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「食べる」ことの大切さ

『いまの自分の身体は半年前に食べたもので出来ている』

そんなふうに聞いて半年前はどんな食生活だっただろう、と思い返してみる。

半年前と言えば8月、具体的なものは何も思い出せないけれど、わたしは夏の暑さにすこぶる弱いのでたぶん、アイスばかり食べていたと思う。

そうか、いまのわたしはアイスで出来ているのか。

アイスで出来たわたしの身体はふにゃふにゃとすぐ体調を壊すし、牛丼並盛を食べただけで胃もたれで2~3時間横になってしまうくらい弱っちい。


和食を中心に3食きちんと食べ、なんていう食生活は実家を出た瞬間に潰えたと自覚している。

あまり油ものに強くないので最低限の自炊はするが、素敵だなと思う「丁寧な暮らし」には程遠いなあと思う。

反省もするが、あまり行かせていないことも事実で、彩りよく野菜をたくさん使って、綺麗なお皿に盛りつけて…ということは余程気が向いたときにしかやらない。

野菜も魚も、たぶんお肉よりもだいすきだけれど「なんとなく楽だから」という理由でスーパーに行ってもお肉を買うことが多い気がする。

パンよりはお米派なので、お米に合うおかずをついつい作りがちなところも敗因かもしれない。


美味しいものはすきだ。

食べものを美味しそうに食べるね、と言ってもらえることも多々ある。

おしゃれなカフェや、味のある喫茶店で名物のパンケーキやサンドウィッチなんかをきゃいきゃい言いながら食べることもすきだ。

たくさんの人と笑いながらわいわい食べることもすきだし、大切な何人かでしっぽり語りながら食べることもだいすきだし、ひとりで作った料理を映画を観ながらお酒と一緒にちみちみやることにも幸せを感じている。

以前も書いたけれど、食べることに焦点を当てた物語やエッセイもやっぱり真っ先に探してしまう。


その一方で「食べる」ってひどく億劫だなあと思っているわたしがいることも事実なのである。

常々思っていることとして、「食べる」ことが「生きる」ためのものじゃなかったらもっともっと楽しめるのになあということがある。

身体を強くしないといけないから、お腹が空くと元気が出ないから、だから、という理由での「食べる」行為はすきじゃないのだと思う。

人と話したいから、今日みたい映画にはこの料理がぴったり合うから、この時期にしか食べられない野菜があるから・・・

たぶん、何でもよいのだ。

なんでもいいから「食べる」ということにわくわくしていたいのだ。

だけど、生きていくうえで「食べる」ことからは逃げられないこともわかっているので、なんてことないごはんの時間ももう少し楽しく過ごせるようにしていきたいなあと思っている。

もっともっと新しい世界を知るために本を買いたいなあと思ってます。