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サッカー、ザンビアの思い出

僕の知っている限り、アフリカではサッカーが大人気。

初めてザンビアに行ったときに、その事は身にしみて感じた。
1996年当時、多くの選手は、裸足でプレー。
上の写真は、ザンビアの国立公園関係者、ンゴマキャンプと、25キロ北にある公園の外の町イテジテジチームとの対戦。

ザンビアの国際チームは世界的にも強かったのだが、不幸なことにチームの選手を乗せた飛行機が墜落してしまったそうな。ガボンに遠征に行った帰り道、1993年の事。
当時、彼らの心にはその傷はまだ癒える事無く、残っているのを彼らの視線から感じた。
墜落した飛行機は、ザンビア空軍のプロペラ機だった。

僕も、対戦を観にイテジテジへ向かった。

キャンプからの距離は25キロ。
移動にはトラクターにつなげたトレーラーを使用。
サスペンションのついていない、露天トレーラーに30人程度乗車し、いざイテジテジへ。

サスペンションの無いトレーラーの乗り心地、なかなかハード。
道も9割以上は未舗装路。
腹筋のトレーニングになかなか良いかもしれない。

試合は夕方に始まった。

前回、失われていくたくましさで書いたが、サッカーをプレーする選手たちの多くが裸足。

真ん中左の選手は、ンゴマチームのミスター、ピリー。
チームのキャプテン。
僕に親しくしてくれた友人で、ほかの人たちと比べると結構裕福だったようだ。よく食事にも招待されて、お互いいろいろな話をした。

彼はオートバイも所有していた。

彼、ミスターピリーは、靴を履いてプレー、それもサッカー用のスパイクシューズ。
裸足と比べたら圧倒的に有利だというのは、想像に難くない。

この試合、スパイクシューズを履いたミスターピリーの複数の得点によって
勝ったというのは強く覚えている。

普段靴を履いている人たちも、試合では靴を脱いで、裸足で試合に参加。


裸足から感じた、人間の体の神秘


本来の生物としての人間、体に何も身に付けずとも、地球上の環境で生きていけるようにデザインされているのだな。と、思ったしだい。

それもそうだ、ずっとずっと考えられないような長い年月、世代を重ねて生きてきたわけだ。

どんな環境にも順応してしまう。
生き残った、デザイン。

いらない機能は殺がれ、必要な機能は強化されていく。

そんな事をはだしでたくましくサッカーをプレーする彼らを見ていて感じだ。

靴を履くようになれば、靴が無ければまともに歩けない足になってしまう。
靴を履いていなければ、足は自ずと靴が無くとも平気な足になっていく。

人間の体って、状況環境によっていかようにも変化するのだなーと、感心した。

当時、しばらく僕も裸足にチャレンジしたが、炎天下の日中の地べたは熱すぎた。
それでも、ひ弱な日本人の足の裏も、しばらく裸足でいるとかなり慣れていく事が分かった。

彼らは、足の裏は強くとも、寒さにはめっぽう弱かった。

小さな子供にはやたらと厚着をさせる習慣の彼ら、寒さにめっぽう弱くなってしまったと想像する。

こちらが半そででいるのに、相手はジャンバーを羽織ってもまだ寒いという。

サッカー対戦後

その後、ンゴマチーム側は、勝利の喜びのあまりのドンちゃん騒ぎ。
選手一同、ンゴマのサポーターを含め、飲んだくれ、喧嘩騒動なんかもあったのを覚えている。

対するイテジテジ側の選手は、ンゴマの選手との対戦後、ンゴマ側はは必ず羽目をはずして、問題を起こすと愚痴を言っていた。

そんな陽気な人たちだった。

彼らを見送り、僕はイテジテジの友人の家に泊まらせてもらった。

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