アン

好きなものを守るために/赤毛のアン

岡山に旅行に行ったときにたまたま見つけた古道具屋屋さん。どうしようもなくときめいてしまったことをきっかけに古道具っていいな…と思うようになった。

東京に戻ってきてからも、検索しては回り道をしてお店を探して覗いている日々だ。

古道具屋さんに行くといつもほんの少しだけ「おばあちゃんちの匂いがする」と思う。

年季が入りすぎて元の色が何だったかわからないくらいの木材で出来た棚や、ちゃんと閉まるか不安なガラスや、これまた変色したプラスチックの容れ物。どうしたってガタガタいう椅子や机。

そういう長い年月が経ったものは全部同じ匂いがするのだろうか。

いつも冷えてた廊下。鍵の閉まらないトイレに、冬は凍えてしまうんじゃないかと思うくらい冷えるお風呂場。

だいすきだったな、と思う。

あの頃は気付きもしなかったけど。

もうおばあちゃんも、おじいちゃんも亡くなってしまって、空き家になった「おばあちゃんち」にほんの少しの間だけ住んでいたことがある。

自分の家ほど居心地の良くない、だけどどんなわたしでいたって許してくれるあのおうちが好きだったなあと今ようやく、懐かしんで哀しむことができるようになった。

赤毛のアンを読んで、もう今はない大切なもののことを思い出してしまった。アンがしきりに言う「グリン・ゲイブルズのアンでいたい」の言葉が沁みるようになったのは、わたしもひとつ家をなくしたからだろうか。

大切なものも大切な人もいつまでもあるわけじゃない。それならば、今、自分ができる精一杯でもって、好きなものを好きでい続けるための戦いをしなくてはいけないのかもしれない。

想像力の塊で、おしゃべりで、頑固でな小さな赤毛の女の子は、大切なものを大切だと伝える努力は決して怠らなかったし、大切な人を喜ばせるための努力なら何だってした。だってそれはアンが好きだ、と思っていたものだったから。

アンにとって多分、最初の最高のお友達で理解者に。

わたしもちゃんと伝えよう。誰かに、何かに、すきなものはちゃんとすきだと声に出して言わなくちゃ、とこの本を読んで教えてもらった気がする。



もっともっと新しい世界を知るために本を買いたいなあと思ってます。