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ロマンチックを生み出す魔法

(かすみ)と(きり)の違いってなんだかわかりますか?

ぱっと聞かれてあれこれ考えて「なんとなく霞のほうが儚い感じする……」とあやふやに思ったけれど、きちんと調べてみたら、実はどちらも同じ現象だということがわかった。

厳密に言えば気象学的には空気中の水分濃度によって分けられてもいるのだけど、現象としては同じ。

ではどう呼び分けているかというとなんと季節によって違うというのだから、「へえ!」と思わず声に出してしまう。

春のそれは霞、秋は霧、と言うように季語でしっかり分けられているのだ。

さらに言い方も変わっていて、「たちのぼる」を使うのは霧だけど、「たなびく」は霞にしか使わない。

現象としてはほぼ同じものなのに、使う漢字も言葉も変わってくるだなんて、なんて面白いんだろうと思った。

更に近いのが(もや)。

これは季語とはあまり関係がないけれど、現象としては似ている。

ただ、と言うと語弊があるかもしれないけれど空気中の水蒸気が水滴になる、という現象なのに、こんなに言葉のバリエーションがあると言うのには、きっと当時は何か理由があったんだろうなあと思いを馳せるだけでわくわくしてしまう。


そういえば、古代の絵巻には霞みがかった絵が描かれていることがお約束だ。これは「もやり霞」というれっきとした当時の手法のひとつで、遠近差を表したり、余白的効果をもたらしているのだそうけど、この霞があることでなんだか妖しげな空気を醸し出しているような気がする。

霧の都、といえばロンドンだが、これは空気が悪くてスモッグが蔓延しているという理由ではあるけれど、街全体が霧がかっていることで、何が起きるかわからないドキドキ感がより演出されているのではないだろうか。
イギリスといえばシャーロック・ホームズやハリー・ポッターに代表されるようにミステリーやファンタジーが多く生まれていることでも有名だが、どちらもちょっとした不思議を読者にもたらしてくれるもので、これも霧の都ゆえなのかもしれない。


視界が曇っている、ということはもしかしたら何かを生み出すロマンチック要素なのかもしれない。

何がロマンチックって、これらの呼び方は夜になると「(おぼろ)」という呼び方に変わることだ。

もっともっと新しい世界を知るために本を買いたいなあと思ってます。