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独立5年目になってわかったこと

 最後にブログを書いてから、2年以上間が空いてしまった。2020年春以降のコロナ禍の影響はやはりあったと思う。当時予定していた仕事がなくなり、その直後に始めた仕事はなかなか実を結ばなかった。
 数年前に長く勤めた出版社を辞め、一人で版元を作ったのだが、コロナ禍以後の2年は新刊を出すことができなかった。
 その間のことは長くなるので別の機会にするが、2022年の4月には久しぶりに新刊が出て一息つき、次の本の出版もできた今、ようやくブログも書く気になった。

■当初の目論見と実際にあった需要の違い

 出版社を辞め、著者に制作費をいただいてプリント・オン・デマンドという紙の本と電子書籍を刊行する「ケイオス出版」という版元を作ったのが、2017年の暮れ。2018年から活動を始めたので、今年でもう5年目になる。
 上のようななりゆきなので、自慢できることは何もない。しかし、これまでの記録と自分の頭の整理のためにも、恥をさらすつもりでやってみてわかったことを書こう。もしかしたら、一つのサンプルとして誰かの参考になることもあるかもしれない。

 独立して活動を始めたばかりの頃、著者が本を執筆・出版するなかで、そのテーマでは当たり前になっている前提を疑い、再定義するサポートができたら、なにか一石を投じられるのではないかと考えていた。
 しかし、仕事を出してくださる著者の方で需要があったのは「再定義」ではなく、大別すると以下の2つだった。

①長期品切れ(事実上の絶版)になってしまった本の復刊
②普通の出版社では商業ベースに乗らないが、著者が大切なテーマだと考えている本の出版

 普通の出版社がカバーできないこのような「穴」を埋めることに、私のような個人でやっている版元の役割が生じるということになる。こうして改めて書いてみると、当たり前のことなので、ちょっとびっくりしている。

■需要があった仕事①――長期品切れになってしまった本の復刊

 ともあれ①の復刊は、数多くの新刊を出して売上を稼ぎたいが余剰在庫は持ちたくない出版社が、3年ぐらいで本を長期品切れにしてしまうという構造的問題が以前からあり、著者の側にはもともと需要はあったろう。ご自身が書いた本の長期品切れを残念に思っていることが、著者の言葉の端々から伝わってくる。
 最近はTwitterなどでも、研究者や小説家、翻訳家などが、せっかく出した本が入手できない状態を残念がっているつぶやきを目にすることが増えた。

 加えて、中小出版社が倒産して、運悪く本が絶版になってしまうケースも時々聞く。また、これまでなら「テキストに使うので在庫を残してください」「数百部ならば買うので増刷を」といった著者の要望に応える版元も多かったと思うが、それもだんだん渋くなってきているらしい。このところ、そういう背景があって本を復刊する仕事を、立て続けにいただいた。

 また、著者が長期品切れになった本のテーマにずっと関心を持っている場合、復刊にあたって「改訂増補する」のは、原本を出し直すのみの復刊よりも、より意義を感じていただけることもわかった。
 時代の流れや状況の変化に応じて、メッセージを書き加えたいと思ったら、オンデマンド本は半永久的に絶版にならないし、個人版元は小回りが利くので、折に触れ、改訂増補していくことができる。
 これだけ変動が激しく、何が正解か誰にもわからなくなっている時代に、新たに本を書き下ろし、メッセージを発信するのは簡単ではないはずだ。しかし「改訂増補」復刊であれば、すでにある著作をベースにして内容を更新できるので、いま思うことを書くきっかけになると思う。

