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デマの向こうで戦争が始まる―宮古島から見えること

市民の意見 NO.195 に、「非戦―非暴力で戦争に向き合う」というテーマで寄稿しました。
宮古島へのミサイル基地配備から、産経新聞のデマ記事、裁判のことまで書きました。
こんな話を記者会見でもできたらいいなと考えています。

デマの向こうで戦争が始まる―宮古島から見えること

 今、台湾有事に備えると言って、琉球弧の島々に自衛隊の基地が次々と作られている。私の住んでいる宮古島にも陸上自衛隊の駐屯地と弾薬庫が建設され、地対艦ミサイルと地対空ミサイルが配備された。

 戦争は、何によって始まるのか。基地を作ることによって始まるのか。そのもとにあるのは、デマだと思う。戦争はデマによって始まる。

 今回のデマは「中国が攻めてくる」。このデマのために、ここ7~8年の日本の防衛予算の多くが琉球弧の島々で使われ、さらに国はこれから防衛費の大幅増額をしようとしている。来年度の宮古島で使われる防衛予算は、100億円だ。新たな弾薬庫と庁舎を建てるという。基地はもうほとんど完成したかに見えたのに、いくらでも膨れ上がる。財政規模が400億円ほどの宮古島市で、100億円の防衛予算が国から投入されるのがどんなことか、想像できると思う。


 コロナ禍の前まで、宮古島にはたくさんの中国人がクルーズ船で旅行に来ていた。島はそれで潤う一方で、基地建設でも潤った。島外から建設作業員がたくさん来て、その人たちの住む場所を作るためにマンション建設のラッシュになり、「宮古バブル」と言われるものが起きた。今はそれも下火になり、空き部屋も多く、建設途中のまま放置されたマンションがいくつもある。

 島の姿が変わっていくのは悲しいけど、一部の人が儲かるだけの「利権」の問題で済むならまだいい。でも、本当は攻めてくるつもりもない国に向けたミサイル基地を作ったことによって、本当の「戦争」が近づいてくること。今はそれが一番怖い。

 台湾に一番近い与那国島では、有事の際の島外避難という話まで出てきた。与那国町議会では、事前に島外への避難を求める町民に費用を支給するための基金創設の条例まで可決された。

 島に暮らす私たちの感覚をなんと表現すればいいだろう。ミサイル基地建設の計画が持ち上がった2015年頃、「基地があると攻撃される」「ミサイル配備は近隣国との緊張を高める」と言って、私たちは反対した。基地を作ればどんなに恐ろしい未来が待っているかを訴えた。でも、いまそのシナリオ通りの道を辿っている。想像していたことが現実に近づくスピードが予想以上に早く、戸惑う。実際に起こる可能性が高まっていく中で、私は現実を直視することも、言葉にすることも怖くてできなくなっていく。

 与那国島のある住民の方は、今年種を植えても来年収穫できるかな…という不安が過るという。これが、私たちが失ってしまったものだ。今の生活が、明日も明後日も来年も再来年も続くという安心感。それも、自然災害ではなく、「戦争」という人災で。

 そして、時を超えて、自分がいなくなっても次の世代が繋いでくれるという安心感も揺らいでいく。吹けば飛ぶような火を、島の人たちが大切に守ってきた島々の文化。与那国語も宮古語も、八重山語も奄美語も、消滅危機言語に認定されている。与那国島で、数年住民が避難して誰も住まなくなれば、文化が消えてしまうのはあっという間かもしれない。島の暮らしがあって、文化がある。

 国から見れば私たちの島は、台湾との間の都合のいい場所に浮かぶ不沈空母に見えるのだろう。だけどそこには、唯一無二の言葉、唄、人々の暮らし、文化がある。それを見えなくしているのはなんだろう。中国が怖いという妄想だろうか。

 私自身、この6年間、デマに振り回されてきた。2017年3月、産経新聞社が、私が宮古島市議であった当時、県営団地の入居基準を超えるにも関わらず不正に入居したと思わせるような記事を書いた。その記事は今もネット上に存在する。

