Wer ist Tatsuya Ito?

ドイツ・ブンデスリーガ第6節。レヴァークーゼン戦の終了を告げるホイッスルを聞きながら、ボールを足下でこねて明らかに消化不良な様子を見せていたのはハンブルガーSV(HSV)の背番号43、柏レイソルアカデミー出身のFW伊藤達哉だ。

「正直に言えば、『頼むから、もうワンプレーだけでもやらせてよ…』と思っていたんです」

初ベンチ入りとなった第5節ボルシア・ドルトムント戦では出場機会は得られなか ったが、2試合続けてベンチ入りを果たしたこの日ついに憧れだったブンデスリーガのピッチに立った。状況は残り約10分で3点のビハインド。出来ることは限られていた。だが、大きな一歩であることは間違いなかった。

「今季はリザーブチームで攻撃の中心になれていて、少しずつ結果も付いてきていたので、『年内にはトップチームへ招集されたい』と考えていました。開幕直後からトップに怪我人が相次いだこともあり、自分が思っていたよりもだいぶ早くトップチームへ絡めるようになったので、『出番を掴んだ』という感覚はなくて。ただ、自分なりに準備を進めてきたつもりだったのもありますし、練習の感じからも、ドルトムント戦のベンチ入りは予想していました」

本来はHSVのリザーブチームであるHSV・Uー23チームでプレーしているが、9月からトップチームに合流していた。状況としては、Jリーグの「第2種登録」制度をイメージすると理解しやすいのかもしれない。

そして迎えた第7節ヴェルダー・ブレーメン戦。北ドイツのチーム同士のダービー・マッチ「ノルト・ダービー」で独特の熱を帯びるホームのフォルクスパルク・シュタディオンで、伊藤はついにキャリア初のブンデスリーガスタメン出場を果たし、左サイドハーフとして注目をさらった。伊藤はこの試合へ臨むにあたっての心境をこう回想した。

「試合前の入場の時には『5万人を超える観客が応援してくれている。絶対に活躍して、この観客を驚かせよう』という気持ちでしたし、良いモチベーションを持って試合には入れました。入場してスタンドを見ると頼もしい気持ちになる光景が広がっていました。テレビの前やスタンドにいた自分が、観られる側にいるんだなという実感もありました」

伊藤の最大の武器は切れ味鋭いドリブルだ。左右どちらでもプレーできるが、得意としているのは左サイドで、この試合でも見せたように左サイド45度のエリアでボールを受け、右足でボールを扱って縦へ仕掛けることも中央へカットインすることもできる。これまでもマッチアップした選手を手玉にとるようなドリブルでサッカー人生を切り開いてきた。

ダービーらしい特別な強度を持った戦いが展開される中、徐々にプレーに関与。この夜もドリブルで自身がリズムに乗るだけでなく試合の流れも引き寄せ、類い稀な才能の片鱗を見せつけた

しかし、夢にまで見た舞台は突然の幕切れを迎える。両足に痙攣を起こした伊藤は、後半7分に惜しまれながら途中交代。こみ上げる悔しさの余り、地面を蹴るような仕草を見せうつむき加減でピッチを去る背番号43に、スタジアムからは万雷の拍手が送られた。伊藤はその状況を飲み込むことに少々時間がかかっている様子だった。

「スタジアムからの拍手は本当にうれしかったですけど、『自分はこんなもんじゃないんだ』っていう気持ちでスタジアムの光景を見ていたんです」

両足の痙攣には本人が一番驚いたというが、それはブンデスリーガのプレー強度、本場の凄みを感じさせることでもあった。それでも鮮烈なプレーを見せた若者に、現地専門紙は最大級の評価を与え、日本国内でも伊藤の名前を目にする機会が確実に増えている。