■需要があった仕事②――普通の出版社では商業ベースに乗らないテーマの出版

 ②の著者の考えとは裏腹に商業出版になりづらいテーマの出版は、普通に考えれば、自費出版がメインの出版社に話をもっていけばいいはずだが、話はそう簡単でもない。

 まず、費用の問題がある。自分の知る限りでは、出版社に自費出版を頼むと、印刷費込みで150万円~250万円ぐらいかかる。これは友人知人に配ったり、買ってもらったりがメインであり、全国の書店にきちんと並ぶかというと、一部を除いて難しいところだと思う。
 他方で、普通の出版物のように全国書店で販売されますというある出版社の場合、営業費込みで1千万円近くかかると聞いたことがある。最近は少し値下げしているとも聞いたが、それにしても、誰もがすんなり払える額ではないだろう。
 また、企業が1000部~2000部ぐらいを買い取る代わりに、通常の書店ルートで社長や企業の名義で本を出す「企業本」というジャンルもあるが、出版社にいた時に聞いた限りでは、最近は買取部数や書店での実売部数に厳しい条件が課されるようになっており、なかなか難しいように思えた。

 では自分のところはというと、ページ数や作業量によって変動するが、復刊は50~65万円ぐらい、一から作る場合は80~90万円ぐらいといった制作費でやっている。装幀料や校正費など諸経費も出て行くので、会社組織だったら利益を出すのが難しいと思うが、生活費さえ賄えればいいので、数をやれば何とかなる。
 また、最初はおつきあいのある著者が仕事を出して下さることが多いので、100万円を越えるような額は請求しづらいものがある。今まで著者が原稿料を受け取ってきたので、本を出す時にお金がかかることそのものに違和感を覚えるのも、しばらくは仕方がないと思っている。

 もちろん、この話は費用の多寡が問題なのではなく、高いとか安いとか言っても、それは目的次第だろう。お金をかけても自著の出版を実現し、ブランディングを成功させる著者もいると思うし、それはそれで意味がある。
 しかし、出版社にいた頃からいろいろな方を見ていたが、長年書かなければと思っているテーマがあるのだが、出版の話がなかなか進まないという著者がいて、それはお金をかけても本が出ればいいという話には思えなかった。

 そういう著者の場合、出版のパートナーとなる編集者に、テーマの意義をまず理解してもらいたいのだということを感じる。それはそうだろう。十分な意義や手応えを感じていたとしても、それがまだ人々に理解されていないという感覚があるからこそ、本を出したいのだ。最初の理解者は大事である。
 それと表裏一体だと思うが、自分の言葉で表現したいという欲求を感じることが多い。そのため、本ができあがって御礼の挨拶に行くと、すっきりした表情をされていて、何かをやり遂げた充足感を感じさせてくれたりする。これはお役に立てた感じがするので、編集者としても嬉しい瞬間である。

 後で述べるように、オンデマンド出版は書店流通の本に比べ、届けられる読者数は限られるから、あまり大きなことは言えない。ただ、上のような思いを支えられ、編集のサポートを受けて書かれた本の方が、読者に真意も伝わりやすいだろう。背景を含めた問題意識や独自のメッセージを明確にするということも時間をかけてやるので、中長期のブランディングにも資すると思う。
 考えてみれば、これは出版社にいた頃から、ずっとサポートしてきたことだったかもしれない。

■偶然の導きの中で持ち味を生かす

 そこで当時を振り返って、本の出版がどんなふうに実現していったかを少し書いておきたい。上で一応理屈は書いたが、説明しきれていない部分を補足することにもなると思うからだ。

 まず出版企画というのは、編集者が「この著者にこのテーマで一冊書いてほしい」と依頼するのがオーソドックスな形だが、執筆依頼をきっかけに著者に会い、やりとりを続けるうちに別のテーマが持ち上がることも実際には多かった。著者との対話によって、当初考えていたのと違う本が生まれてくるのも、本づくりの醍醐味である。また、営業に対して販売実績を作っておいて、何冊目かで著者が長年出したかったテーマを出すこともある。
 著者は何か表現したいこと、まだまとまった形に表現できていないことを一つは持っている。それを理解のある編集者に手伝ってもらいたいのだ。

