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無名の存在

 知らんがなって話書きます。まず近況で言うと、おかげさまでそこそこ忙しい感じになってきました。自分の感覚で、仕事してる感ゲージがいい感じ。入稿してから二丁目で飲む酒の旨さたるや。そして今回のタイトルという感じ。

 私は別に著名人でも有名人でもモデルでも歌手でもなんでもないので、カテゴリで言えばたぶんまだギリ”主婦”だから、記事とか書いても「名前で拡がる」ってことはまずないです(記事の内容が相当良ければもっと拡がってくれるかもしれないから、もうちょっと勉強が必要だなとは思いますが)

 私自身は有名になりたいとか、ライターとしてブイブイ言わせたいとかそういう考え全然ないんですよ。ちょっとはあった方がいいんでしょうか? みんなすごいですよね、自己顕示欲。私が主に書いてるのはインタビューとかレポが多いんですけど、メインは”書かかれる対象”じゃないですか。それもあって、書き手が目立ってどうすんのって思っちゃうんですよ。そもそも、書き手の自己顕示欲がにじみ出てる記事は好きじゃないんです……

 でもね、音楽に関しては自己顕示欲って絶対必要だと思うんです。音楽に限らず、自分が出役として個性を発揮するタイミングのときは、です。楽器吹く時は楽譜ありきだけど、譜面(ふづら)を超えて自分を表現出来なきゃだめでしょって。自分が主役なんだから。ムソルグスキーの存在にビビってたら、展覧会の絵なんて全部モノクロの閉店ガラガラになっちゃうよ。蜷川実花もびっくりな極彩色にしてやるくらいの気持ちでいかないと。

 でも記事に関しては自分が主役じゃないこともあるわけで。取材対象に興味があって読んでみたら、書き手の主観が強すぎて辟易しちゃうことがたまにある。エッこの話の主人公お前なの? みたいな。レポとかインタビューとかに書き手の自己顕示欲が盛り込まれてると感じたら、悪いけどすぐブラウザ閉じちゃう。取材対象への質問が長すぎる且つ合間合間で読者に知識マウンティングしちゃってるインタビューとかたまにあるけど、ヒーローインタビューでド滑りしてるのを観させられてるような気持ちにしかならない。そんなんばっかだともう地雷記事踏みたくないから、安牌な書き手の名前で読む記事選んじゃうよね。

 となると結局、無名の存在は天才に昇華するか死ぬしかないのかなってたまに悩むわ。でも、世の中はたくさんの無名の存在が支えてる。有名人を”使ってる”のは、無名の存在だったりする。みんながみんな有名になりたがったり、なろうとしたりする今の世の中のこの感じは、正直よくわかんない。私がBBAだからかもしれない。でもさ、自分が何者かをはっきり名乗れるなら、無名でも別にいいじゃんねって思います。無名=透明じゃないよ。

 という、ゾッとするほどオチのない話でした。

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