 産経新聞社がそのような記事を書いたのはなぜか。私が宮古島の軍事化に反対し、基地建設を止めるために活動していたからだ。事実と異なる記事を書くことで私の印象を悪くし、口を塞ごうとした。私を潰し、反対運動を潰す目的でその記事は書かれたと思っている。

 私は、2017年1月の補欠選挙で「ミサイル新基地建設反対」を掲げて当選し、市議になったばかりだった。26人中、たった一人の女性議員だった。初めての3月議会で、私のフェイスブックでの自衛隊に関する発言が問題視され、辞職勧告を受けた。その翌日に初めての一般質問を控えていたが、登壇すると多数派の保守系議員たちが「反省の色が足りない」と退席し、議会は流会した。

 県営団地に関する記事が出たのは、その日である。辞職勧告、議会の流会に加えて、県営団地の入居について、3本の記事が産経のネットニュースで流れ、炎上、バッシングの火に油を注ぐには十分だった。翌日には団地の駐車場にコンクリートブロックが置かれ、車が止められなくなるなど、実害を受けた。市議は住所が公開されているので、家が安全な場所ではなくなってしまった。

 デマは、暴力を誘発する、直接手を下さなくても、人々の憎悪を煽るような情報を流せば、暴言・暴力の嵐を起こすことは簡単なのだ。

 私はこの記事が出てすぐに、産経新聞社に抗議文を出し、記事の削除を求めた。だが、産経新聞社は何の対応もせず、記事を掲載し続けた。

 産経新聞が、基地建設に反対する私をターゲットにしたことは明白だ。なぜなら、その後公明党の市議が、私と同じように県営団地に入居していたが、問題視することもなく、記事にしなかった。その議員は団地入居について世間から批判されることもなかった。一方私に対しては、「不正入居」や「議員のコネを使った」「収入を偽った」などの批判が吹き荒れた。

 記事が出てから3年半経って、悩みに悩んだ末、私は産経新聞社を名誉棄損で提訴した。昨年11月、証人尋問が行われ、初めて記事を書いた記者と対面した。若いネトウヨ的な記者を想像していたが、ベテランの記者だった。その記者が、「なぜ石嶺さん本人に取材しなかったのですか?」との質問に、「電話番号が分からなかったから」と答えた。市議の連絡先を調べられない記者がいるのだろうか。また「忙しくて、記事なんて完璧に調べて書けるわけじゃないんですよ!どんな仕事だってそうでしょう!」と裁判官に逆切れしたり、「条例を完璧に理解して記事を書く余裕はないんですよ」というようなことを言っていた。こんな人に私の人生は振り回されたのか…と唖然とした。取材もせず、想像で、適当に書いた記事が、ネット上では事実として半永久的に存在し続ける。

 証人尋問が終わった後、この記者について調べると、産経新聞で「国防解体新書」という連載を担当している記者だった。産経の安全保障問題担当というところだろう。まさに、琉球弧の軍事化を推し進める国を後押しすべく記事が書かれている。そのスタンスの中で、私の存在は邪魔だったのだろう。安全保障関連の記事は、私たち市民にとって、正しいのか正しくないのか判断するすべがない。事実と異なることを書いたとしても、中国や韓国が名誉棄損で訴えてくることもない。そして、「関係筋曰く」「防衛関係者によると」などと書けば、取材元を明らかにする必要もない。私の記事に対するあまりにも杜撰な取材方法を目の当たりにして、安全保障関連の記事も同じように書かれているのではないかと想像した。

 そして、そのような報道が、時間をかけてじわじわと、この国の中国脅威論を形作ってきたのではないかと思う。最初は妄想であったはずの中国脅威論は、軍備を増強すればするほど、現実化していくだろう。もう一度、本当に中国が攻めてくるのか?島々にミサイルが必要なのか?どうすれば私たちは平和に暮らし続けられるのか?デマの向こうにある真実を、見つめ直す時だと思う。

 2月28日、東京地裁で裁判の判決が出る。ひとつのデマを潰すことは、平和へ一歩近づくことだと思っている。

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