 そういう前提で仕事をしているうちに、今度は、すでに本を出させていただいた著者や関係者から、別の著者を紹介されることも増えてきた。すると、何社かに出版企画を持っていっているのに話が進まず、なかなか本を出版できないという著者が意外に多いことがわかった。
 これはやはり、そのテーマや著者の持ち味を理解してくれる編集者にまだ出会えていないのだと思えた。同じ出版社であっても、編集者が違えば関心テーマも異なるから、判断が変わってくるのもある程度仕方がない。

 私自身はある時期から、大きな意味での編集のスタンスが定まっていったように思う。これは当たり前のような気もするのだが、その人の「持ち味」をうまく生かしてこそ、エネルギーにあふれ、読む人に感銘を与えられる本が生まれてくる。そのうえで、それをいま書く必然性のようなものが感じられるかどうか。
 程度の差こそあれ、この原則が当てはまるのは著者に限らない。フリーの編集者さんやライターさん、あるいは編集部員でも同じだと思う。「ビジネス系の出版社だからといって、無理してビジネスの企画書なんて出さなくていいよ。あなたの良さは、そういうところじゃないじゃない」。そう思うことは度々だった。

 もちろん、その人の持ち味を社会的な脈略に乗せるのにはそれなりに工夫が必要だし、それで本が売れるとは限らない。時代の流れがあり、世の中の状況があり、物事が動くタイミングというものがあるので、それに乗った時に事はうまく運ばれる。これには「運」や「縁」という偶然の要素が絡むので、自分の思うようにはならない。逆に、たまたまうまくいきすぎて、自分の持ち味を勘違いしてしまうこともあるだろう。

 また、頭の中のイメージが邪魔して、人は自分の持ち味を自覚しにくいものである。私自身を例にすると、若い頃はかっちりした中身の人文思想書を作り、サントリー学芸賞とかを取りたいと思っていたのだが、別のご縁で別のテーマに引っ張られていった。
 自分としては意外だったが、ビジネスであれ、経営であれ、医療であれ、ある問題意識をずっと抱きながら現場で経験と苦労を重ねてきた著者が、その洞察をメッセージとして書くという本にご縁があった。それは今の社会通念とは異なる、しかしオーソドックスな考え方に基づいていたと思う。
 そういう世界で長く続く、良いご縁をたくさんいただいた。当初の目論見とは違ったが、それでよかったのだと思う。

 縁の深い他人やテーマとの偶然の出会いという導きがなければ、自分の持ち味はなかなか自覚できない。そして、その時のテーマや人としっかり付き合って卒業できた時に、また新たな展開が始まるものなのだと思う。
 そういう意味でも、本というのは、お金をかけても出せればそれでいいというようなものでもない。長く抱いていた問題意識について思うところを表現するなかで、自分の持ち味を知り、社会の中での自身のあり方を確立したり、あるいは変えたりするために人は本を書くのではないか。自分はそんなふうに思う。

■独立後に編集した本のテーマ――死生観と看取り

 独立してからは、なぜか「死生観」や「看取り」をテーマとした本ばかり、編集してきた。
 独立後の一冊目である小説『アミターバ 無量光明』(※1)はがん患者の高齢女性の死のプロセスを描いた物語だが、その2年ほど前に母を肺がんで亡くしたのが縁で、この本の復刊に携わったのを感じた。
 実は著者もこの小説を書いたきっかけについて、義理の母を看取った時に言えなかったことがあり、それを小説に書きたかったとインタビューに答えている(※2)。
 本を編集する過程でこの小説を何度も読み、校了の段階になって「母の最期は外から見ると苦しそうだったが、もしかしたら、本人の中ではこういう安らかな過程もあったのかもしれない」と思えて、著者に「実は私も数年前に母を肺がんで亡くしたので、今回『アミターバ』を読んでいて思うところがありました」という話をすることができ、本のテーマを通じて著者と通じるものがあった。

