見出し画像

『宝石』

 友人に恋人ができたらしい。
 友人は「好き」を多用する人間だ。彼女にとって、この二文字の価値は羽のように軽い。誰にでも言うし、いつでも言う。躊躇うこともなければ照れることもない。しかし、相手をまっすぐ見つめて、その整ったアーモンド形の目を輝かして発する「好き」は彼女以外の人間にとって、宝石よりも価値のあるものだった。
 私は彼女を素直な人だと解釈していたけれど、勘違いする人は少なくなかった。だから彼女は勘違いしない私と過ごすことにしたようだった。平日も休日もともに過ごした。朝まで遊んで講義中に寝た。推しとおいしいものを追いかけて全国を巡った。あの頃、私の優先順位の最高位は彼女であったし、彼女の一番大切な人は私であったはずだ。
 そんなある日、私に恋人ができた。相手に交際を申し込まれて、断る理由もなかったので承諾した。良くもなく悪くもなく、可もなく不可もない、そんな印象だった。ただ少し嫉妬深かったように思う。彼は私が友人と二人きりで過ごすことを良しとはしなかった。私の優先順位の最高位は彼になった。「恋人なのだから」が口癖の人だった。恋人なのだから一緒に過ごそう。恋人なのだからホテルに行こう。恋人なのだから…。そのうちに私の世界には彼以外の人間がいなくなった。「恋人なのだから」当然だと思っていた。学校と彼の家の往復で、私の世界から色彩が失われていった。
 4か月ほど灰色の世界で生きていた。彼女からのメッセージだけが色を持っていた。不在着信を知らせるスマホのランプが宝石のように輝いて見えた。手に入れなければと思った。買い物に行くと言って出ていった。私はその日以降彼の家に戻っていない。
 後から人伝で聞いた話では、彼女が私の恋人だった男の頬面を強かに殴ったらしい。彼女の一番大切な人は変わらず私だったのだ。
 私は彼女が好きだったのだと思う。異性として。彼女の求めない姿に恋愛感情を持っていた。それを伝えたら失望させることはわかりきっていた。私は彼女の隣に居たかった。居続けたかった。だから私は彼女が唯一心を許した「同性の友人」という優越感に浸りながら生きていくことにしたのだ。私にだけ見せてくれた、いたずらっぽく光る白い歯や、湯上りすっぴんのなめらかな肌、あの日の寝顔、私を守るために拳を上げたこと、その傷を隠すためにしばらく会わなかったこと。そういう小さな宝石をひとつ残らず拾って磨いて、人生最後の日はその輝きに包まれて死ぬことにしたのだ。
 彼女に恋人ができたらしい。あたたかくてやわらかくておおらかな人らしい。私とはまるで違う生き物だ。
 私には好きな人がいた。彼は、宝石のような美しい瞳の人だった。

--

乙女塚にまつわるあれこれ
 

この記事が参加している募集

忘れられない恋物語

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?