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Mildnessー土屋巧

2021年9月16日ー。

柏レイソルは「日本体育大学柏高等学校・土屋巧選手新加入内定」という旨のプレスリリースを発信。そのプレスリリースには、「2015年にスタートした柏レイソルと日本体育大学柏高等学校(日体大柏高)とのアカデミー選手育成における相互支援契約下で初のトップチーム選手が誕生した」とあった。

現在、柏Uー18の監督を務める酒井直樹氏や永井俊太コーチなどが日体柏大高サッカー部に籍を置いて指導を行うことや選手たちの往来も盛んになるなどの人材交流は続いていた。その粛々とした6年の歩みの末に「土屋」という選手が加入。当時はまだ「彼の愛称は『ツッチー』で、守備的なオールラウンダータイプの選手。レイソル以外にも熱視線を送っていたJクラブがいくつかあった」という情報以外、土屋の正体はベールに包まれていた。

そして、2022年1月ー。

モニターの向こうにはレイソルアカデミー組のルーキーたちと共に笑顔でインタビューを受けている土屋の姿があり、堂々とインタビューに応じていた印象が強く残っていた。

そして、1月始動時、私たちメディアが見られる限り、シーズン始動後も気の知れた同期たちだけでなく、先輩たちの輪にも加わるなどチームにも溶け込んでいったように映っていたし、決して見ている側を一瞬で虜にする魔法を持った選手ではないが、飾りのないシンプルで丁寧なプレーが与える残像には将来性を感じた。また、練習後の「居残り練習」で見せていたロングボールの質には光るものを感じさせた。

そんな中、ルヴァン杯で積極的に若手を起用したネルシーニョ監督の意図の下、デビューのタイミングは比較的速く訪れた。

4月のルヴァン杯第4節・鳥栖戦でCBとしてプロデビュー。升掛友護や鵜木郁哉、アンジェロッティのゴールもあり勝利で試合を済ませると、「J1デビュー」となった8月の第23節・京都戦と第24節・広島戦ではMFでスタメン出場してみせる汎用性を披露。「京都戦、武富(孝介)選手は上手かったです」と謙遜しながら安堵の表情を見せていた。

ルヴァン杯やトレーニングでの様子を見る限りではMF登録でありながらDFとして備えているように見えていた分だけ、中盤でボールを捌こうとピッチを走る姿には淡い驚きがあった。そのような考えから、「ポジションはどこなのか?」と問うと、土屋は指折り数えながら「結構、多いんですよ」とカウントを開始した。数えながら折る指がこちらの想定以上だったことに驚くと微笑んだ。

「日頃から色んなポジションをやらせてもらっているんです。右CBを中心に、守備的MFや右SBもやりました。J1デビューはインサイドMFでしたしね(笑)。あと、左WBでもプレーしたことがありますよ。自分は考えて分からないことがあれば、すぐに井原(正巳)さんや栗澤(僚一)さんに相談するんですけど、お2人からは『様々なポジションでプレーすることはこの先に繋がるからね』と後押ししてもらっているんです。確かに今しかできないことだと思うので、これからもたくさんの経験を積んで、『いつかは守備的MFとして成功を』って夢があるんです」

ボール保持者への対応、パスを放つ、あるいはパスをキャンセルするその判断も非凡なそのプレースタイルに加えて、実際にはもう少し大きく見える公称「178cm」の上背。そして、今季レイソルで唯一CKからヘディングシュートを決めている(6月22日天皇杯・徳島戦)「ハイ・ヘッダー」という属性も興味深い。「実はツッチーってヘディングがすごく強いんですよ。CKの練習でもよく決めているんでうらやましいです」と話してくれた田中隼人を始め、周囲もその強さを認識しているという。

これらの守備的MFとして欠かせないスペックに期待が掛かるが、土屋の今を作り、また、未来を煌々と照らしうる最大のスペックは「一手先の展開を読むこと・考えてプレーをすること」。

それは栃木県宇都宮市でサッカーと出会い、子ども心に「いつかサッカー選手になるんだ」と夢を描いた頃だった。

「小学生時代にクラブを移った際、チームのレベルが高くて、周りは上手い選手ばかりでした。技術的に全く敵わない選手ばかりで、自分にはポジションがなくて、イヤイヤながらGKをやることもあって…大好きなサッカーが嫌いになりかけていた時期があるんですよね。そこで父と話し合って、『もっと考えてサッカーをしていこう』と決めてから状況が変わりました。先を読んでプレーして、『チームのためにボールを奪って、チームのためにパスを出す』というような。それに気づいてからはまたサッカーの楽しみが増えました」

ややもすれば、幼年期の発育状況や運動能力に頼ったプレーに終始してしまいかねない時期に見出した、その「気づき」から10年ほどの時間の中で、手塚康平(鳥栖)と同じ「ともぞうSC」でサッカーキャリアスタートさせた栃木県宇都宮市から千葉県柏市に越境。日体大柏高でその能力に磨きを掛けて、柏レイソルでプロサッカー選手に。プレースタイルが故、彼のアイドルが大谷秀和と遠藤航(シュトゥットガルト)というの点も頷ける。共に「一手」に留まらない先を読んだプレーを極めた日本の名手だ。

