ハームリダクションカット

“ハームリダクション”の概念が非常に便利なので、紹介したいです

“ハームリダクション”って、ご存知でしょうか。
ジャパンでは、そう馴染みのない言葉なのではないかと思います。

ジャパンに生まれ育ち、中国と韓国とグアム以外では旅行ですら海外に行ったこともなく、
英語は読むのも聞くのも話すのもほとんどできない私には、馴染みのない言葉でした。

けれど、知ってみたらびっくりの便利さだったので、
これはちょっと紹介してみたいな、と思った次第です。


ハームリダクション=害を小さくすること

いい感じの和訳があるといいのですが、概念としてあまりジャパンに浸透していないせいか、うまく見つけることができませんでした。

ハームリダクション(harm reduction)

harmは、害・被害・障害、といった感じの意味です。
reductionは、減らす・小さくする・少なくする、という感じ。

なので、ハームリダクション(harm reduction)は
害を小さくすること、くらいの意味で理解しておけば、大体は大丈夫かなと思います。

この言葉が使われるときの“害”というのは、健康に関する害です。
本人自身のとる行動が、健康を害するとわかっていても、それそのものを回避することが難しいようなとき
その行動によってもたらされる害を、せめて小さくしましょう

というのが、ハームリダクションです。

なおこの“行動”については、合法であるか否かは問いません。
そこを問うのは後回し。


で、この言葉がどのような場面で使われるか、なのですが
多いのは、薬物関係の話題です。

薬物の使用が、使用者の体を害する。
そのことがわかっていても、なかなかやめることが難しい。
であれば、
せめて使用による害ができる限り小さくなるようにしましょう。

という話です。

目的を「薬物使用をやめさせること」におくのではなく、
「薬物使用による健康上の害を低減しよう」におきます。

とても合理的な判断だと、私などは思います。

目的が「薬物使用をやめさせること」から「薬物使用による健康上の害を低減しよう」に変わると何が起こるかといえば
予防啓発上の行動が変わります。

たとえば
「注射器を取り上げよう」ではなく
「清潔な注射器を使えるようにしよう」となります。

“不衛生な注射器の利用、注射器の回し打ちによる重篤な感染症を減らす”というところに目的が置かれるからです。

「薬物使用者に清潔な注射器(針)を提供しようなんておかしい!」という声もあるでしょうが
清潔な針を提供しようがしまいが、薬物使用者は薬物を使用し続けるのです。
そんな中、注射器の回し打ちだけでもなくすことができれば
C型肝炎やHIVへの感染は、確実に減らすことができます。

より衛生的な環境で薬物を注射できるよう、合法的な施設が作られるような国さえあります。
「違法薬物であっても、その施設の中であれば、注射しても罪には問わない」というような場所です。
路地裏やトイレの中などで隠れて打つ必要がなく、清潔な注射器がありますので、使用者はより安全な環境を手にいれることができます。使用済みの注射器が道端に転がっているような事態も減ります。
施設には医療関係者が常駐していて、より安全な注射の方法を聞いたり、何か重篤なトラブルが起きた際には医療的ケアを受けたりすることができます。
そして、「薬物をやめたい気持ちがある」となれば、
やめるための治療を受けるための機関につないでもらえます。

「薬物使用を推奨する気か!」という声が上がることもあるそうですが、そうではなく、あくまで健康被害を低減させることが目的です。

この概念が浸透すると、最近「逆効果」という声も聞こえるようになってきて、問題になっている
『ダメ!絶対!!』
『覚せい剤やめますか? それとも人間やめますか?』
というようなコピーもなくなっていくんじゃないかな、と思います。

薬物事件のニュースなどで、多くの場合、白い粉や注射器の画像が使われてしまうケースに関し
「依存から抜け出そうとしている人に喚起してしまう」という指摘がなされることも増えてきましたが
そういうケースも減って、
合法的に使用できる施設が映されるようになったり、
より安全性を高めるためのアドバイスができる医師のコメントが出されるようになったり、
治療や支援のための団体のロゴだ映されるようになったりもするんじゃないかな、とかも思います。

そんな感じです。


ハームリダクションの概念は、薬物以外のトピックスでも利用できます

そのままスライドできそう、って思えちゃうくらい親和性高いのが、自傷でしょうか。
リストカットとか。
清潔な刃物を使えること。
「出血が多すぎるよ!?」みたいなことになったら、医療支援をすぐに受けられること。
そして、やめようと本人が望んだらそのタイミングで、支援が受けられること。

