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時の過ぎゆくままに、だな、オレは。

〈ほんとう〉の時間というのは、流れないんですよ。
いつまで生きたって私たちは、「いま」しか生きられないでしょう。
「いま」というところから一度も、人間というものは動いたことはないんですよ。
これが〈ほんとう〉の時間です。

            武田定光


朝から会議の資料作りをしていた。

「ま、簡単にできるだろ」

と、たかをくくっていたが甘かった。

ある会議の年間の昨年度の事業報告なのだが、昨年は一昨年までに比べると事業が1/3にも満たないくらいだった。
コロナウィルス禍のせいではない。
その会が所属している会議の事務局を昨年の6月まで2年間受け持っていたのだ。
そのため、とんでもなく忙しい2年間を過ごしていた。
ひと会議ふえただけだえろ?大げさなんじゃない?
と、言う人もいたが、本業があり、それ以外に週イチで仕事をするような感じだ。
それも一番好きくない事務作業が半分くらい。やっぱ好きくない会議が1/4。
あっちゃこちゃの集会だセミナーだ講演への参加が1/4。
それで無給だし。
やりがい!と、思いこみながら、自分でマインドをコントロールしながら2年を過ごし、それを終えてからの一年間の報告書作りだから、ま、舐めきって当たり前だ。

ところがギッチョンチョン!

わたしは地道な作業ができない。
日記をつけるとか、家計簿をつけるとか、まったくできない。
そんな人間は、日々の記録なんぞどこに在るのか分からなくなる、一年ほったらかしとくと。
パソコンのどこかに在るのだろうが、分からない😅

昨年と一昨年の報告は、簡単にできた。
なんせ、しょっちゅうまとめておいたから。
金の入出から、何月何日何時に何があって、何人参加して、何をしたかを、ちょこちょこと報告義務がある立場だったので、いつ何時報告しろと求められても余裕のよっちゃんで、簡単な報告ならできる状態だったんだな。

1/3でも、一から作る、それも資料を探しながら。
メールを開いたり、LINEを遡ったりまでしながら、ようやくなんとか出来上がってきた。
ま、あとは体裁と誤字脱字のチェックくらいだ。

で、このA4用紙2枚に収まる事業になんでこんなにてぇへんな思いをしてんだ?
と、我ながら呆れ果てている。

昨年まで提出していた事業報告と見比べてしまい、あまりの少なさに、ちょいと寂しく思えるぜ。

じゃ、また、やりたい?と問われれば、嫌なこった!である。

日頃から、これくらいの行数で済むようなことなんだから、ちゃんとどこかに適当にでいいから纏めておきましょ、と、新たな気分であったりはする。

いい年こいて今更かい!

いまを生きている感じがしないよね、まったく。

過去に縛られ、未来に迫られ、今はただただ追いやられているだけな感じだ。

流れている方の時間ばっかみていて、ほんとうの時間はまったくスルーしている生き方だな。

そう!

ちゃんと、「いま」をどこかのファイルなりデータなりに記録しておけば、流れている時間にあたふたせんでも済むんだぞ。

日記とまでは言わないから、A会議であったこと、B会議であったこと、C集会でのこと、それをさぁ、Wordでもいいからさファイルに纏めとけよ。
そしたらさ、一年後にすごく楽だからサ!😁!

と、自分に向けて打っておこう。

たぶん、来年の今頃、同じことを思ってんだろうなぁ〜。

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