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8月32日(10)

「残念ですが、旦那様は先ほど病院で息を引き取りました」
 鳥飼という刑事が静かに言った。
「そうですか」
 私は病院のベッドに寝たまま、かすれた声で答えた。
「旦那様と奥様が寝ているところに、旦那様を出刃包丁で何度も刺したみたいですね」
「途中で起きましたから、翔太がやったところは私も見ています」
 鳥飼刑事がかすかに頷いてから、訊ねた。
「いつから翔太君が人とは違った性質を持っていることに気づいていましたか?」
 あの子には思いやりや愛情という感情が微塵もなかった。自己中心的で善悪の区別がまったくつかない、いわゆるサイコパスだとわかったのは、翔太がまだ小さいころだった。
「物心がつく頃です。4歳になった翔太がハサミを持って夫を刺そうとしたあと、『僕はいつかお父さんとお母さんを殺したいんだ』とニコニコ笑いながら言ったときに、はっきりと他の子とは違うことを感じました」
「どうして翔太君をそのままにしておいたんですか?」
「あの子はとてもIQの高い子でした。4歳の時点でもう小学6年生の算数の問題を解けるようになっていました。ですから、話せばいつの日かわかってくれると思って……」
 私は唇をかんだ。
「近所でも、近寄ると危険な子供と言われて、有名だったみたいですね」
「なんとか治してやろうと苦労したのですけど……」
 鳥飼刑事は大きく息を吐いた。
「どうやら翔太君は『8月32日』という日記を書いて、自分の無罪を証明するつもりだったみたいですね。あなたを殺してからバラバラにして、キャリーバッグに詰め、それをA山とはまったく違うH山の山奥に持っていくつもりだったと、さきほど自白……」
 そこまで言って鳥飼刑事は首を振った。
「いや、あれは自白ってもんじゃない。得意気に話していたというのが正確な表現でしょう」
 私は目を伏せた。あのまま私も殺されるところだったのか。
 鳥飼刑事が上目遣いに私の顔を窺った。
「それにしても、どうして翔太君の殺意に気づいたんです?」
「あの子の様子がいつもと違っていたからです。『もうずっと夏休みだったらいいのに』とも呟いていました。その様子は明らかに私たちに殺意を持っていたと確信しました。それで胸騒ぎがして、その夜は眠りが浅かったんです」
「なるほど。だから旦那さんが刺されたときに、すぐに気づくことができた、と」
「はい」
「そのあとは家から逃げ出して、110番をしたわけですね」
「はい」
「翔太君は旦那様の死体のそばにじっと立っていて、ニコニコ笑って、『あーあ、計画失敗しちゃったー。日記まで作ったのにー』と得意そうに何度も言っていたそうです。さすがに現場に駆けつけた警官もぞっとしたと話していました」
 あの子は昔からそういう恐ろしい気質を持ったモンスターだったのだ。
「9歳とはいえ、さすがに父親を殺して、無罪放免というわけにはいきませんから、翔太君は警察で保護してから、矯正施設に入ってもらうことになります。詳しい話は奥様が少し落ち着いてからにでも」
 そう言い残すと、鳥飼刑事は病室を出ていった。

(続く)

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