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私の過去⑫~再びの葛藤・中庸へ~





宗教2世関連のニュースを、きっと両親も目にしているはず...と思いました。
ニュースを観て、両親はいったいどういう気持ちでいるのだろう、どう思っているのだろう...と思いました。

2022年12月末に厚生労働省から出された
「宗教の信仰等に関係する児童虐待等への対応に関するQ&A」に、昔、両親が私や妹に行った体罰や様々な制限が、ほぼ全て身体的また心理的虐待にあたるという事が明言されていました。
その事を両親はどう捉えているのだろう...と思いました。


私は、両親が、自分達が宗教教義によって、また自分達が良かれと思ってしていた事が、実は子供達にとって全く正反対の影響、心身に甚大な悪影響を及ぼすものだったと、今回こそ気づいたのではないか...。
そのように認識して、自分達が行った事を振り返り、自分達の行った事によって、子供達がどんな気持ちを味わったか、その後成長していく過程で、生活していく日常で、どれだけ多くの心身的苦労を強いられたかという事など、少しでも理解してくれているのではないか...と。
もしかしたら、
私や妹に、悪い事をした、本当にすまなかった、というような、そんな気持ちを抱いてくれているのではないか...と思いました。

そしてそんな思いの中、同じ時期に、
私は過去に宗教の教義により行われていた、
鞭使用の体罰等について、
新聞社の取材に宗教組織側が
「体罰をしていた親がいたとすれば残念な事だ。(鞭使用による)教えを強制する事もしていない。」
等、公式に否定したという報道にも触れました。

宗教組織側がそのように公式回答した事がショックでした。(宗教組織側は後日改めて公式に回答しています。)


ショックで、頭と身体全体がグラつく感覚でした。
どうして実際にあった事を無かったと言うのか。
信じてそのようにしていた人がいたのに、なぜそのような言い方をするのだろうと思いました。
私は、鞭使用の体罰については実際に体験者ですし、
当時、鞭使用の体罰についても、様々な制限に繋がる教えについても、宗教組織から発行の出版物に書いてあったはずと記憶していましたし、
また巡回監督や長老、宗教教義を学ぶ時の研究司会者により、教えられていたからです。両親はそれらの教えを信じ込んだため、自分達もそうしてしまったのだと思いました。

それなのに、組織側は、体罰をしていた親がいたとすれば残念な事だ、教えを強制する事もしていないと...。
両親は(容認する事は全く出来ませんが)当時の宗教教義を信じて、組織の教えに従って、それが子供への愛情だと教えられて、信じて良かれと思って子供達に鞭を使用したのに、様々な制限をしたのに。
さすがに両親も、今回の組織からの公式回答には、裏切られた...と思うのではないだろうか、と思いました。
組織は両親(や当時体罰をしていた人達)のした事を否定している、と思いました。
両親は本当に今、いったいどういう気持ちでいるのだろう...、どう思っているのだろう...と思いました。


これがきっかけになり、
もしかして、もしかして、
両親の洗脳が解けて、自分達は長年何を信じてきたのか...、と、自分達は間違っていたんじゃないか...と、思うのではないか??? と、思いました。
両親が、長年気づかなかった事に気づいてくれるのではないかと、期待する気持ちが湧きました。

でも、それとも...、
両親はもうかれこれ40年以上、心身共に宗教組織、宗教教義に浸かり、洗脳され続けている事を考えると...
当時鞭の使用は事実としてあったのに、
自分達も、子供達に鞭を使用していたのに、
組織が無いと公式発表したのなら無かったんだと、宗教側の主張に付くのだろうか?と。

当時の宗教教義の中の1つに、'ハルマゲドン'というこの世の終わりが来る前に、宗教弾圧というサインがあるとの事でした。
つまり、そのハルマゲドンの前に自分達の宗教は世間やまわりから弾圧(押さえつけられる)される、との教えです。
ですから信者の人は今回のような、自分達の宗教団体にとって良くない事や報道等が起きると、
「宗教弾圧だ」「ハルマゲドンが近いという事だ」というように受け取って、「やっとこの世が終わって楽園が来る」と、逆に喜びと受け取る。
もしも、その教義が今もなおあり、両親もそんなふうに受け取っている場合は、組織に裏切られたなどとは思わず、逆に、やっと待っていた時が来るのか、と洗脳継続状態で思っている。
そう考える可能性もある...。



私は両親はどちらだろう...、
本当にどちらなのだろう...と考えました。



私は、両親に直接聞いてみようか...、確かめてみたい...と思いました。
でも同時に、いやいやそんな事を聞くのはやめよう、聞いてどうするの...、という気持ちも湧きました。
2つの気持ちがぐるぐると巡り葛藤しました。

また、葛藤。また私は両親との事でいろいろ考えて葛藤している、と内心嘆きました。
でも、どうしてか、今しっかり葛藤しなければと、今この葛藤にしっかり向き合って逃げてはいけないと、なぜか感じる感覚がありました。
両親にそんな事を聞いたってどうしようもないじゃないか...と気持ちを抑えるのですが、
しばらく放置して時間が経過しても、どうしても両親に聞いてみたいという気持ちが消えず、強くなりました。
会いに行く事がままならないので、思いきって両親に電話をしてみようか...と考えました。
でも慎重に行動しないといけない事だと思いました。

両親に聞いてみたいけれど、
聞くと行動した場合、
万一にも両親や妹との関係が良くなるか、
それとも、
お互いの考え方の違いを再確認する事になり再再度の断絶関係になるか、
両極端な結果が予想出来ると思いました。
聞いてみたいけれど...
聞くか、やめるか、迷いました。
決めきれず、私は期待する感情が強く、今、冷静に判断しにくい状態なんだと思い、
客観的な意見がほしくて家族に相談しました。


子供にも、子供の成長時期に合わせて、話しても大丈夫だろうと思える内容の範囲で、私と宗教、両親との関係や私が経験した事を話していました。


家族は、
たぶん(両親は)長きに渡り宗教に属しているから、間違った事はわかった上で宗教側に着くんじゃないか?
宗教中心の生活を今までずっとしてきて、例えばこれからそれを離れた生活を考えたところで、今更もう出来ないんじゃないか?
だから、宗教弾圧だと思うんじゃないか? と。

私の両親がどんな人達か知らないからなんとも言えないけど、人はそんなに簡単に変わらないとは思うから、私が期待する理想的な展開にいく可能性は低いとは思ってしまう。同じ痛みを受けた妹なら、気持ちの変化はあるかもしれなけど。

と、客観的な意見をくれました。
私は、確かに、なるほど。確かに、そうだよね...と受け止めました。
確かに、両親はもう高齢になっています。
もしも、今、例えば過去の自分達の行いを悔やんでも、今から宗教組織から離れての生活は考えられないだろう...と思いました。

そうだよね、と冷静に受け止め、気持ちを収めようとしました。ですが私はなぜかどうしても気持ちを収めきれず、考えに考えた末、妹に連絡をとる事にしました。
妹とは昨年頃から、数ヶ月に1度電話で話したり、メールのやり取りが出来る関係になっていました。
妹に連絡をとり、両親の様子について聞いてみようと思いました。



⑬に続きます。



お読み頂き、ありがとうございました。
記事の内容はあくまで私自身が体験し、その体験から感じた主観です。




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