8月に見せた好パフォーマンスを受け、田中と共にUー19日本代表へお呼びが掛かるも、「チームの都合により」招集を見合わせたこともあった。その後、再招集には至ってはいないのは少し残念だが、2023年3月開催予定の「U20アジアカップウズベキスタン2023」では、是非とも「チームのためにボールを奪って、チームのためにパスを出す」土屋の姿を見てみたい。もちろん、そこには「所属クラブでの出場機会」という担保が必要となるのだが、各クラブのエリートたちが集うUー19代表世代にあっても土屋は面白い存在になりそうだ。その理由は彼のアイドルの1人がカタールで示した重要性がここで論ずる以上に雄弁だ。

そして、2022年11月ー。

「このままシーズンが終わってしまうのかな…」

リーグ終盤の選手起用を見るにつけそんな思いが頭を過っていた土屋にチャンスが訪れる。

「湘南戦はスタメンだ。いけるよな?今年一年の努力の積み重ねを見せてきなさい」

最終節・湘南戦を前にしたある日に土屋を呼び寄せたネルシーニョ監督からそう告げられた。

久しぶりのJリーグ。しかも、スタメン。だが、土屋にとってこの試合にそれらの集大成的な意味を含め特別な意味を持った試合だった。

まず、1つは自身の憧れの存在であり、研究対照としている大谷の現役ラストマッチであること。

「自分としては『大谷さんのラストマッチに間に合った!』という感激がありました。大谷さんに対しては、人としての素晴らしさに憧れていて、こんな自分にも他の選手たちと分け隔てなく付き合ってくれた人。人間性だけではなく常に全力で真摯に練習に取り組む姿勢に大きな影響を受けていました。自分にとっては『サッカー選手の鑑』のような人でその言葉でも足りないくらいの存在です。いつも間近で大谷さんのプレーを観察していました。1シーズンだけでしたけど、このシーズンは財産になるはずですし、これからもたくさん学びたいと思っています」

もう1つは「プロフェッショナルの鑑」だと語り、その存在に敬意を持つ元柏レイソルFW・工藤壮人さんへの感謝をピッチで示すことだった。実は土屋と工藤さんの間には2020年以来、このような時間が流れている。

「壮人さんがオーストラリア・リーグでプレーする前に日体大柏高サッカー部で調整をされていて、自分も一緒にトレーニングをさせていただきました。高校生の中に混じっても、自分たちからすれば、『レイソルのスター・工藤壮人』。練習の中でもレベルの高い要求をすることで、壮人さんが生きてこられた『プロの世界』がどんな世界なのかを感じさせてくれました。何度も話をして、時には強い言葉やアドバイスをもらいましたけど、良い判断ができたら笑顔で褒めてくれるんですよね。顔がクシャってなるあの素敵な笑顔で。壮人さんとの出会いがあって、その姿勢を見て、改めて自分は『自分もプロになりたい』って強く思うようになりました。だから、どうしても、あの湘南戦では同じユニフォームを着ている姿を壮人さんに見せたかった。アームバンドをして、あの日の空に黙祷を捧げながら、自分なりに感謝を伝えていました。『壮人さん、見ていてくれますか…』って気持ちを」

2人の恩人のためにも逞しい姿を見せたかったのだが、試合では上手くいかなかった。残念ながら、土屋が湘南が決めた2つのゴールを見届けた後、ネルシーニョ監督は戦術変更を決断。52分に細谷真大と交代でピッチを去る形に。「すごく悔しかった」と唇を噛んだ土屋はこう言葉を続けた。

「あの日マッチアップした町野(修斗)選手にスペースを与えて使われてしまった。間違いなくそこは自分の責任ですし、力不足。2点目も自分の前でシュートを撃たせてしまっていた訳で。湘南戦は反省しかありませんけど、町野選手は上手かった。悔しいですけど、Jリーグの中でも優れた素晴らしい選手と対峙できたことを今後に繋げていきたいですし、次に対戦することができたら絶対にやらせてはいけない。必ず止めるつもりですし、自分には起用してもらえた試合で結果を残すという基本的な課題が残っているので、この経験を来年へ繋げていきたい」

土屋の人間性が透けて見える表現でシーズンを総括した土屋に朗報が届いたのは11月12日だった。「第101回全国高校選手権千葉県大会決勝戦」に進出していた母校・日体大柏高が名門・市立船橋高を破り、同校サッカー部の悲願であった「全国高校サッカー選手権」本大会出場を決めた。さらに来季は土屋に続き、FWオウイエ・ウィリアムの柏レイソルトップチームへの新加入内定が決定するなどレイソルと日体大柏高のあゆみも新局面を迎えている。

「やっぱりまだ『千葉県の高校サッカーといえば』となると、他校の名が挙げられますよね?後輩たちもその千葉県の高校サッカーの歴史を書き換えようとがんばってくれているのは刺激になっていますし、自分を通して母校をイメージされることもあると思うんです。さらに日体大柏高サッカー部の価値を上げるためにも、自分の今後次第ではもっと良い方向へ広げられるので、もっと力を付けて、中学生が進路を選ぶ時に『レイソルのボランチの土屋巧は日体大柏高出身。自分も行きたいな』と思われるような選手になりたいですね。自分はまだ場数も足りず、荒削りな選手ですが、全力で練習に取り組んでレイソルで戦っていける選手になりたいです」

実にルーキーらしいデビューシーズンを終えた土屋だが、彼が話してくれたことから見える感受性や人間性、世界観はこちらに明るい未来を想像させる何かを感じた。さて、土屋が見せる「次の一手」やいかに。

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