見出し画像

不可思議

あなたは、ただあなたであるというだけで、とくべつな人なのだということを、けっして忘れないでほしい。
あなたこの世界にとって、唯一無二の尊い贈り物なのだ。

エリザベス・キューブラ・ロス


メンタリストとなのる人間がトンデモ発言をして問題になっている。

メンタルが病んでいるとしか思えないような発言に、正直、怒りや不快感を通り過ぎ吐き気がした。

謝罪もしたようだが、彼の謝罪を観ていると名古屋市長の謝罪と重なった。

やり過ごせるなら頭を下げておけばいい。
二の鉄は踏まぬように勉強だけはしておこう。
何をどこまで言って良くて、どこから言ってはいけないのか。
そのためにNPOに学びに行って、知識を仕入れてこよう。

そんな感じにしか受け止めることができない。

なぜならば、彼の中には、知識で人権が分かるという、知識で命の尊さが理解できるという欺瞞が見えるからだ。

彼の弟さんのコトバでは、彼は論理・理屈で言わないとわからないタイプらしい。

「1タス1は常に2」であるというタイプだ。

想像力がない。
行間が読めない。
目に見え、耳で聞こえ、口で味わえる、鼻で臭える、手で触れるもの以外は感じられないタイプなのだろう。
それが現実であり、五感で感得できないものは理解できないのだろう。

そういう人間もいると思う。

だから、彼の発した、今まで発してきた、人権を無視した、差別的な言動は断固と否定するが、彼自身があることは否定しない。

てか、否定するもしないもない。

彼は事実ある。
考え方がクソであろうが、人間性がクズであろうが、そんなの関係なく、彼は命を得て在る。
それだけだ。
否定しようがない。

それが人権の鉄則だ。

理由も理屈もない。

在る、ってだけだ。

上下もない。

在る、ってだけで五分だ。

わたしの個人的な見解では、彼は学ぶことより、知識で人権ってものを取得することより先に、精神的な何らかの治療が必要だと思う。

彼の今回の発言を知って、最初に思ったのは、
「こいつは津久井やまゆり園での殺傷事件を起こした犯人と同じ思考回路をしているな」
ってこと。

彼が学びに行こうとしているNPOは、彼の一連の発言や彼の生い立ちを鑑み、彼を叩いて見放しても意味はない、と言っている。
そのとおりだと思う。
社会が当たり前のように、彼のような思考回路に陥る状況にある。
そこに問題意識を持って、社会全体を変えていかなければ、新しい彼らが出続ける。

中には、津久井やまゆり園の殺傷事件の犯人のように実行に移してしまう人間も出てくる。

彼らは、特別でもなければモンスターでもない。
今の社会状況ではあたりまえのように存在する普通の頭のいい、計算式通り、マニュアル通りに生きる人間だ。

皆一定の、生き方、生活様式、仕事、家族、友人関係などなどのマニュアルが有ると思う。
そのマニュアルを頼りすぎ、信じすぎ、疑えなくなったら、いつでもわたしも彼らの仲間入りだ。

理念でしかないかもしれないが、一切の命は等しく平等に尊い。
そこに理由も理屈もない。
命に価値という概念はない。
価値を問うことはできない。
「価値」なんて人間の作り出した量りでは触れてはならないものである。

人間が作り出した「人権」という価値判断ですら、「命」の前では不要であり、何ら意味をなさない。

そこに立った上で、理屈や知識で命を考えなければ、とんでもない思い違いをする。

「命」ってもんはわかりようのない不可思議なものだ。


この記事が参加している募集

カメラのたのしみ方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?