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Prospectiveー田中隼人[3]

それは7月も終わろうとしていたある日のトレーニング。

照りつける太陽に晒されながら始まった、第23節・神戸戦への準備の中だったという。

「紅白戦の日、チーム分けの際にスタメン組に自分が呼ばれました。最初は『え?!』って驚きがまずあって、左CBに自分が入る形で、『よし、来た!』と気持ちが高まっていきました。要求されることはある程度理解していたので入りやすかったですけど、一緒に公式戦をプレーする機会がまだ少ない先輩たちの中に入ってプレーするという戸惑いはありました。その日に監督室に呼ばれて、ネルシーニョ監督からゲームプランの説明がまずあって、『いいか?神戸戦は隼人の出番だ。左CBでいくぞ。太陽と隼人は違う選手。自分が持っている能力を信じてプレーすれば大丈夫だから。まずは自分のプレーを最優先に』と言ってもらえて一気にスイッチが入りました。(上島)拓巳くんからも『自分たちが隼人をカバーをするから、ミスを恐れないで隼人らしく思い切っていこうな』と励ましてもらいました」


その週末、欠場となった古賀に代わり、神戸戦にスタメン出場した田中は個に優れたタレント揃いで知られる神戸の攻撃に対して全身全霊で立ち向かってシャットアウト。チームはA代表帰りの細谷真大が奪ったゴールを守り切って勝利と、田中は待ち焦がれたJ1デビューを白星で飾った。

「神戸戦では守り方も含めてすごく良い経験となりました。試合の中で難しさや課題を感じながら、少しずつですが適応できていた気がしています。周りの先輩たちからは『隼人、よかったよ』と言ってもらえて、最低限ホッとはできていましたが、たくさんのミスがあった。内心では『このままじゃいけないな』と実力差を痛感していました。結果として、チームの勝利に貢献できたのがうれしかったのはありますけど、客観的に自分を見てみると、まだまだ周りの先輩たちに助けられてばかり。『チームを勝たせるプレー選択ができていない。まだそこまでいっていない』というのが正直なところでしたから」

続く第24節・京都戦では立ち上がりの不安定さから失点を喫して、ビハインドの展開が長引いた試合だったが、チームは試合終了間際に生まれた武藤雄樹の決勝ゴールで連勝。トランジションの応酬となりかけた試合展開の中で田中は最終ラインでボールを弾き返すだけではなく、相手のサイド攻撃を寸断してからスペースを陥れて起点となり、攻撃へ参加するなど、守備での好パフォーマンスだけではなく、持ち前のポテンシャルも披露しつつ京都遠征を歓喜で終えた。

「2試合連続で出場した京都戦では相手の前でボールを奪ったり、そこから攻撃に切り替えたり、自分の理想的なプレーも出せていた。どちらの試合も『前で相手を潰す』という仕事を求められていたし、神戸戦で感じていた感覚を活かして、しっかりこなせていたことが自信にはなっています。それまでのカップ戦もモチベーション高く臨んでいましたし、当時は自分とのレベル差を感じる大会でしたが、J1というのはまた一味違う責任が伴うリーグだと実感していますし、監督の信頼を勝ち取る意味でも重要でした。続けて出場機会をもらえた中で2つ勝てたことは自信になってはいますが、ビルドアップや判断の向上、チームを勝たせる仕事が目の前にある課題。もっともっと頭の回転を速くして、プレーしていかないと」

喜びもそこそこに彼にとってのもう一つのチームであるUー19日本代表合宿へ合流していった。

少し前と比べたら、明らかに慌ただしい日々の中で「Jリーグで戦う」という意味と「主力選手に求められること」を肌で実感していた、その一方で、Uー19代表でのUー19ベトナム代表とのトレーニングマッチでは明らかな違いを示してみせるなど、実戦経験の差を見せつけるなど、良い夏を過ごした。

この後、古賀の復帰を受けてサブに回った田中の次の出場機会は第27節・三協F柏での東京戦。この日は古賀が右CBへ回り、田中が左CBを務めたのだが、高橋祐治が頭部の負傷により途中交代。レイソルは3ゴールを奪い、東京も追加点を奪う撃ち合いの様相を呈していた81分。負傷の高橋に代わって投入されていた上島に退場処分が下され数的不利に陥り、最終的には3ー6で敗戦。さすがに肩を落としていた。

「あの東京戦…もちろん、自分では『もうこれ以上の失点はしないんだ』と何度も相手に臨んでいました。でも、結果として、6失点。悔しいし、サポーターに申し訳ないのは当たり前ですが、Jリーグの中でも特に優れた個を持つアダイウトン選手やルイス・フィリピ選手にゴールを許してしまったのですが、1年目のあのタイミングで、あのレベルの外国人選手が持っている力量を知れたことは重要な経験となっていますし、続けてスタメン起用してもらえた上に、2連勝してからの試合での6失点はさすがに堪えましたけど、連勝中に得てきたものを全て失ってしまったわけではないので、良い経験として書き換えられるようにしていきたいです」

この試合の中で生まれた「退場者が出て、5バックから4バックへ」というシチュエーションは田中にとってもらえたまだいくつも残されている「プロ初」の事案であり、難易度がなかなか高いものではあった。何しろ、田中が一方的に前で守備をすれば、背後は古賀とGKの佐々木雅士のみ。だが、ドッジや椎橋慧也を押し出して、チームの反撃に厚みも出したいとボールを追っていると、東京のアタッカーたちがしたり顔でトリブルを仕掛けてくる。そもそも個に優れた外国人選手にスペースを献上したくはない。シュートを撃たれてしまうなら、せめてコースを限定して佐々木に託したい。しかし、その数秒後には引きづられるようにドリブルの餌食となり、また数分後には東京サポーターの大歓声を聞きながら、吹き出す汗を拭いながら立ち上がり、反撃に出るしかないという夜だった。

真っ直ぐな目でこちらを見た田中はもう一度東京戦での経験を咀嚼しながら、こう話した。

「あのタイミングで相手に6発やられてしまう経験はなかなかできない。もちろん、自分たちは勝利のためにプレーをしていますけど、間違いなくあの東京戦での経験は1つの『転機』となりました。DFとして必要な経験をして、今後どんな準備が必要なのか、どんな対応をすべきなのかをもう一度より深く考える機会になったので、自分の成長のためにも良い機会にしなくてはいけない。きっと、まだ『自分は1年目の選手だからさ』と置いておくこともできるんですが、それはちょっと違うなと思うんです。だから、『ああいった状況でも自分たちでなんとかしなくてはいけない』と強く感じたことが最大の経験ですね」

やや極端ではあるが、守備者としているのならば、遅かれ早かれ付き纏う「対人守備」という能力において重大な経験を積んだ。

それはあたかも田中の気概を試すかのようなタイミングとボリュームで。季節の移ろいなど感じさせないほどに照りつける強烈な日差しと同じくらいに2022シーズンの連戦は容赦がなかった。

大量失点の傷を前向きな思考で手当てしているうちに次のスケジュールがやってきた。また新たな経験を連れて。

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