ドリブルにも表れているが、勝ち気な性格の伊藤。これまでも「こんなもんじゃない」という思いを持ち続け、ステージを上げてきた。

柏レイソルアカデミーの取材を通して、伊藤の実戦でのプレーを初めて見たのは薄暮の日立柏サッカー場人工芝グラウンドだった。

当時、主力選手たちが前後半45分を戦い終えた後に行われる「3本目」や、千葉県リーグが伊藤の主戦場だった。背番号35の伊藤はまだボールボーイや試合運営の手伝いをしながら、試合終了を待つ立場の選手だった。ただ、はっきりと覚えているのはこの頃からすでに「自分の武器はドリブルです。ドリブルには自信があります」と話していたことだ。

左サイドでプレーをしていた伊藤は時折鋭いドリブルやフェイントから好機を演出するものの、一度二度ドリブルを失敗すると次第に意気消沈。プレーのリズムを失い、攻守の切り替えで取り残され、最大の武器であるドリブルを仕掛けるためのポジショニングで遅れを取り、パスを主体に試合を進めるチームの戦術から消えてしまうことも、パフォーマンスに悔しさを滲ませながら俯き加減で試合を終えることも少なくなかった。

当時はまだ高校1年生。心技体すべてで「蒼さ」が否めず、体力的には及ばない相手を前に、さらに言えば、パス主体のチームの中で「ドリブラー」という居場所を見出すには至っていなかったのだが、時折垣間見せる才能の片鱗とも言おうか、その「蒼さ」に眠るキラリと光るものは隠しようがなかった。

伊藤にとっての転機のひとつが2013年12月の「さいたまシティカップ」だろう。

この頃、中谷進之介や白井永地(水戸)らが「プレミアリーグEAST」昇格を決めアカデミーを卒業。大島康樹や中山雄太、手塚康平らを中心にした新チームへの「代替わり」を進めるチームの中で伊藤は出場機会を得た。

グループリーグから徐々に出場時間を増やし、決勝戦の浦和レッズユースとの一戦では左サイドハーフとしてスタメン出場。中山や手塚を擁した中盤から供給される質の高いボールを左サイドで収め、水を得た魚のようにドリブルを仕掛け続けた。チームはこの試合に勝利し大会を制覇。翌年のプレミアリーグEAST参戦へ向け幸先の良いスタートを切ったチームに伊藤の居場所を見つけるきっかけを掴んだ試合とも言える。

その後、アラブ首長国連邦(UAE)を代表する強豪クラブ、アル・アインが主催した国際大会「アル・アイン・インターナショナルトーナメント」へ柏Uー17編成で出場したチームの中で、伊藤は大会最優秀選手(MVP)に選出される活躍を見せ、大きな自信を得てUAEから帰国した。

伊藤にとって、そこでの最も大きな収穫はMVPの称号でも、副賞として受け取ったカルラス・プジョル(元FCバルセロナ)プロデュースの腕時計でもなく、「君のプレーをとても気に入った。このまま君をハンブルクへ連れて帰りたいくらいだ」というHSVのスカウトスタッフから贈られた言葉だったという。運命は少しずつ動き出した。

だが、当時の伊藤はレイソルでの活動に専念することを選んだ。

帰国後の伊藤は「プレミアリーグEAST」でも徐々に出番を増やし、背番号23の伊藤はスタメンに定着。その片鱗を見せていった。

ボールポゼッションに長けた左利きの選手たちが常時6、7人スタメンに名を連ねたこの世代において、右利きのドリブラーである伊藤の存在は絶妙なアクセント。運動量が武器の右サイドハーフ・会津雄生(筑波大)共に中盤からボールを引き出しで相手チームを押し込んでいった。

GKから、あるいはボールを奪い返して、淀みなくパスを繋いでからの伊藤のドリブルや左SBやMFでプレーした麦倉捺木(相模原SC)とのコンビネーションは相手DFたちの出足を幾度となく鈍らせ、ポゼッションでもカウンターでも点を取れる多彩なチームにおいて伊藤の「組織の中の個」は着実に磨かれていった。