 これは「一人称の死」を描いた小説なので、死に向かううちに意識が変容していく過程をリアルに描くことが肝だと思うが、それが読者にも追体験できるようになっている。もしかしたら、何かの転機にあたって人が意識変容するのは、これと同じようなところがあるのかもしれない。
 自分が会社を辞める直前に、社内で立場を離れる発表があったときに、恥ずかしいが、頭の芯がクラクラっとして目まいを感じたこと、また著者をはじめ、お世話になった方々に退職の挨拶の手紙を書いている時に、その方たちとの心に残る場面が走馬灯のようによみがえってきたことなどからだ。リアルな死は「会社員としての自分の死」というようなイメージ的な死と違って生易しいものではないと言われると思うし、それはもっともである。
 ただ、この(疑似的に)死ぬのではないかという過程を経て、何かが変わるというのは、人もそうであるし、もしかしたら、社会や文明もそういうところがあるのかもしれない、と想像している。
 ちなみに社会学者の大澤真幸さんが、気候危機をはじめとする今の文明の危機的状況における先進国の態度を、キューブラー・ロスの有名な「死の受容の5段階」に当てはめて論じており、興味深かった(※3)。

 次の本『日本人に合ったがん医療を求めて』(※4)も、医療者の立場からの「看取り」が大きなテーマになっていた。著者は、がん患者が告知によって自らの死を意識し、人間としての「限界状況」に陥るということを前提としないような、今のがん医療のあり方に深い疑問を持っていた。
 そのうえで、医師の権威によるパターナリズムでもなく、患者の自己責任でもなく、医師も患者も裃を脱いで交流し、双方悔いのないがん医療を共につくることはできないか――そういう問題意識と提言を初めて書いた本だ。
 この著者にも、上に記した母の肺がんの治療に関して、セカンドオピニオンという形でお世話になっている。母が入院していた大病院では担えていない部分――主治医が勧める治療についてのインフォームドコンセントというより、もっと患者および家族の身になった効果や予後の説明、終末期においても、一縷の希望を失わず、家族が苦しむことがないよう心遣いをいただいた。もともとの人間関係もあったと思うが、肉親を亡くす私の心細さを支えてもらったのだと思う。

 これらの本を出した頃は、なぜ、こうも「死」や「看取り」といったテーマばかり出版するのだろうか。東日本大震災の時のように、また災害などで多くの人が亡くなったりするのだろうか。あるいは、自分がもうすぐ死ぬのだろうか、と訝しく思ったりもした。
 しかし、またもや「死」や「看取り」をテーマにした新刊(※5)を出版した今、これはやはりコロナ禍やウクライナ戦争、自然災害の頻発といった社会状況に深く関わっているのだと思う。上で振り返ったことで、改めてそれを感じた。自分の個人的なテーマにとどまらず、おそらく時代の要請なのだ。それらが交差するところに、出版の縁が生まれるのだろう。

■あまり書いてこなかった収入のこと

 話は変わるが、これまであまり書いてこなかった収入のことも、書いておかなければならない。

 今のところ、自分一人の生活費も賄えていないから、サラリーマン時代の貯蓄を取り崩している。オフィスを借りず、在庫を持たず、食費や通信費など削れるものは削ったし、収入もゼロではないから、急激な減り方ではないが、いつ帳尻を合わせることができるのだろうかと考え出すと、少々、心細くなる。
 本を一冊作って入る数十万円の収入と、一年間で作ることができる冊数、50歳を越えた体力を考えると、そう気楽にしてもいられないとも思う。

 もしかしたら、この感じは、以前うかがったブック・ライターさんの収入構造に似ているかもしれない。
 本の原稿を一冊書いて入ってくるのは数十万円(初版部数にもよるが、50万円ぐらいか)で、年間それを何冊できるかというと、取材も含めると5冊が限界である。重版印税が入ることもあるが、いつも売れるとは限らないので当てにはできない。視力の衰えなども感じるので、先々のことを考えると、今後の判断が難しいのを感じている、ということだった。

