外見と内面のダサいの意味の違い
“ダサい”
誰もがこの言葉を使ったことがあるのではないか
我々は一般に【ダサい】というと、服や外見などの
視覚的に不揃いであるもののことを言う
語源は諸説あるが実際は定かではない
比較的最近にできた言葉のようだ
・『どんくさい』が訛った
・1970年代のつっばり文化,ダサい、マブい、ハクい からきている
・方言の『だしゃい』
・『ダ埼玉』
・『鈍臭い』
言語は生き物であるので我々人間同様に進化しているんですね
さて、本題ですが 私は下記で一旦定義しております、
⚫︎外見のダサさ→笑える
⚫︎内面(思考)のダサさ→笑えない
外見のダサさは人をクスッと笑わせられる要素があると思っている
いわゆる、少しの笑顔で人に幸せを感じさせること
ですが、内面のダサさは全く笑えないのである。
人間は 思考→行動する動物である
このダサい行動は例を挙げたらきりがないが特に私がダサいな〜と思うのは
☞自分の非を認めない(プライドが高すぎて認められない)
☞自分の手を汚さないで人にやらせる
☞感謝の言葉が言えない
☞自己中心的
☞自分ができることが他人にはできないことと理解ができない
☞理論派な人 理論があれば全て解決できると思っている人
☞自分のバイアスが強すぎて自分の常識でしか考えられない人
☞仏教の三毒だらけの人(物欲、人への怒りや憎しみ、無知)
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挙げたらキリがないのでここら辺にしておきますが
上記どれも【人を笑顔にさせない、笑えない】
とういことが言いたいです。
笑顔とは:
我々が心豊かに生きていく為には必須の要素である。
そして幅広い意味で自分の人生を構成する要素である。
みんな、
外見のダサさは気にしなくてもいい!
内面のダサい人間にはなるな!
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