洗濯物を畳むためのモチベーション

どんなにおうちが変わったところでやらなくてはいけない家事はそうそう変わらない。

料理をするなら買い出しをし、調理をし、食べて、洗い物をする。
生きていけばどうしたって汚れは出てきてしまうので、都度ホコリを落とし、床を拭く。

トイレやお風呂、台所などの排水溝の掃除はぎゅっと心を閉じて、あとは無心で洗う。

どれも仕方ないもの。仕方ないものなのだけど、どうしたってすきになれないのが洗濯物を畳むことだ。

洗濯機を回す。洗い終わったら干して、乾いたら部屋の中に取り込む。そのあとだ。どうしてまたすぐに着るのに時間をかけて畳まないといけないんだろう。

畳んでしまったらアトがついちゃうし、ぎゅうぎゅうにしまい込んだ後は広げないとどの服かわからないし、何よりめんどくさくない?

服がたくさんある人はきっと畳まないとしまいきれないのでしょう。それはわかる。でもそれって全然前向きな理由じゃなくない??

排水溝の掃除だって別に好きじゃないけど、そのまんまにしておくと、臭ってきてしまったり、水の通りが悪くなって使いづらいからやる。ぬめっとどろっとしたものが、最後につるつるになるのってちょっとした達成感を感じられるから、そんなに嫌いじゃない。

でも、洗濯物を畳んだところで、それをやった未来でわたしにとって良いことが起きるってちっとも思えない。

畳むことで生まれるメリットってなんなの…と疑問を抱いてしまってからは楽しく畳んだ記憶がない。当然きれいに畳めない。ぴしゅっと端が揃えば気持ちが良いのだろうか。え、べつにそれ嬉しくない。だってどうせ着るとき気にしないし。

畳んだあとにむちゃくちゃ楽しくなれる何かがあればいいのに。苦じゃない人はどうやってモチベーションを維持しているのか。

うんと広いクローゼットのついた部屋に住んで、ぜんぶハンガーのまま収納できたらいいのに。

……そんなことを妄想しながら、太陽の匂いをたっぷり吸い込んだ洗濯物に顔をうずめたまま堪能するのがすき。畳む行為から、今日だってそっと現実逃避してしまうのです。

もっともっと新しい世界を知るために本を買いたいなあと思ってます。