安西海斗(山形)、山﨑海秀や熊川翔(共にいわきFC)といった同期の面々が頭角を現していたことも伊藤の状況が好転した要素の1つだったといえるだろう。

この年、柏Uー18はプレミアリーグEASTを制し、さらなる頂点を狙ったが、惜しくもプレミアリーグの頂点を極めることはできなかったが、現在の伊藤の原型はこのシーズンにできあがった。

背番号11を背負って、最高学年として迎えたシーズンは半年間の活動となった。前述した同期たちに下澤悠太(法政大)や浮田健誠(順天堂大)、古賀太陽ら個性的な才能たちが揃ったチームだったが、前年度王者として迎えたプレミアリーグでは大いに苦しんだ。伊藤もドリブルへの自信が過信となり、不必要にドリブルを仕掛け、ピンチを誘発。ベンチからは下平隆宏監督からの激しい叱責の声が飛ぶことも少なくなかった。「個」と「戦術」の折り合いをつけられないままシーズンは進んでいった。

そんな折、再びハンブルクから正式なオファーが届いた。「チームの力になれていない。夏には大会が控えているので、なんとか待ってもらえないか」という思いから伊藤は心は揺れていたが、監督以下、チームメイトたちは伊藤の背中を押したという。

しかし、人生初の大きな決断を強いられ、複雑な思いを抱えたまま臨んだ公式戦では珍しい退場も経験した。柏U-18での最後の公式戦となった市立船橋高校戦に臨んだが、チームは敗戦。伊藤自身も鳴かず飛ばずのパフォーマンスに終始して後半に途中交代。ハッピーエンドとはならなかった。

当時、ハンブルクへ渡る前の伊藤はこう語っていた。

「自分は『中盤でドリブルを使って、相手を抜いてしまえばチャンス』と思っていたところがあって、試合でも練習でもシモさん(下平監督)に何度も叱られてきました。でも、シモさんは自分のこだわりの部分も汲んでくれた上で、『プロの世界を目指すなら、特長も大事だが、時には監督の好むプレーを出すことも必要だ』とアドバイスをくれました。自分も頑なになっていたことを反省しました。自分をずっと励まし続けてくれた前嶋聰志コーチ(現・清水エスパルスコーチ)をはじめとして、レイソルアカデミーのコーチングスタッフから叩き込まれたポジショニングの部分はこれからの武器になると思います」

ほどなくして、ハンブルクへ渡ると、すぐにHSVのサマーキャンプへ合流した。HSVが伊藤のチーム加入を急いだ理由は、大きな期待と、このキャンプに参加させたい意図があったのだろう。アルプスの山々や街中を駆け回るようなフィジカルメニュー、ユベントスなど様々なクラブのリザーブチームとの練習試合などをこなす日々を送り、日本との環境の違いを痛感していたという。しかし、海外に渡る日本人選手に必ず付いて回るコミュニケーション面の問題は、伊藤がもともと持っているハッキリとした意思表示や性格、若者同士のノリで乗り越えたという。

長期に渡る負傷もあったが、その期間はHSVのトップチームや他のクラブの戦術、プレー強度を間近で学ぶ機会に変えたという。たとえ異国であろうと、自分に起きたことをポジティブに変換して受け入れる余裕はあったようだ。伊藤は以前ブンデスリーガの印象についてこう話していた。

「ブンデスリーガは『ピッチの中で11個の1対1が存在している』と言われているほどで、さすがに局面での1対1の強度がすごく高い。それとトップクラスのアタッカーたちのドリブルに影響を受けています。彼らは基本的にフィニッシュに関わる場面以外ではそれほどドリブルを使わない。ビルドアップではシンプルにプレーをして、ゴール前でボールを受けてようやくゴールに直結したドリブルを使う。そのあたりはすごく参考になりました」

