古賀さん

「カフェ」という場所で起こること、起こすこと

お店の営業中に、私の大好きなシーンがあります。

それは、厨房から少し離れた小上がりの席からこちらを覗く子どもに、スタッフが手を振ったり微笑みかけている時。

そして、お客さんもその子どもに気づき、
微笑みかけたり、時に子どもが泣いてしまっても「元気ねぇ。」といった感じで、座っている席で話題にしてくださっている時。

パーティー

はじめまして。
元幼稚園教諭の古賀理恵です。

現在tiny peace kitchenで働いて3年目。
永田町にお店ができた時からのメンバーです。

私は、子どもの傍にいられる仕事を自分の天職と思いながらも、当時、教育現場にいながら感じた、違和感や課題を解決できる方法を見つけたい。

そう思って、業界を変え、
このお店に出会いました。

「お店にいて3年、どうなの?」

そんな風に聞かれる事もしばしばあります。

「答えが見えてきている気がする」

というのが今の私の感覚で、
まだまだ模索中です。

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冒頭で綴った私の一番好きなシーンでもそうですし、

お店に関わってくださる人と過ごす中で
「子どもの未来には私たちの今が関係している」ということを日々体感しています。

「この世界はやさしい」
「この世界は安全だ」
と、私たち大人が思わせられるには?

そのために私たちはどう生きなくてはいけないのでしょう。

それは決して、
「Aをやるべき」とか「Bだったら大丈夫」とか
たった1つの答えではない、と私は思います。

この大人はこう考えて生きている。
あの大人はこうらしい。

そんな感じでいいと思うし、
むしろ、「正解がない」と伝わることこそが
正解のような気さえしています。

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私は
「幼稚園は」
「小学生になったら」
「中学生なんだから」
という区切りがすこし苦手です。

教育上、システムとしてそう分けることは、
全世界で起こっていますし、
歴史上続いています。

ということは、
「普通」のことなのかもしれません。

でも、
本当にそれは「自然」なことなのでしょうか?

「大人はこう言ってたよ」
「先生に言うよ」
そういう子どもの声を聞くたびに、
私には違和感が残ります。

(その大人がそう言っただけだよ)
(先生もわからないかもしれないよ)
と心の中で思いながら、教育現場に立っていました。

この言葉は
「お母さんはそうじゃないもん」
「お父さんに言えば平気だよ」
と変わる時もあります。

「お兄ちゃんなんだから」とか
「お姉ちゃんだったら」とか
になる時も。

そんな風に頼っていったのに、
回答が自分の思ってた通りにならない。

そんなことってしばしばあります。笑

そこで「理不尽」を知ることさえある。
それでいいのでしょうか?

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そんな葛藤を通じて、私は、
区切りなく人と関われる現場に行きたいと思いました。

それが「カフェ」

美味しいご飯の前に、
人は平等のような気がしています。

(美味しいな)
(楽しいな)
そういう気持ちの時、
人は、人に、物に、
やさしくなれるような気がしています。

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レジでどちらのメニューにしたらいいか悩むお客さんに(うちは2つのメニューしかありません。)

常連さんが
「ここの唐揚げ美味しいわよ。」
と言って日替わりメニューを勧めてくれたり、

「野菜はお代わりできるのよ!」
と仕組みを伝えてくれて、
辛いのが苦手でもお腹いっぱい食べられることを教えてくれたり。

そんなことがうちの「カフェ」なら起こります。

唐揚げ

「社長だから」
「会長さんだから」

子どもたちの区切りのように、
大人にも区別があったりします。

でも、名刺交換で始まらない交流には
その区切りも発生しません。

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「美味しいご飯」から始まる
「やさしくて安全な世界」を次の世代に見せる。

そんな想いと
「美味しいは正義」
という気持ちで

私は今日もお店に立ちます。

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可能ならば、できる時があるのならば、
ご飯の時は、ランチの時は、

肩書きを、役割を、少し忘れて
ゆっくりしていってください。

忘れられなくても、もちろん歓迎です。

(お!これ美味しい!)

なんていう風に、
ご飯の前でふと思ってもらえるよう、
私含めチームのみんなと日々努めていきます。

スタッフ


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