世界はアウェーじゃなかった

去年末、4月から小学生になる長女の保育園最後の懇談会があった。小学校入学に向けて、園ではこういう取り組みをしていきますという報告や、卒園式やお昼寝なしになる日程などを聞いた後、園児の親が一人ひとり保育園生活を振り返って、コメントをいうことになった。

思えば、この5年間、色々あった。それは、私だけでなく、園児の数だけ色々あった。先生も色々あった。そんなことを、皆んなの話を聞きながら、時には涙しながら、しみじみと感じあった時間だった。

東京で働きながら子供を育てる。親が近くにいない人も多い。保育園は、そんな私たちにとって、親戚のような実家のような存在でもあった。

今日の晩御飯はすごい簡単なものですませてしまったという罪悪感。それを救ってくれるのは、園の野菜もたっぷりで美味しい安全な給食と、手作りおやつだ。クタクタで園に迎えに行く。家に帰ってからも子供を寝かせるまではいっぱいやることがある。寝かしつけてからも、明日までに仕上げなければいけない仕事がある。そんなときでも、送迎で一緒になる親同士で「晩御飯どうしようー」「休みまであと二日頑張ろう!」とか言葉を交わすことが励みになる。

土砂降りの日も、雪の日も、洗濯が山のようでも、ご飯を炊き忘れてしまっても、明日までに提出しなきゃいけない書類があっても、そんな焦る気持ちを「共有」とまでいかなくても、「シェアします」ができたから乗り越えられたんだと思った。

私がここ最近大事にしている言葉がある。

「自立は、依存先を増やすこと。希望は、絶望を分かち合うこと」

自身が脳性まひの障害をもつ小児科医の熊谷晋一郎さんの言葉だ。その言葉の意味を日々実感している。子供のこと、家族のこと、自分のことで悩んだり、困ったりしたとき、自分の中だけで解決しない。相談できるところ、頼れるところをたくさんつくる。日々の些細なことを一緒に感じて笑いあえる人、それは家族でなくてもいい、友人でも病院の先生でもお店のおばちゃんでも、そういう人がいるからこそ、自分も改めて喜びとして受け取ることができるのだ。

「TOKYO人権 第56号」熊谷晋一郎さんインタビューより抜粋

「私は長い間、失禁の問題を誰にも話せず、心の中に抱え込んでいました。けれどある日のこと、外出先で漏らしてしまって、通りすがりの人にきれいに洗ってもらったことがあったんです。私は一人で抱えていた絶望を見ず知らずの他人と分かち合えたと思いました。このとき『世界はアウェー(敵地)じゃなかった!』という絶大な希望を感じたんです。たった一人で抱えてきたことを他人に話し、分かち合うことができるようになって、『もう大丈夫』と思えるようになったことは、私にとってとても大きかったですね。絶望が、深ければ深いほど、それを共有できたときに生まれる希望は力強いんですよ。」

世界はアウェーじゃなかったという体験の積み上げが希望になる。

年始、実家に帰った時、駅のホームで待っていた私の母に、長女が「ばあば!」と言ってかけより抱きついた。一緒に出かけた先で、一人で歩いていた私の父に、長女はすっと近づき手をつないだ。父と母も、私も、そういうことができなかった。嬉しいとか、悲しいとか、そういう気持ちをそんなに素直に表現して、相手に伝えられなかった。そんな一世代間の思いを、娘がひとつずつ消化してくれている。「もう大丈夫だよ」と、親と娘の後ろ姿が、私に伝えてくれているようだった。

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