ブレーメン戦の中でもそのあたりの判断の明確さはうかがえた。ダービーマッチ特有のテンションの高い試合となった中で、伊藤の「ボールをシンプルに大切に扱う」判断や「間でボールを受ける」ポジショニングは光っていた。163cm(チーム公表)と小柄で、ブンデスリーガの大男たちとまともに体当たりしてはひとたまりもない。そのため、スペースでボールを受け、1秒でも速くゴールへ向かってボールを運ぶ。そのプレーがHSVの推進力となっていた。

「リザーブチームだと、ある程度プレーの自由を与えてもらえているので、連携は出来上がっています。そこで掴んだ感覚なんですが、自分は1対1のシーンで最も良さが出る選手。中のスペースが見えても、外に張っておくことは意識しています。相手のSBに中を意識させて、フリーになる。さすがに毎度ぶつかっていたら、あまりにも分が悪いので(笑)」

前半18分にDFを置き去りにして決定機を作り出した場面に象徴されるように、15mほどのスペースで伊藤が爆発的なスプリントとコース取りを見せることができれば、相手は止めることが難しい。今後はドリブルの本数やクオリティ、明確な結果が求められるだろう。伊藤の能力が認識された中で次は何が出来るのか。監督以下、チーム全体からの更なる信頼も獲得せねばならない。自ずと次の目標設定は明確になる。伊藤はトップチーム定着のみならず、「次は『スタメン定着』です」とハードルを固定した。

「監督にはチームが4連敗という苦しい中で迎えた大事なダービーマッチにスタメン起用してくれたことにとても感謝していますし、メディアを通してだったり、練習を通じて自分を評価してくれてるのは伝わります。その信頼にもっと応えられるようにプレーしたいという思いがあります」

渡独から3年。幸運な出会いにも恵まれた。

HSVには日本代表SB酒井高徳が2015年から在籍。右も左もわからない日本から来たティーンエイジャーにとって、その存在は日本代表という肩書き以上の大きなものだった。

ブレーメン戦でも同サイドでサポートしてくれたチームキャプテンの言葉は伊藤の胸に響いたという。

「高徳くんからは『達哉が不完全燃焼だとか、自分のプレーに後悔していると言っていたら、叱らなくてはいけないと思っていたが、力を出し尽くして両足をつっている姿が見られて満足だ』って言われました。これからも毎日のトレーニングや試合の中で、たとえ1回でも『今日は軽くでいいかな』って過ごさないことが大事になるとも言われました」

心を通わせる偉大な先人からの言葉は伊藤を強くする。

この活躍を受けて、伊藤の日常を伝える情報発信も格段に増え、最近では将来へ向けてのポジティブな話題も、やや時期尚早な飛躍的な話題も聞かれるようになってきた。自らを取り巻く、そんな喧騒をよそに、伊藤は落ち着いている。「チームメイトたちからは『良いプレーだったよ!』って言ってもらえました。あとは『足をつるのが早すぎるよ!』っていじられています。次はもっと長い時間プレーしなきゃいけないですね」と笑う。次戦・マインツ戦からノンストップで続いていく戦いも期待してよさそうだ。

いよいよ、伊藤は新たなステージで自分を証明する機会を得るところまでたどりついた。こちらの楽しみを引っ張るかのように設けられた代表ウイークを挟み、マインツ戦からブンデスリーガは再開する。伊藤の名は現地専門紙が発信したHSVの予想スタメンに記されていた。

これから伊藤がどのような活躍を見せてくれるのか。彼の言葉を借りれば、伊藤が秘めた可能性は「まだまだこんなもんじゃない」。伊藤の戦いは始まったばかり、まだまだ胸踊るシーンを見せてくれるはずだ。

そして、最後に、「秘密兵器」と表現されていた2020年開催の東京五輪出場について。

以前、伊藤に「将来、東京五輪出場を狙うのか」と聞いたことがある。すると、東京都出身の伊藤は、「もちろん。2020年は『地元開催』ですからね、東京五輪には出場したいです」と話すなど大いなる関心を寄せていたことをここに加えておこう。

written by 神宮克典
©Libretas de Tiki-taka_magazine

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