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何者でもないけど何者かである。

私たちは病気は治すべき異常なものととらえますが、自然の中では病気は正常の中に含まれているものなのだと思います。
その正常なバランスを崩すような現象が起こるとき、そこには必ず異常な原因があり、残念ながら環境破壊を含め人為的な行為が原因の多くを占めているのではないでしょうか。

            坂東元


人間というのは本当に矛盾に満ちている。

矛盾しているのが当り前なんだ。

自然の中ではありえないことを当たり前と思い、当たり前のことをありえないと思う。
ウィルスがあるのは当り前であり、あれば罹患するのも当り前であり、罹患してそのまま生きれるのか死んでいくのかもおまかせ。
本当はそれが当り前。
でも、ある時からか、人間は死ぬという感覚を、命には「生」とともに「死」というものがあるということを知ってしまった。
その時から、自然に逆行することが正しく、自然に打ち勝つことが目標となり、「VS 自然」の立ち位置で矛盾を生きることを選んだ。

だから、素直に矛盾しているんだということを受け入れるしかない。

先日、はるな愛さんがテレビに出ていて、現在、というか、たぶんずっと、自分の中の「大西賢示」を悩んできて、この頃は「大西賢示」の存在が大きくなってきた、と話していた。
そして、自分のセクシャルについての悩みを語られていた。
はるな愛さんは、戸籍の性別欄は「男」のままだそうだ。
それを訝しがられる事が多いと言うが、戸籍の「男」というのは変えたくなかったと言う。
そして、この人!、という人が見つかれば、女性と結婚したいとも語っていた。
おかしいと思う?

正直、少し前までの自分だったら、「ええ?」と思ったと思うが、おかげさんというか、いろいろな人と会わせてもらい、いろいろなセクシャルな人とも会ってきたので、全く違和感はなかった。
いいんじゃね、って感じだ。
性認識が女性の男性だから男性を好きになるのが当り前で、女性を好きになるなんておかしい、というのはめちゃくちゃ人間を型にはめて、マニュアル的な見方で違和感がある。
「世の中は男と女だけだ!それを逸脱するセクシャルはOUT!ありえない!」という考え方と大差ない。
だいたい、一人の人間の中に、多かれ少なかれ、割合はみんなバラバラだが、女性ホルモンも男性ホルモンも有しているのだから、男を好きになろうが女を好きになろうが、セクシャルで相手を選べなかろうが、恋愛意識というものが持てなかろうが、おかしくもなんともないんだろう。
自然界ってもんに戻れなくなり、環境や食物も好き勝手にしてきた以上は、人間はセクシャルにしろなんにしろメチャクチャなのは当り前なんだと思う。

だし、すべて、おかしいといえばおかしい。
おかしくないといえばおかしくない。

セクシャルの問題だけではなく、何でもかんでも、人間は型にはめ、その型どおりでないと悩む。
だいたいその型自体がいい加減なものだのだから悩む必要なんて一切ないはずなのだが、他人にはそう思えるが、自分で作った型がいい加減なものだとはなかなか思えないし、それを大事にすることで成り立つことが人間社会では大事である。
それを完全無視することはできない。
無視した風の人間も最近見かけるが、だいたい、そういう場合はどこかに責任放棄や意に介さない自分に酔っている風が見えてくる。

絶対型にはめるんだって、人間は。

ひとりひとり自由でバラバラなんだ、という型を作って、バラバラにしない、できない人を見て、そんなのおかしい!、という人を見ると、めっちゃ自分がやろうとしている、自分がやっている運動の型に嵌ってんなぁ、と思う。

矢沢永吉が先日言っていた。
「矢沢永吉ってとんでもないもん背負っちゃたなぁ」
て。

なるほどと思った。
ヤザワでないとならない矢沢永吉なんだな。

みんなそういうのあると思う、置かれ少なかれ。

名前であったり、セクシャルであったり、役職であったり、家族の中の立場であったり、なんやかや。

先生と呼ばれるような人は、先生になってふんぞり返ったらアホだけど、先生であるという認識から逃げてたら仕事できない。
総理大臣が公私を勝手に自分で振り分けて、あれは私人として、なんて逃げているのとおなじになる、わたしは先生というほどのもんではないですから、なんていうのは。
いつも先生であれとは言わないが、先生である以上は、先生になってはならないが、先生であることを忘れてもならないとおもう。

大変だな先生。

ウィルスを敵だと、脅威だと感じる以上は、それを何とかするというのは、やはり、人間である以上は必要なことであり、人間であることを忘れてはならない。

受け入れられないじゃん。

たとえいま流行っているウィルスは受け入れられると言えたとしても、癌であり、脳梗塞であり、成人病であり、受け入れられますか?ということだ。

人間はしょせん自然の一部でしか、宇宙の一部でしかない、とは言うが、自然の一部にも宇宙の一部にもなれないし、いまさら戻れない。

それなら、しっかり人間を生きるしかない。

いまのウィルスの蔓延は成るべくしてなったあたり前のことだし、ウィルスが変異することも、より強力なものになることも、インフルエンザを見ていればわかるように当たり前のことだ。
でも、だからといって、恐れるな、と言われても怖いもんは怖いし、なんとかしてほしいって思うのも事実だ。
受け入れられるわけがない。

ウィルスとの共存なんて言っているが、共存はしているんだよ、敵と思わなければ。

でも、そうも言ってられないじゃん。

共存ってのは、敵対心を一切持たなければできないのよ。

自然に敵対心を持って生きる人間には自然環境との共存などできようはずがない。

だからせめて人間同士の共存くらいは努めにゃならんのに、戦争はやめないわ、空爆を擁護するような、空爆を礼賛するような発言を防衛副大臣がするわ、本当に救いようがない生き物だ。

ともかく、正解も正義も人間には一切ない。ゆえに、わたしのする事なす事考えることも危ういことばっかだということは、どんなときでも保持していたい。

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