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#6「南仏編」最終話。物語はパリへ動き始める。

2024年1月。
新年を迎え、穏やかな朝を迎えるや否や
能登地方を震源とする大規模地震の発生。
被害を受けられた皆様の安全と1日でも早く平穏な生活に戻られますことを祈る。

手元のiPhone には、iOS17.2 にアップデートしてから、勝手に入ってきた日記アプリ「ジャーナル」
そのアプリから、一昨年のクリスマスに南仏でお世話になった懐かしいマダムの写真がハイライトされた。そう、
南仏語学留学から帰国してからちょうど1年。
昨年の今頃、私は南仏留学を終えて、2023年の目標ル・コルドン・ブルーへの入学準備を始めるために、でもちょっとぼんやりと海辺にあるキッチンアトリエで過ごしていた。

このマガジンは、1年後の未来に立っている私の、
「未来の記憶」のノートである。
その記憶が記された日記。
2023年1月の、南仏から帰国した私は、
ル・コルドン・ブルーパリ校の入学申請プロセスを始めた。

と言うわけで、このマガジンも、
いよいよ次回から物語の舞台は南仏から一旦日本に戻り、
次の目的地であるパリに向かって動き始めます。

そして今回は、
語学証書を修得する目的を達成した南仏編を終える、
エクスの街を放課後毎日歩く。の最終話。

さて、おさらいですが、
私が語学留学に選んだ学校は、IS AIX en Provence と言うフランス政府公認の学校。
滞在中、エクスを出て、週末の小旅行をするつもりで、さらに南の海辺の街、サントロペの友人に会うため電車のチケットを取ったのに、その頃頻発したフランス国鉄SNCFのストでいけなくなったので、ずっとエクスの街で過ごしたわけで、、
毎日放課後に、下図の白い丸の中を歩いて、片っ端から美味しいと言われるパン屋を巡ってパンを買い、朝食に必ず食べ、カフェやショコラティエを巡り、たまにレストランで食事して、マルシェに行き、MONOPRIXに行き買い物すると言う日常生活でした。

そこで覚えたプチデジュネ(フランス式朝食)。
これが、私の未来にとても大事な要素になることを確信させてくれた街の学校とプロフェッサーのみなさんには感謝しかない。

エクスの街は小さくて、多分、私には物足りないと最初は思っていたのに、去る日が近づくにつれて、その考えが全然違うことに気づいた。
もっと時間があれば、ここにも、あそこにも行きたいと思うところがたくさんあったし、学校のプロフェッサーが街案内してくれたことにより、この街が大学都市と言われる所以を知るにつけ、アカデミックなこの街の歴史に俄然興味が湧いた頃に帰国となってしまった。このノートには、もっとエクスの街のことと、私にフランス語を教えてくれたプロフェッサーのこともたくさん書きたいことがあったのだが、未来の時間が無常にも過ぎ去っていくので、南仏「エクスの街を放課後毎日歩く」番外編、って、留学に一番肝心な「語学カリキュラムとその費用」と南仏物価についてを、後日、マガジンに付け足そうと思っています。
劇安いけど、瓶は重たいのでお土産を諦めた。
街にはたくさん広場があって、噴水がある。ローマ時代から続く歴史ある街並みに気づくのが遅すぎた。
町の人気店
マドレーヌ
これは、パリで買おう
固形石鹸。トラベラーには便利。

2022年12月23日。
その日は、最後の授業。
そして、手にした修了証書。

私の学生時代、フランス語は第二外国語だったとはいえ、
それはすでに40年前の話。
2022年の仏語習得再開に、ほぼゼロからの語学レベルスタートで、
(A0から)5週間の仏語語学留学。
結果、A2の証書を修得できました。
本当に本当にプロフェッサーのおかげです。
エクスへは、言葉を学びに来たのですが、
きてみたらそれだけではなく、
近い距離感で外国人を迎え入れてくれて、
ここに暮らす人たちの考えや、生き方「vivre」を教えてもらった気がします。
本当に、忘れていた学びの多い時間でした。

この南仏時間では、

『2022年東京で捨てたもの。新しく得たもの。』の答え合わせが、自分の中でできたし、『2023年に捨てるもの、新しく得るもの』の、「モノ」も「考え」方も2023年の年始に自分の中にはっきり見えたことは、間違いなくこの留学経験の成果でした。

南仏編の最後に、エクスからパリへ向かう日のことをもう一度、思い出してみた。
その日は、クリスマスの寒い朝。
日本へ帰国する前の1週間をパリで過ごすため、エクサンプロヴァンスの駅からパリ行きのTGVに乗る。↓

ル・コルドン・ブルーパリの歩き方の始まり。

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