んでほしいです!>

※1;
「2割は虐待じゃない」らしい話は、『全訂Q&A 児童虐待ハンドブック』の37ページ目に記載があります。
こちら、今年(2018年)の3月に出たばかりのものです。
つまり情報も新しめなので、いま子どもの虐待について知ろうと思った人にはうってつけです。
Q&A形式で、エッセンスがぎゅぎゅっと、かなり濃縮されています。しかも、めちゃくちゃやさしい言葉で書かれています。
すごく忙しい人でも、隙間時間に読むのにぴったりです。
虐待防止に関する法令の動き、関連する各種法律、相談機関一覧などの資料も網羅されていますよ。

※2;
「新たな社会的養育ビジョン」
ちょっとこれどうなの。って話ばかりではなく、興味深いこと、勉強になることもたくさん書いてあるので、興味ある方はぜひ。

http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11901000-Koyoukintoujidoukateikyoku-Soumuka/0000173888.pdf


以上、全文無料でした。

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