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「fenómeno ー 細谷真大(1-2)」 

ルーキーイヤーの細谷真大。背番号は35

「チームを勝たせられるゴールを」

そう口にしてきた細谷真大が初めてその仕事を果たしたのは2021年8月、ノエビアスタジアム神戸だったー。

少し居心地悪そうにzoom画面の向こうにいた細谷は、自分自身の置かれた状況を客観的にこう話していた。

「2種登録時代にも試合で使ってもらえて、そこからトップチームへ昇格させてもらって…少しずつですが、自分らしさも徐々に出せていた感触はあって、1回、『ピーク』っていうのがあったとは思うんですけど、結果となると、出せずにいて、出場機会も減ってしまい、ピークから右肩下がりになっちゃっていて…今はそれをなんとか取り戻している時なんだと思う」

今の自分に必要なものは、自分が一番理解していた。五輪中断前の7月にも素晴らしい反応から一矢を報いていたのだが、チームを勝たせるには至らず、中断明けのリーグ再開へ向けてもう一度足下を踏みしめたところだったという。

少ない出場時間でも独特の存在感を示した

この日、細谷は武藤雄樹に代わり、87分から投入された。時間帯、東京五輪明けの再開初戦という状況を考えれば、勝点1を持ち帰れるだけでも御の字といったシチュエーションではあったが、細谷は最前線に起用され、瀬川祐輔(湘南)とクリスティアーノ(長崎)と目配せをしながらボールを追った。

「あの時、『積極的に裏を狙って、相手のラインを下げたい』という攻撃のイメージはまずあって、『もう一度プレスのスイッチを入れられたら…』という守備のイメージもありました。でも、自分か強くプレスにいったとしても、スタートから出ている選手たちは体力的についてくるのが精一杯だと思いますし、プレスのタイミングやオーガナイズの強さを考えながら、工夫しながらというか…残り時間も限られていたので、どうしようか、少し難しかったです」

どのような指示を持ってピッチへ入ったのかはネルシーニョ監督と細谷のみぞ知るところだが、みるからに、ホームで勝ち切りたい神戸は勝ち越しを狙い前がかり。まさに、「守備から入って欲しい。前から来る相手は背後が空く。そのスペースを使ってゴールを狙え」という展開だった。

90+5分。その少し前。

センターサークル付近でのトランジション。瀬川〜三原雅俊〜細谷〜三丸拡〜瀬川と渡ったボールをクリスティアーノへ展開。中央を見ながら右サイドからボールを運ぶクリスティアーノ。細谷は広大に広がったスペースを捉えながら、やや左のレーンからゴール前へ走った。

「結果を出したいのであれば、もっと早くゴール前へ飛び込むなり、パスを呼び込めよ」

まだ自分の未来が不透明だった1年以上前に自らに誓った課題と再び向き合うには最高のシチュエーション。細谷が丁寧に転がしたボールはゴールへ吸い込まれていった。プロ初の勝ち越しゴール。その時間帯からして、プロ初の決勝ゴールだった。

ゴール右半分を空けた状態の相手GKに迫り、あとは軽くボールを叩けば…というシチュエーションだったが、細谷はシュートシーンをこう回想した。

「実はあのシュートの瞬間は緊張していました!ああいうシュートって苦手なんで(笑)!」

近未来の素晴らしい予感を漂わせるような、豪快なプレーの数々で私たちを魅了してきた選手にしては少し意外な回想ではあったが、あの頃の細谷にとってはついに訪れた千載一遇の瞬間。慎重にプレーを完結させた。

また、次に発したコメントからはあの10数秒程度の時間の中でのFWとしての機微がうかがえる。かつて「パスの出し手と目も合わないし、ボールも来なかった」、その事実に頭を悩ませていた1人のFWは様々な想定をしながら、その瞬間を迎えていた。

「交代の際に細かなポジショニングの指示っていうのは…なかったと思うんですけど、ミツくんへボール渡した時に、『もう一回、自分で裏へ抜けてからボールをもらおうかな』と思いながら…『クリスがシュートを打つかもしれない』という予感もあった。だから、走りながら、『シュートのこぼれ球だ』と狙っていたら、自分へ向かって横パスが来て。『来た!』って思って…あとはゴールへ流し込むだけでしたけど、一気に緊張しました。あのパスを決められてよかった!」

