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いつかは蓮の華と咲く

存在の大地を切り離し、ひとり高みに立とう、伸びようとする私たちのあやまり。
私の存在もまたこの泥沼の世に加担している身であることを知り、自分を問う場所に我が身を置き続ける。

            尾畑文正


朝起きて、なんか疲れが取れていない、どころか、疲れた、と思うようになったのはいつ頃からなんだろう?

たぶん徐々に来てはいたんだろうが、例えば年に一度が月一になり週一になった、みたいに。
いまでは、朝起きて、ああぁ〜疲れが取れたぁ〜、なんて日のほうが稀だ。

で、起きると徐々に身体がほぐれるように疲れもほぐれだし、散歩をしながらスイッチが入る感じの日々だ。

仕事を終え、食事をし、風呂に入り、布団に入った瞬間、やっと、「疲れた〜😆」と元気が出るなんて日も結構ある。

元々が昼夜逆転のような生活、それとも違うな、昼も夜も関係なく寝れる時に寝る、そんな生活だったから、夜、おきているのが辛いということは滅多に無い。
なんもすることないし、テレビも面白くないし、本を読むほどの気力はないし、寝ちゃお、なんて日が多いのがここ数年だ。

自分から酒を飲みに出るようなことがなくなってからますます寝る時間がある意味様々になってきている。
ある意味というのは、やることやって、なんもなかったら20時代でも床についちゃうし、なんか元気な日は1時ころまで本を読んでいる日もあったりする。

起きるのは基本6時ころ。

ま、いまだに日によっては10時間眠れるのだから、元気ちゃ〜元気なんだろう。

一昨日、朝起きて、いつものように疲れを感じ、いつものようにスイッチを入れ、そこから土日祝日は法事で忙しいのでフルスロットル状態で過ごし、仕事を終えて帰宅した。
何もする気に成れない、食事を作る気にも、食事をする気にすら成れない、そんなくらい疲れを感じてしまっていた。

「ちょっと、この疲れ方は尋常ではないかも・・・」

そんな不安を覚えながら、それでも何か食べておかなきゃ、と、卵かけご飯とインスタントの味噌汁を掻き込む。
卵は2個にした。
あと

買っておいたキムチもしっかり食べて、風呂に浸かるきにはならないのでシャワーを浴びて、とっとと床に就く。

「え?体調悪い?味覚も臭覚もちゃんとてか、バッチシあるし、熱はないし、息苦しくはまったくない。ただ、力が入らん、というか入れる気になれん」

そんな気分で、ほんのちょっとだけ不安を感じながら床に就く。

「なんでだろ?たしかに、今日はちょっとだけハードだったが、夕方、法務をすべて終えて寺に戻り、コーヒー飲んだり、買い出しに出たりの時はなんとも無かったぞ・・・なんでだ?」

蒲団の中でしばし沈思黙考。。。

「あ!」

仕事に追われ、2日連続で朝食・昼食抜き、でもって、土曜の晩に「明日食べよ」と、餃子を仕込んで、その合間に厚揚げ焼いたので飯を食っただけ、そんな状態で今日の仕事を何も食べずにこなしたんで思っきしガス欠状態じゃん!

こりゃまずい、と、のこのこ起き上がり、仕込んでおいた餃子を焼き、夕食を摂りなおす。

寝る直前に食べないほうが良い、その方が深くいい睡眠が取れる、なんてのは気にしてられない。
だいいち、寝てももう疲れる年だし、深くいい睡眠なんて取っちまった日にゃ二度と起きられなくなるかもしんねぇじゃん。

おもしろいもんで、そこに気がついたらしっかり食欲も出てきて、ガッツシ餃子で飯を食い、よく眠れた。

自分を問うと、こういうことにも気づけるんだなぁ〜、って、あまりにも強引すぎ😅

でも、なんお不思議も問もなく生きているって、ストレスフリーのような気がするかもだけれど、どこかで日々際々、軽いボディブローを気づかないうちに受けているような状態な気がするんだよね。
ストレスにも気づかないで、気づいた時には手の付くしようがなくなっている、そんな感じ。

気にかけて、気にかけて、自分に手を掛けて大事にしてやるしかない。

それすると、基本、見えてくる気になるのは自分のマイナス面。
それは、自分に対しての自分。
世間に対しての自分ではない、対外的な自分ではないから、より自分を大事にしなきゃという方向に思考が進む。
そういう自分を見つめると、立たせてくれている、歩かせてくれている、そんな外からの支えに気づけるゆとりも生まれてくる。

そんな感じで在りたいとは思う。

さてと、今日もだるいのよ、暑さで。

これからいよいよ夏だねぇ。

気持ちを立たせにゃなぁ〜。

ボチボチいきましょ。

そうだ!こないだ珍しいビールだからって持たせてもらったのが冷蔵庫に入れてあるんだ!

今年3回目の飲酒してやろうかな。

いや、今日ではないな。

この日!という日を決めて、アテもちゃんと用意して、気分立ったぜぇ〜〜〜!、と思える感じにしてやろう。

汚泥に咲く華はキレイなんだぜ、蓮の華と言って、浄土の蓮華のことだわさ。

この汚泥世界をしっかり生きるっきゃないだろ。

いま、ここは大輪の蓮の華を咲かすための栄養補給の場だぜ。

大事に楽しもうや、悩みも、悲しみもひっくるめて。

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