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私の過去⑧ ~卒業・決別~



その後、父親の居ない所で、母親が話してきました。
私が幼い頃、父親が入信した頃、離婚して、私と妹を連れて、実家に帰ろうかと真剣に考えた事があった事。
母親の実家の家族も交えて話し合った結果、結局帰る事はせず、夫婦関係を継続し、生活を続けていく事を選んだ事。そうするしか、なかったと。
そして父親の勧めに従って自分も宗教の勉強をして、宗教の教義は真理だと、本当に信じるようになった事。
今も、これからも、自分は父親と同じ考えで、同じ道を行こうと思っている。そうするしかないから、自分はそうする、と言いました。


初めて、母親にも悩み葛藤した時期があった事を知りました。
その時、母親も私と似たように、辛い時があったんだ...と思いやりましたが、
同時に、その悩み葛藤したその時に、なぜ私と妹を連れて実家に帰ってくれなかったのかと思いました。
ここから出て、宗教と父親から離れてくれてさえいたら、私と妹は、日々体罰を受ける事もなく、厳し過ぎる制限を受ける事もなかった...。
自分の進路を選ぶ事で、苦しく辛い時期を過ごす事もなかったかもしれない。
いろんな事を、当たり前に、普通に、経験出来た生活が送れていたかもしれない。
実現する事はなかったけれど、私や妹に、別のもう1つの暮らしの可能性があった...、その事を思い、うなだれました。

母親に、私は離婚して欲しかった、私と妹を連れて出て、守って欲しかった...と言いました。
父親は1人で、自分の好きなように、宗教を信仰すれば良かったんだ...、自分中心の思いでしたが、そう思いました。
母親は、ごめんねと謝り、どうしても、出来なかった、と言いました。
初めて、本心を話してくれた事が伝わりました。
当時の幼い私にはわからない事情があったのだろうと察し、もう、私は何も言いませんでした。
母親は、母親なりに、悩み葛藤して、自分の信じる道を選んだ。
私も私なりに、悩み考え、自分の信じる道を選んだ。
その道はそれぞれ違う道だったけれど、もうそれは、個々の自由、仕方のない事、それで良い、と思いました。



父親と激しくぶつかり、母親と話した後日、
父親から、自分と母親と妹は、これからも変わらず宗教教義を信じて生きて行くからと。
私が別の道を行くなら、もう勝手にするように、と。
高校だけは出してやるが、その他、その後一切面倒は見ない、それを覚悟するように、と言ってきました。


私はもう、割り切った気持ちでいました。


父親と、お互い感情的に激しく言い合いをして、掴み合いにまでなりかけて、
あれだけぶつかり合って、思いを伝えましたが、全く何も、伝わらなかったからです。
私が全身全霊を掛けて伝えた思いも、本当に何1つ、父親の心に届く事は無く、全く何も変わらなかったからです。
あぁ、やっぱり、何1つ伝わらない。分かり合えない。 ...やっぱりね...そうだよね...。
宗教の教義が、脳内にも身体中にも浸透しきっている父親でした。伝わる訳がないと、重々わかっていました。その事を改めてはっきりと、思い知りました。


父親、母親と、完璧に分かり合いたいなどと、そんな事を期待していた訳ではありません。
ただ、せめて、
親と子でも、考え方の違いがあると冷静に受け止め理解して、宗教教義を信じる立場と信じない立場、どちらであっても、親子として僅かでも心が通う、可能な関わり方があるなら模索出来ればと、私はそういう思いがありました。


ですが、変わらない両親と、変わらない私。
もういくら話しても、何度話し合ったとしても、お互いの考えは平行線で、近づく事も交わる事もない、歩み寄る事はない、という事が強烈にわかりました。
あまりにも理解し合えない、かけ離れた考え方。
心が通い合う事はない。
関わり方を模索する余地もない。
双方が思いを伝え合うという行為は、もう何にもならない、無駄にお互い傷つけ合うだけだ、と思いました。
関わり合わないほうがいい、そう思いました。


割り切っていたので、私はすんなり、納得しました。
1人でやっていく覚悟など、もう以前に出来ていました。
私は宗教は信じない。私は私の決めた道を行く、とはっきり伝えました。
相変わらずの父親からの人格否定の暴言は、とりあわず、聞かず、そういう場からはすぐに離れるようにしました。
母親が父親側につく姿勢も、仕方のない事だと割り切りました。
相手にせず、こちらが大人になる。自分の心身を守る、自己防衛でした。


高校3年生の冬、
私は私、との再度の覚悟で、これから家族とは本当に別の道へ行くんだと、身が引き締まる思いでした。
そして同時に、初めて父親の監視下から離れ、これから自由に動けるという喜び、開放感を感じ、気持ちをしっかり持とう、1人でしっかりやっていこうと静かに熱く思いました。
家族とは冷戦のような状態が続き、自宅では会話もなく、孤立状態の継続でした。
瞬間的に、罪悪感のような気持ちが胸中をよぎる時がありましたが、もう今は、前を向いて進むしかないと言い聞かせていました。
気持ちが弱くならないように、忙しく動き、空いている時間は全部アルバイトに充て、自立資金を貯めました。


1月、無事に就職先が決まり、
社員寮への入寮も決まりました。
3月、高校を卒業し、
身の回りの物だけ持って、実家を後にしました。


再三に渡る、所属していた会衆の長老からの呼び出しに、けじめを付ける意味もあると考え、条件付きで応じました。
集会に出席はせず、集会終了後に、私が入り、他の方と出会わない方法で、長老と話しをする事にしました。
長老からの質問に私なりに真摯に答え、私は私の幼少期からの体験(体罰や数々の制限含む)、
その体験から感じた事、
宗教の教義で疑問に思ってきた事、
自分の意見、今後の事、自分の意思など、
話せるだけ話しました。
長老は渋い表情で、黙って、最後まで聴いて、ひと言、
とても残念です。はい、(最後に出会って話しに応じた事について)ありがとうございました。との言葉でした。
私も最後、お世話になりました、と、一礼をして、退室しました。
私と家族の関係を崩壊させた、宗教組織との決別でした。


⑨に続きます。


お読み頂き、ありがとうございました。
記事の内容はあくまで私自身が体験し、その体験から感じた主観です。


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