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「公開質問状へのご回答」の感想と問題点の解説⑥


⑥ 平和運動に特定の思想を持ち込んだことによって、Tシャツ・ステッカーの販売中止という金銭的な損失のみならず、 県民の会の信頼を大きく失うことになりました。このような事態を招いた当該委員(原文 平良氏)の処遇はどのようになりますか?このまま運営委員を継続するのでしょうか?また、共同代表や事務局長はどのように責任を取るのでしょうか?

提案を承認したのは運営委員会全体の責任であり、個別の処分などは考えていません。二人の共同代表は今回の公開質問状でご指摘いただいている問題点と、 会議で出された課題や提案を真摯に受け止め、組織体制の再構築も含め、今後も努力を重ねてまいります。事務局長については県民の会全体会合にて引き続き協議していきます。 なお、当該委員は「ご迷惑をおかけして大変申し訳ありません」と述べており、当会を脱会する意思を示しております。

27.「運営委員会全体の責任」か?

質問⑥の回答は、公開質問状の回答の中でも、かなり大きな問題がある回答である。この質問では、一連の問題の責任の所在を問うている。
それに対して、最初の一文でこのように答えている。
「提案を承認したのは運営委員会全体の責任であり、個別の処分などは考えていません。」
公開質問状の回答の中で、この問題の責任について述べた部分はこの一文のみなのだが、そこで、県民の会は「運営委員会全体」の責任とした。
運営委員は20人ほどか?「全体の責任です」で、一人一人の責任を軽くし、本来責任を取るべき人が責任を逃れようとしているようにしか感じられない。
「全体の責任です」よって「運営委員会の委員を総入れ替えします」ならまだ分かる。でもそうではなく、「全体の責任です」だから「個別の処分などは考えていません」という。
何か問題が起きた時に全体の責任になるならば、何のために共同代表や事務局長がいるのだ?共同代表や事務局長は、運動のリーダーや、顔や、メディア対策とし存在しているわけではない。本質的には、責任者として存在している。代表は運動全体の責任、事務局長は事務的な面においての責任である。そういう意味では、なぜ事務局長が「行動提起」の執筆を一任されていたのか疑問だが(事務局長の仕事ではないと思うので)、それについてはまた後で述べたいと思う。
なので本来なら、ここで、共同代表の責任であるとすべきであろう。

28.瑞慶覧長敏氏の「仕掛け」と女性差別

また特に、瑞慶覧長敏氏は、以下のように、自分が今回の問題の仕掛け人であることを自ら暴露している。『公開質問状へのご回答』の感想と問題点の解説②と⑤でも取り上げた「週刊 新社会」の記事をここでも引用する。

手前味噌だが、最初の若者3人も、そして映像チームの若者たちも私の仕掛けによるものであった。実は、県民の会とは別組織で私は若者チームを既に結成し活動を開始していたのだ。そのための予算も確保して活動しやすいように支援をした。(中略)
 ついでだが最後に、若者チームの構成は女性を中心にと最初から考えていた。感性の柔らかさに期待し、何より、間違いなく男性よりも女性の方が度胸はあると感じていた。そしてそれは的中した。

これを読めば、共同代表二人の間でも瑞慶覧長敏氏の責任がより重いと考えられる。共同代表としての責任以外に、実際に今回の問題が起こる直接的な原因を作った者としての責任が大いにあるからだ。そして現在も全く反省していないようだ。公開質問状の回答とのこの乖離はなんだろう。

「感性の柔らかさに期待し、何より、間違いなく男性よりも女性の方が度胸はあると感じていた」とあり、ジェンダーバイアスも甚だしい。共同代表としてこんな発言をするなんて、こんな女性差別的な価値観を持つ団体、本当に沖縄県民として恥ずかしい。

2024年1月1日発行「週刊 新社会」

平和運動に特定の思想(和泉の郷や青葉神社や神道)を持ち込んだ平良氏についても、処分は考えていないというから驚きだ。
「当該委員は『ご迷惑をおかけして大変申し訳ありません』と述べており、当会を脱会する意思を示しております。」とある。
脱会した、ではなく、脱会する意思を示している、とはどういう意味だろうか?ではなぜ脱会しないのか?誰かが引き止めているのか?耳障りのいい中途半端な表現で誤魔化すのはやめてほしい。その後どうなったのかもう一度質問したい。もし平良氏がそのまま県民の会に在籍しているのなら、特定の思想団体との繋がりは消えず、かなり危険だと思ったほうがいい。

事務局長についても「県民の会全体会合にて引き続き協議していきます。」とある。なぜ問題が起こってから一か月以上経っても結論が出ず、協議を続けるのだろうか。そもそも山城博治氏は、県民平和大集会の前から私的な事情で事務局長の仕事はできておらず、「事務局長代行」を置いている。本来ならば、この公開質問状に対応するのも事務局長の山城氏の仕事だろう。それが現実的にできないのに、山城氏を事務局長に留めておきたい理由は何なのか。実際は事務局の仕事を全くせずに、集会当日だけ出てきて、誰の承認も得ていない「行動提起」を演説して、問題発言をする。そんな事務局長が会の運営にとって必要だろうか?もう一度頭を冷やして考えてもらいたい。事務局長は、事務局の仕事ができる人がやればいいのではないか。事務局長代行を置くぐらいなら、交代すればよいと思うが、なぜそうしないのだろうか。

29.「個別の処分」を考える主体は誰か

そもその、この文章にはおかしな点がふたつある。
「提案を承認したのは運営委員会全体の責任であり、個別の処分などは考えていません。」
一般的に責任を問われたとき、その責任を認めるのであれば、責任を認め、謝罪した上で、処分を決める。謝罪して辞任するということもあるし、謝罪した上で続投するということも世間ではよくある。
でもこの文章では、「運営委員会全体の責任」と責任を認めるものの、謝罪をする姿勢はなく「個別の処分などは考えていません。」という。「責任はあるが、謝罪はしないし、責任は取らない」という回答に受け取れる。

ふたつめのおかしさは、「個別の処分などは考えていない」その主体は誰なのか、ということである。この回答を書いている事務局の人なのか。共同代表や事務局長に対する処分を下せる存在がいるような書き方である。理事会があれば理事会で決定することができるが、県民の会には理事会がないので、それができない。一番の責任者が共同代表であるが、自分で自分に処分を下すことはできないだろう。共同代表ができるのは、自ら辞任することだけである。
では、誰が処分を決めることができるのか。県民の会は今回の問題は運営委員会全体にあるとしているので、運営委員会も処分を下す立場にない。そうなると、一番適切な方法は全体会議に参加する呼びかけ団体や個人による代表選挙をすることではないだろうか。
その当たり前のことが県民の会にできれば、信頼を取り戻すことができるかもしれない。


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