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わたしはUFO

経験・からだ・欠点・病気・肩書・名前・称号、いずれも「わたし」ではない。
生まれながらにそなわっていて、それとともに生き、それとともに死んでいく、正真正銘の自分というものがある。
わたしとは、ワンダ(驚異に)フル(満ちた)なわたしであるというほかないのだ。

エリザベス・キューブラー・ロス
デーヴィド・ケスラー


忘れていた。
書くの。
それでも良かったのだが、思い出してしまった。
いや、気づいてしまった。

で、書き出した。
けど、なんも考えなく書き出したので、なんもネタが今のところない。

どしよ。。。

自分のコアな部分というものを内側に探してもない。
自分という意識は、昨日の言葉にもあるように、相対する何かに対して初めて存在するものだし、自分の身体は全て、外から取り入れたものによって作られたものであり、それを組み立てて作り上げるのは意思ではない。
筋肉を増強したり、脂肪を増やしたり減らしたり、脳の働きを活性化させるのに手助けはできるが、あくまで自分の身体の細胞が企てる「わたしのリノベーション」の手助けをしているだけである。

では、全てが外からの働きからなっているのかというと、それもまた違う。
わたし以外にわたしはありえない。外的要因を受け入れる皿としての「わたし」がなければ、その外的要因は「わたし」に働きかけてくることはない。
「わたし」が食べなければ、他の誰かが食べたとしても、「わたし」の腹は膨れないし、「わたし」の栄養とはならない。

身体だの意思だのの話で言えば、わたしはない。

では、どこに自分の核があるのだろうか?
理屈ではわからない。

でも、わからないと不安だから、仕事したり、遊んだり、勉強したりして、そこから得たものがわたしだと思いたい。

でも、それらは不安定なものであり、いつ我が手から離れるかもわからない、そんなもんでしかない。
そこにコア・芯があると勘違いすると、たぶん一生そいつに縛られ、しがみついていなければならなくなる。
最近、よく見かける、年老いて、いよいよ偉ぶる、過去の栄光にしがみつく、地位や権力にしがみつく、謝れない、何が悪いのかすらも理解できない、哀れなロートルのようにはなりたくはない!とは思うのだが、十分、ああなる素養はある。
ただ、幸か不幸か、わたしには彼らほどの地位も名誉も金もなんもない。
つまりしがみつきたいけどしがみつくものがない。

それでも、人間面白いもので、なんかしら探し出してくる。
側からすればなんでもないもんを見つけ出し、それを振り上げようとして、なんもない奴でもない奴なりに哀れなロートルになることができる。

とにかく、過去の栄光は自分自身に向けて、自分を元気付ける時にだけつかうようになるべくしょう。
他人に見せたらもったいない!それくらいの気持ちでいるのが丁度いいのかもしれない。
マスターベーションは一人でやってろ!と、なんか他人に見せびらかしてしまった時は、自らを罵るようにはしている。

大丈夫。
それでも、我慢しきれずに人に見せびらかしてしまうから、見せびらかしているから、大丈夫。
結構、周りの人は、わたしのしょ〜もない過去の栄光をみんな知ってくれてるし。

ともかく、コアを見つけるまでは「わたし」は浮遊物、未確認飛行物体、UFO、鬼・幽霊・お化けくらいに自分を思っていよう。
なんも見えないし、確認できない現象のようなもんだ。
それくらいに思っているようにして、わたしの場合は少しばバランスが取れる気がする。
それほど我が強い。

我が実体が見えるまでは「わたし」をわかってしまわないように生活していこう。

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