「なんとなく時間」と「てきぱき星人」
息抜きにお買いものに行くことにする。
お目当のお店で欲しかったものを見つけて即決で購入。
今日はいい日だなーと思いながら、鼻歌交じりでエスカレーターに乗り込む。
あ、でも待てよ。ぼーっとエスカレーターに揺られながらふと思いつく。
そうだ、まだ買わなきゃいけないものがあった。
降りた先ですぐに上りのエスカレーターに乗る。
買う。
降りる。
あ、そうだ。
また思い出す。
何度も何度も行ったり来たりしながら、どうして一度に思い出して一度で買い物を済ませられないんだろうと三度目の下りのエスカレーターの中で思う。
こういうとこ、よくないところ!と自分をつい叱る。
なんとなく、で済ませているから忘れものもするし、道も間違えるし、寝ているわけじゃないのに電車ものり過ごす。
この「なんとなく時間」を「てきぱき時間」に変えられたら、もしかしてわたしの一日って26時間くらいになるんじゃないだろうか。
ぎゅっ、ぎゅっ、と生きて濃密な人生を過ごせるんじゃないだろうか。
わたしが無駄なことうっかりをしそうになって「なんとなく時間」が訪れる気配がしたら「てきぱき星人」に笛を吹いてほしい。
ピーっ!いまよ!ピーっ!しゃきっと動いて!ピーっ!向かう道はそっちじゃない!ピーっ!玄関に携帯おいたまま!
でも、てきぱき星人から見たら、わたしがふんわりぼんやり考えたことをこうやってつらつら書いている時間も無駄に見えちゃうかもしれない。
そんなときに笛を吹かれたらちょっと悲しいなあ。この時間は多分「なんとなく」じゃなくてやりたくてやっていることだから。意味なんてないかもしれないけど。
でも、こういうのを書くためには「なんとなく時間」でぶわーーって思ったことがほとんどだから、やっぱりわたしにとって「うっかり」や「なんとなく」は必要なのかもしれない。
「てきぱき時間」はほしいけど、どの「なんとなく時間」が必要かそうでないかはわたしにもわからないから、このままでも案外良かったりするのかな。
てきぱき星人がそばにいて、ずーーーーーっと一日中笛を吹かれてしまったら「わたしの人生とは…!」って泣きたくなってしまうかも。
うっかり早く来すぎてしまった待ち合わせ場所で、本を開いたり、気になるネットの記事を読むのも嫌いじゃないしなあ。
なんとなくのわたしは「なんとなく時間」を楽しんでみる方向で解決していこうかな。
………ああ、でもやっぱり電車を乗りまちがえたときにはそばにいて笛を吹いてほしいかも。さっき通り過ぎたばかりの駅を逆の方向から通りすぎて思うお昼すぎ。
もっともっと新しい世界を知るために本を買いたいなあと思ってます。