ボールの行方を確認すると、高く跳ね上がり、「バモース!」と咆哮。コーナー付近で待ちうけるチームメイトの歓喜の輪へ飛び込んでいった。手荒い祝福も最高の瞬間だったことに変わりはないのだが、「あの時なんですけど、マサ(佐々木雅士)が軽く踏んできて、それだけは気に食わなかったですね、うれしかったけど、内心は『それは違うだろ、マサ…』とは思っていました(笑)」と冷静さも失っていなかった。

GK佐々木雅士とのパリ五輪日本代表コンビ

勝点3を獲得したことも素晴らしいが、細谷にとってこの成功体験は何よりの手土産。この数分の仕事の中で柏レイソルのFWとして生きていく真髄や在るべき姿、そこへ向かう自信を見たという。

「自分の中で、『J1でもやれる』という感触はあっても、『ゴールを決める』という結果や経験があまりなくて、いつも最後の最後で少し迷っていたり、焦ってしまっていたり、力が足りてないと感じていました。アカデミー時代を含めて久しぶりの決勝ゴールはうれしいですが、『チームが苦しい時にチームを助けてみせる』というのが真のFWの姿だと思っているし、その気持ちはプロになってより強く意識していた部分でもあるので。この試合でのゴールはそういう結果を初めて出せたという部分で良いことですし、自信もついたかなと」

また、翌日のあるスポーツ紙面では、同じくこの試合でゴールを決めていた神戸のホープ・小田裕太郎と共に、「パリ五輪世代」として括られた広めの割付けで展開されていた。「また、がんばらなきゃな」と呟きながら、その紙面を手に取り、こう話した。

「意識はしていましたね。ポジションやプレースタイルが似ている選手でもあるし。あの試合では目の前でゴールを決められていたので。試合後に『何点目?』なんて話していました。自分はこの先の『パリ五輪出場』が今の大きな目標。レイソルでスタメンで試合に出て、ゴールを取り続けないと、その先やそこへ向かう道なんて全然見えてもこないと思うので、練習から貪欲にやって、もっと力を付けてスタメンに定着できる選手になりたいです。今はまだ良く言っても、『スーパーサブ』みたいな位置ですから」

この頃、徐々に自分の間合いで仕掛ける機会が増えた

ちなみに、この試合後、見るからに興奮状態のままで臨んだヒーローインタビューの際に発した「負けるわけにはいきませんですし!」については、「ああ!あれは自分でも何を言っているのかよく分からない状態で言ったんですけどね。使ってください(笑)」と笑顔を見せていたのだが、自身の本質や立ち位置、高い志がうかがえる感情面の良い「言語化」だった。

この頃はまだまだ「頻繁に」というほどの代表選出も合宿の機会自体も少なく、未曾有の事態が世界中を覆っていた中で開催された東京五輪が閉幕した直後の時期でもあった。

かねてから細谷が、「ジュニア・ユース時代に対戦して以来、自分にとって常に刺激的な存在の1人」だと語る斉藤光毅(スパルタ・ロッテルダム)は一足先にその高い能力を披露して欧州へ渡った。Jリーグを俯瞰してみても、藤田譲瑠チマ(横浜FM)や鈴木彩艶(浦和)、そして、小田といった活きの良いタレントたちが様々なステージで芽吹き出そうとしていた。細谷もそんな個性豊かな年代別代表の1人としてのストーリーが始まろうとしていた。

背番号が示すように五輪代表では最前線で奮闘

この新たなるストーリーのイントロとしてふさわしい感慨を前出の芳賀氏(南葛SC)はこう話し、目を細めた。

「A代表の久保建英(レアル・ソシエダ)はもちろん、斉藤光毅を筆頭に藤田譲瑠チマ、山本理仁(東京V→G大阪)、櫻川ソロモン(千葉)、西川潤(鳥栖)だっている…まだまだとんでもない才能や素晴らしい個性を持った選手たちがズラリと揃っている世代の中で、マオがしっかりと勝ち残り続けているのは本当にすごいことですよ。昔から高い能力は持っていたのは間違いない…でも、このスピードで日の丸を付けて戦う選手になるなんて。さすがにこのタイミングでそこまでは考えていませんでした。マオが五輪代表ですからね、誇らしいですね」

細谷はこの8月、大嶽拓馬と共にパリ五輪代表の前身となるUー20日本代表に選出。そして、そこに佐々木や小久保玲央ブライアンが合流し定着して自身の新たなストーリーを描いていく。

「細谷真大」という1人の選手が生み出す「現象<fenómeno>」はここから更なる加速を見せてゆく。

このチームではどのような未来と現象を作るのか


つづくー。

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