でもこの概念、“そのままスライドできそう”な話題だけじゃなくても、いろいろ有効なんじゃないかなーと思うのです。

たとえば、セックスワークのこと。

たとえば、とか言いつつ、これが言いたいような気持ちになったから、今これ書いているんですけどね。

セックスワーク。
性的なサービスを、仕事として提供すること。

セックスワークというと、
その仕事に従事することは“被害”であり、“従事者はもれなく被害者である”とする声が上がったりします。
だから、そんな仕事は存在するべきではない、というような声が出てきたりもします。

「セックスワークは悪いものである」という声が上がることもあります。従事者は加害者である、という声です。
だから、(結局は)そんな仕事は存在するべきではない、という声が出てくることもあります。

セックスワークを“原始的な仕事”だとか“聖職”だとかにたとえて、
愚かだとか、欠かすことのできない必要悪だとか、逆に「こんなに危険で大変な仕事をするなんて素晴らしい人たちだ」だとかの声が出てくることも、ありますよね。

“セックスワークに関する議論”や声は、
たびたび、多々、そして日々、巻き起こっています。

議論の結論を出すことは難しいでしょう。

関わり方、見方、自分の身を置いているポジションによって、また主張をする理由によって
議論の結論なんて、割れるに決まっています。

でも、共通して持てるはずの意識もあるはずなんです。
「今その仕事に関わっている人たちが、危険な目にあったり健康を害するようなことがあったりしちゃダメだよね」
という点です。

セックスワーカーを被害者として見ている人はもちろん、
加害者だと思っている人たちだって。
“あの人は悪い人だから、危険な目にあって病気になってしまえばいい”
なんてことはないでしょう。
たとえ法を犯した人であったって、人権はあるでしょう。

ここで、ハームリダクションです。

セックスワークの、その行為の良し悪しはいったん脇に置いて、
まずは健康上の被害を低減させることを目的におきましょう。
かかわる人たちが、より安全にいられるようにしましょう、という話です。
望んでワーカーをしているのであれ、そうでないのであれ、
どのような理由や経緯でそこにいるのだとしても、
より健康に、より安全にいられた方がいいことに変わりはありません。

仕事を強要されているような場合には
即刻、そこからの救出がなされ、回復がなされるべきなのは間違いありません。
そこに異論は一切ありません。
ただ単純に、健康や安心や安全が蔑ろにされるべきではない、という話です。

強要が起こってはならないことと、
そこに身をおく人たちが健康に、安全に、安心して働けることとは、
まったくもって対立させる必要はなく、
優先順位をつけるべき話ですらなく、
両立ができる話
のはずなのです。


コンドームが利用できるようにしましょう。
医療へのアクセスのハードルをもっと下げましょう。
裁判で、職業を理由に不利な判決を受けないですむよう、偏見をなくしましょう。
転職を望む人がいるなら、それが阻害されないよう、差別をなくしましょう。

健康や安全や安心のための議論なら、具体的にできるはずなのです。


……っていうのは、ダメですかね。


ハームリダクションの考え方は、万能薬ではないです。
だから、セックスワークに関する“議論”に結論を出し、“解決”させることもできません。

私などは
セックスワークはワークだ、と思っているので
やりたくない人はその仕事につかないでいる、なんてのはもちろんですが
いま、どのような理由からであろうとその仕事をしている人のことを、
被害だとか加害だとか、原始的だとか聖職だとか、つべこべ言って分析してんなようるせぇなぁ、無礼だろうが! 余計なお世話じゃないの!???
と思っていますし、
性的交渉で唯一絶対なのは“合意・了承がとれていること”だと思っているので
法律で禁止されている“売春”(挿入行為を伴うもの)だって何が悪いのさ、と思っています。
同じ合意による性的交渉なのに、なぜ金銭やりとりの有無だけで罪ってことにならなきゃいけないのかがわからないんですよ。
(※上記全て、成人同士での話に限ります)

だから、最終的には“議論”では喧嘩にはなると思うんです。喧嘩上等。
“議論”の決着は、つくまでには時間だってかかるでしょう。

でも、その議論をしているわきで
従事者の健康や安全が損なわれていちゃダメだと思うんですね。

”決着”がつくまでの間、議論に巻き込んで、ワーカーの健康や安心や安全へのアクセスを阻害して、蔑ろにしてはいけないです。

大事なのは命で、人生で、生活なので、
だからともかく、健康と安全と安心のための話をしましょう


そういう話ができたらいいなぁと、ずっと思っています。


おわり。

以上、全文無料でした。

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