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歪んだ「改心」 川崎「連続通り魔事件」の真実

仮出所を前に、殺人未遂の懲役囚が別の殺人事件の犯人だと名乗り出た。
良心の呵責に耐えきれなかったのか、それとも他に何か理由があったのか。

初出 『新潮45』2018年6月号
本記事の「今年」は2018年。情報は2018年5月当時のもの

 獄中の告白

 10年前の公判で見たときは恰幅の良い大男だったが、いまは一回りも二回りも痩せて見える。
「目の調子が悪くて本を読むと字がずれたり……。『役』の字が『殺』にしか見えなかったり、こっちにあるものが、あっちに見える。自律神経が乱れてるからいろいろな症状が出ると医者には言われました」
 右から左に大きな左手をゆっくりと動かしながら言う。その薬指には事件の時についた傷が今も薄く残り、少し曲がっている。
 横浜拘置支所の接見室。目の前にいるのは、語る必要のない罪を告白した男だ。獄中で、自分が犯したもう一つの罪を訴え出た。
 その告白は自分の行為の重大さを知り、反省したからこそなされたものだと思っていた。なのに彼の関心は、やがて始まる裁判でどうすれば刑が軽くなるかばかりだった。
「最低でも懲役27年はいくんじゃないか……。受刑者に選挙権を認めない公職選挙法の規定は違憲だという判決が出ているので、(投票できなかった自分は国に)民事で勝てる見込みがあるんじゃないか、それの金で弁済したいと。裁判のときに(それを)出せば……裁判官、裁判員の印象が変わってくる」
 お詫びの気持ちを示すことよりも、お金で減刑を画策している。一体何のための「告白」だったのか。私には彼の心の在り処がまったくわからなくなったーー。

                *

 殺人未遂事件で服役中の彼が告白したのは長く未解決だった「通り魔殺人」だ。
 神奈川県川崎市宮前区。東急田園都市線梶が谷駅から南東2キロの距離にある通称『梶ヶ谷トンネル』は、JR貨物梶ヶ谷貨物ターミナル駅や、武蔵野貨物線の下を通る長さ約170メートルの市道トンネルだ。
 2006年9月23日午前0時頃、このトンネル内の歩道で当時27歳のアルバイト・黒沼由理さんが倒れているのを通りかかった会社員が見つけた。黒沼さんは右胸と左腹を刺されており、病院に搬送されたが約2時間後に死亡。神奈川県警捜査一課は殺人事件と断定し、宮前署に捜査本部を設置、捜査を開始した。
 黒沼さんの自宅はこのトンネルを南に抜け3分ほど歩いたところ。30メートルもの長い血痕は、家にたどり着く直前の南側出口付近で何者かに強く刺された黒沼さんが、犯人から逃れようと必死で逃げ、力尽きたことを物語っている。
 上部両脇に光る黄色のライトだけが頼りなく中を照らしていたトンネルには、車道両側に人が一人すれ違える程度の狭い歩道がある。車道よりも1メートルほど高くなっており、もし前から不審者が近づいてきた場合、横の車道に逃げることは難しい。
 誰が黒沼さんを殺害したのか。
 県警は昨年9月までに述べ2万4000人の捜査員を投入し、1万5000世帯に聞き込みを行なった。それでも容疑者検挙には至らず、三億円事件や世田谷一家殺害事件のように『梶ケ谷通り魔事件』(以下、梶ケ谷事件)もこのまま未解決かと思われかけていた。
 ところが昨年10月、事件は急展開する。冒頭の男が、梶ケ谷事件の容疑者として逮捕されたのだ。男の名は鈴木洋一(ルビ・ひろかず)(37)。別件の殺人未遂事件で黒羽刑務所に服役中の一昨年1月、犯行をほのめかす葉書を宮前署に送り、任意での事情聴取が進められていたのだった。
 鈴木は神奈川県川崎市に住むタクシー運転手の父と、長崎県出身の母親との間に生まれ、上に姉、下に妹がいる。地元の中学、高校を卒業後、いくつかのしごとを転々とし、23歳の頃に結婚。殺人未遂事件で逮捕された26歳当時は、元妻と2歳の長男、1歳の次男との4人暮らしだった。家族に暴力を振るっていたという父親は、鈴木が学生の頃にくも膜下出血で倒れ、現在は施設で暮らしている。
 再逮捕された10月10日は鈴木の仮釈放予定日だった。出所直前の殺人事件の告白は、出所も叶わぬばかりか、再びの服役生活が待っている。窃盗犯が余罪として他の盗みを告白するのとは話が違う。県警の捜査は続いていたが迷宮入りとなりかけていた。黙っていればそのまま出所できたのだ。

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