 では、本の販売収益はどうかというと、流通を担うamazon等に販売手数料とオンデマンド印刷代を払うので、これで代金の8割以上を持っていかれ、収入は代金の15%ぐらいである。
 販売冊数もおおむね、書店流通の書籍の10~15%ぐらいだろう。これはネット書店のみの電子書籍が、書店流通の書籍の10~15%ぐらいの販売冊数であることを思えば、業界人なら想像がつくだろう。
 単価と冊数をかけると、数万円である。しかし一冊数万円にせよ、10冊で数十万円だから、ちりも積もれば山となるで、莫迦にはできない。
 ある小さい出版社の社長が、出版社を設立した場合、刊行点数がある程度の量にならないと経営は安定しないとブログに書いているのを読んだことがある。さらに小規模ではあるが、同じような面があるかもしれない。まずは無理のない範囲で、刊行点数を積み上げていこう。
 また、本が完成する前の執筆段階で、原稿へのフィードバックやサジェッションを含めた「対話とサポート」で、月に2万円ぐらいいただくという仕事も新たに始めている。

■ここまで書いてみて感じたこと

 最後に、ここまで書いてみて、感じたことをまとめる。

 一つには、経済的あるいは社会的構造のなかで、人は自分の意思とは無関係に、その構造に嵌まってしまうところがあるのではないかと改めて思った。
 以前出版社にいて、この業界の限界をつぶさに見てきたので、自分はそのオルタナティブを作るというくらいの心意気はあったのだが、実際には、出版社のカバーできない「穴」を埋める役回りになっている。
 ライターさんの収入構造に似ている点も、個人事業主の多くは自分の体が資本であり、立場も弱いので、単価の安い仕事を数をこなした分しかお金が入らず、結果として「貧乏暇なし」になるというパターンに嵌っているだろう(自分の場合、無理に営業をかけないので「暇なし」というほど忙しくはないが)。
 気づかずに構造に嵌っているから、ダメだというのではない。後付けの理屈で言えば、そうなるのがむしろ当たり前なのだが、鼻息の荒かった最初の頃はその認識が不足していたと思う。だから今度は、その構造を前提にした時に、自分の強みや正味で提供できるものは何かを試行錯誤しながらも明確にしていきたい。今回は途中経過として少し考えてみたのだが、どうだろうか。
 二つ目には、やはり自分は、著者とのご縁に恵まれているということを感じた。それが支えになって、この仕事を続けていられるのだろうし、お役に立ち、心が通じることが働き甲斐にもなっている。これは最初のブログ(※6)を書いた時からあまり変わらない。
 三つ目は、お金というのは、足りないのを過度に気にしなくてもいいぐらいにあった方がいい。しかし、これからの時代は、自分自身を支えられるような何をするかが、より重要になる気がする。お金はないと困るが、あったからと言って、精神的に自分を保てるようなものではない。コロナ禍を過ごして、このことを痛感した。
 おそらく、これは二つ目にも関係するが、自分の場合は、仕事でもなんでもいいので、敬意をもてる人との長期の信頼関係があること、また、自分のことをしっくりくるような言葉で、かつ可能な限り客観性をふまえて表現すること。まだ他にもありそうだが、これらが鍵になるような気がしている。
 四つ目は、三つ目とも一部重なるが、他人にわかってもらえてももらえなくても、人は等身大の自分を表現したいし、そのことで自分の人生を肯定したい。できることなら、自分が生きて学んだこと、経験から掴んだことを、後の世代に何か伝えられたら、と思うものだ。
 以前は、部下や後輩に直接何かを伝えようと思っていたが、言葉で言われると人は反発するものである。今は記録として残れば、参考の仕方は反面教師としてでもいいので、もう任せればいいのではないかと思っている。

 さて、数年後にはここにどんなことを書くことになるのだろうか。コロナ禍のようなことが起これば、状況は一変するだろうが、果たして自分はどう応じるのだろう。まったく想像がつかないので、どんなことを書くのか、今から楽しみと言えば、楽しみである。

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※6「カズオイシグロの『文学白熱教室』を久しぶりに見直して、考えたこと」 https://bit.ly/3z3dMKa

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