じっと糸を垂らして待てる大人になりたい
なんにもせずぼーーっとしていることが苦手なこどもだった。
せっかち、というわけではない気がする。
何もせずにじっとしていると、もっと楽しい何かを見逃してしまっているような気がして妙にそわそわしてしまった。
じっと座っているなら本を読みたい、音楽が聴きたい、おしゃべりしたい、眠りたい。
いろんなことを妄想したり、想像したり、創造することはだいすきだったけどそれもじっと考えているのではなくて、絵だったり字だったりなにかしらのかたちになる方法でしか頭のなかのいろいろを広げられなかった。
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小さいころ、よく親に連れられてキャンプをしていた。
さんざんはしゃいで笑った夜とは打って変わって、朝になるとしんとした空気のなかで大人たちが釣竿をもってじっと川辺に座っていることが不思議だった。
きっと魚を釣るために竿を動かしてみたり、流れを読んだりいろいろなことをしていたのだとは思う。
だけど遠くから見る背中は全く動いていないように見えて、ただ長い竿をもって佇んでいるだけだと思っていた。
なんで何にもしないでただ座っていられるの?
座っているときは何をしているの?
おしゃべりしないの?
ねえねえと話しかけると「大きな声を出すと魚が逃げちゃうよ」とたしなめられる。
「ふーん」と拗ねて、ひとりで走り回って、だけどみんなが釣ってきてくれた魚はしっかり食べるようなそんな落ち着きのないこどもだった。
わたしも大きくなったら朝は川に糸を垂らしてじっと過ごすようになるのかな、となんとなく思っていた。
その姿がかっこいいなとぼんやり憧れていたのだと思う。
結局、中学生になるころにはキャンプにはあまり行かなくなり、そのまますっかり遠ざかってしまったので、じっと立ち尽くす見た目だけでもかっこいい大人になれるチャンスは逃してしまったのだけど。
だから、いまでも不思議な、こどものときの印象だけが残っている。
じっと糸を垂らして魚が釣れるのを待っているあいだ、彼らはいったいどんなことを考えていたのだろうか。
寝る前のぼんやりした時間の考えごとですら、全部紙に書いておけたらいいのに、と思ってしまうくらい何にもしない時間がいまでも苦手なわたしは、どれだけ年を重ねても「魚釣り」は苦手な気がする。
もっともっと新しい世界を知るために本を買いたいなあと思ってます。