見出し画像

依存するのをやめましょう。

 ドジャーズの大谷翔平選手の通訳などをしていた水原一平氏が、違法な賭博に手を出したということでドジャーズを解雇された件、真相については当局の捜査を待つしかないし、個人的には今シーズンの彼の成績に影響しなければいいなとは思う。
 しかし、今までアメリカ人ではない大谷選手の活躍を苦々しく思っていたアメリカ人の中に、今回の件を受けて、彼に罪をなすりつけてメジャーリーグから追放しようという人がいないとは限らない。アメリカという国はそういう国だ。つい先日行われたアカデミー賞において、一部の俳優がアジア人を無視した(もしくは差別した)ふるまいをしたということで炎上したのは記憶に新しいところだ。ましてやドジャーズというチームは、その前年のアカデミー賞の壇上で、他の俳優を殴った人が所属しているチームだ(違)。(ドジャーズにいる選手の名前も、殴った人の名前もウィル・スミス。多分向こうでもこすられているんだろうなぁ…)それは冗談として、アメリカはあのトランプ氏が大統領選に再選されようとしている国だ。油断はならない。
 そういうわけで、最近のワイドショーとかではこの水原氏の件一色になっているらしい。もちろん国内外には他にも課題は山積しているわけで、この件はもういいから、ちゃんと政治家の不正の話とかを取り上げろという人が相変わらず沸いている。

 言わんとしていることは分からなくはない。こうなる原因は主に2つあると思われる。1つはテレビ局のリソースの問題。ワイドショーは平日の昼間に放送されている。平日の昼間という時間帯は、だいたいの人が仕事や育児や家事をしていて、ゆっくりとテレビを見ている時間のある人は少ないと思う。そこでテレビが難しいことを放送していても、視聴者を振り向かせることはできない。日本テレビが「ヒルナンデス」で、TBSが「ラヴィット」でそれなりの成果を上げているのは、それらの合間に息抜きとしてリラックスしてみることができるからだと思う。これらのポストはいずれも平日の午前中になされているが、そんな意識の高い方はこんなポストをしている暇があったら、テレビなど消して、もっと意識の高い活動をしていただきたいものだ。
 以前その辺の話を書いたことがあるのだが、

 まぁ要するに、そもそもワイドショーというフォーマット自体を見直すべき時に来ていると思う。というか、せっかくテレビという映像を流せるメディアがあるのだから、ニュース番組の構成を映像主体にすればいいのだ。スタジオでアナウンサーがしゃべる必要はない。最近はNHKなどで、「このニュースはAIによる自動音声でお送りします。」というのが増えてきたが、正直すべてのニュースでそれをすればいい。YouTubeなどでみられる自動音声と違って、とても聞き取りやすく、事実を伝えるには十分なクオリティがあると思う。スタジオのセットを組む必要もないし、タレントや芸人をキャスターやコメンテーターとして起用する必要もない。アナウンサーは現場への取材に専念して、少しでも多くの撮れ高をもってテレビ局に帰ってくる。そして原稿はすべてAIに読ませて、その分、数をこなせば、偏向報道との誹りもうけない。そのニュースを聞いてどう思うかは人それぞれで、スタジオにいるアナウンサーが自分の(もしくは局の)見解を述べる必要はない。当然コメンテーターなるものもいらない。どうしても必要ならば、ちゃんと専門家のもとに取材した上で放送する。そういうことが求められる。
 放送する時間は、別に決めなくてもいい。オンデマンドでいつでも見られるのが理想だ。しかしどうしても決めたいのであれば、従来通りの夕方か夜の時間帯になるだろう。昼間の時間帯に放送するコンテンツが欲しければ、「ヒルナンデス」や「ラヴィット」のような番組を作るか、過去のドラマの再放送をすればいい。放送するコンテンツはいくらでもあるし、ドラマは時代を飛び越える。そしてAIに代替されることのない優良なコンテンツだ。
 2つ目は、政治家の金銭にまつわる問題なんて、少なくともロッキード事件以来50年はついて回る話で、別に今に始まったことではない。だから今さら取り上げるまでもない話、ということ。なぜこういう問題が起きるかというと、1つは政治家自身に社会性が備わっていないからだ。まともな社会性が備わっていたら、そもそも政治家という職業を選ばないということはこれまでも散々指摘してきた。くどくなるのでリンクは貼らないけど、日本では一度レールから外れると元に戻るのが難しい社会だが、政治家になる(つまり選挙に立候補する)には、そのレールから一時的にでも外れる必要がある。それが怖いから普通の人は選挙に立候補などしない。よく霞が関の官僚が選挙に立候補したりするけど、あの人たちってもし自分が選挙で落選したらとか思ったことはないのだろうか。そのまま官僚を辞めずに定年まで勤めたら、自分や家族の生活も安定するし、定年になってもどこかに天下りできるかもしれないし、ある程度官僚をやっていたら、無試験で行政書士にもなれるのに、なぜそんなギャンブルをしてしまうのだろうか。不思議でならない。(もしかしてもうその年数を勤務したから、選挙に落ちても行政書士としてやっていけばいいやと思っているのだろうか。)それと関連する話になるが、選挙に当選したらしたで、その地位をどのようにして維持していくかという問題がある。医師とか弁護士とかそういう副業がある人はいいけど、無資格で(それゆえ民間企業では相手にされず)とりあえず政治の世界に飛び込んで、なんとなく当選してしまった人は、次の選挙において落選したらそこで人生終了なので、どんな手を使ってでもこの地位を維持していかなければならない。だからこの手の話は尽きないのである。
 よく政治家の腐敗が報じられると、「日本では選挙の投票率が低いから政治家の質も低いのだ!」という人がいるが、仮に投票率が100%になったとしても、選挙に出る方がこの状況であれば、なんら解決にならない。先も述べたように、まともな人は選挙には出ないのだから、選びようがない。今後こういう問題が起きないためには、政治家を一生の仕事にすることはできないということを改めて念頭に置いて、それでもいいという人だけが立候補できるようにしなければならない。具体的には、以前も書いたけれど、独身の男女で、自分の人生は自分だけが責任を取ればいい人、もしくは配偶者の収入が担保されるため、自分は自由に動ける男女(女性の方が多いかも)なら政治家になってもいいと思う。そして、腐敗を防ぐためにはある程度任期を定めた方がいいかもしれない。
 今回のテーマは過去の自分の投稿を再整理したことが多く、特に新しい視点はないが、時々こういう整理はしていきたいと思う。

この記事が参加している募集

今月の振り返り

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?