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「準備」

 俺は起きてからずっとベッドに腰掛けて彼女を見ている。彼女は起きてからずっと、姿見の前で服の着脱を繰り返している。
 壁一面の押入れ収納。その中には彼女の服がぎっしりだ。上段には竿が取り付けられており、ワンピースやブラウス、しわになったら困るものをハンガーにかけて収納している。下段には引き出しを入れ、下着や仕事着、パジャマなどがぎゅうぎゅうに詰められている。時々、圧縮に耐えかねたセーターが袖をたらりとはみ出させ、彼女を少しだけ苛つかせているのを、俺は知っている。
 あふれるほどの服を目の前にして着る服がないと嘆く彼女。そんな馬鹿な。俺の持っている10倍はあるだろうか。着る服ばかりじゃないか。しかし、よくよく聞けば彼女なりのこだわりや理由があるようだった。外食の予定だから白いトップスは着ない。新しく買ったリップに合わせて服はこの色がいい。ハイネックを着るなら髪はアップにする。遠出だから歩きやすい靴を。服と化粧と髪型と小物、身に着けるものすべてから目的に合ったものを選択し、なおかつ彼女が納得するコーディネートを探す過程はまるでパズルのようだ。彼女が新しい服を買い、選択肢が増えれば増えるほどパズルの難易度は上がっていく。着る服がなくなるわけだ。
 「もう行くのやめる…」
なかなかパズルが解けない彼女はへたりと座り込んだ。こうなると何を提案しても「だって」「でも」と繰り返す駄々っ子に変身してしまうのだ。
「ベロアのワンピースは?」
「だって昨日着たもの」
「青いロングスカートは?」
「かわいいよ。でもこのセーターには似合わない」
いつもはしっかりしている彼女からやる気がするすると抜けていき、自分を律することができなくなった姿を見るのは嫌いじゃない。猫が液体のように溶けている画像を思い出す。
 さて、どうすれば個体に戻ってくれるだろうか。食べ物で釣るか、かわいいかわいいと愛でるか、一層のこと外出は中止にするか。どうしたって彼女と一緒なら楽しいだろう。俺は相変わらずベッドに腰掛けたまま考えあぐねている。

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TR: 準備 / 紙魚著||ジュンビ
PTBL: 紙魚的日常||シミ テキ ニチジョウ <> 4//a
AL: 紙魚||シミ <@tinystories2202>

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