確かな日常に少しずつ愛をこめて

先日、打ち合わせ後、近くのファミレスで仕事をしていたら、隣の席で人事の引き継ぎをしておられました。「役付きはおさえておいた方がいいですねー。」とか言っておられ、変化の季節であることを実感。

我が家も大変化の年でして、長女がどうやら保育園を卒業して、小学校に入学するようです。卒園式も終えて、本日いよいよ最後の登園なのですが、まだ実感が湧きません。卒園のために、アルバムや文集制作があったり、入学のために必要なものを揃えたり、名前をつけたりと、色々実感するポイントはあったのですが、気持ちは置いてきぼりのようです。

長女は1歳から5年間保育園に通いました。その内の4年間、これはなかなか稀なことらしいのですが、同じ担任の先生に見ていただきました。その先生がいることで親は毎日安心でした。子供にとってだけでなく、親にとってもビックマザーな存在だったように思います。先生をはじめとする当たり前に毎日会ってきた人と会えなくなったとき、保育園を卒業したことを実感するのかなと、今日子供を送ったときに先生の顔を見ながら朝から泣きそうに。

私はこの5年間で保育園から、「生活を育てる」ということを学んだように思います。子供ができてから、そこに今まではなかった「子供がいる毎日の生活」をゼロから見よう見まねで必死につくりあげていきました。それは、保育園だけではなく、その前に関わった助産師さんや病院の先生、周りの親御さんや、夫の両親、自分の家族など、子供と共に接する多くの人の手を借りてできたことです。朝ごはんにタンパク質は入れましょう、子供のシャツは汗取りに必要です、ノロに感染したときの対処法、園での共同生活で子供は気を張っている分家に帰ったら甘やかせてあげてください、とにかく健康が一番、今日はひな祭りです、そんな一見些細にみえるひとつひとつに気づかされ、それを積み上げていくことで「確かな日常」というものができていくことを実感してきました。

料理研究家の辰巳芳子先生のいう「深い愛情の積み重ねを日々の生活に忠実に行う」ことは、私のような刺激的で面白みのある毎日に価値を見出してきた人間にとっては、大変難しいことでした。でも、日常の生活に少しずつ愛を込める、「そういう小さなことで訓練しておけば、いつかきっと、もっと大きなことに、役に立つと思う」という先生の言葉、今やっと噛みしめることができるまでになりました。愛するというのは、そういうことなんだと。

日々の流れの中で大きな変化は、季節的なものだけでなく思いもよらないことも含めて、ところどことにやってくるものです。でも、そこに確かな日常があると、あるからこそ、その変化を慌ただしさの中でうやむやにできるんだろうと、少し大げさですが今の私は思うのです。

今日からおきる我が家の変化に、少しずつ愛をこめて。

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