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8月32日(8)

 車を運転し始めてからも、お母さんはいつもと変わりないように思えた。
 でもテレビのリモコンを隠したり、謎めいたことを言ったり、いつものお母さんと違うような気がする。
 横目で運転しているお母さんの表情を窺うけど、別段変わった様子はないように思える。
 でもじっと観察していると、どことなく張りつめた空気が漂ってくるような気がする。
 僕は夏休みの8月31日までに、なにがあったのかを考えてみた。

 たしか8月30日の夜、お父さんとお母さんは大喧嘩していた。原因はよくわからなかったけど、僕のことだって言うのはわかった。
「おまえの育て方が悪いからこうなったんだ」
 とお父さんのことが聞こえたり、
「あなただって、なにもしてくれなかったじゃないの」
 とお母さんの声が聞こえたりした。
 ところが僕がリビングに行って、「どうしたの?」って聞くと、二人ともあわてて取り繕うように「なんでもない」って言っていた。
 お母さんがいろいろな物を投げつけたようで、部屋の中は滅茶苦茶になっていた。あそこまで滅茶苦茶にしておいて、なにもないわけがないとは思ったけど、僕が原因のようだったから、なにも言えなかった。
 そして8月31日を迎えた。以来お父さんの姿を見ていない。
 翌日になり、お母さんが9月1日ではなく8月32日だと言った。僕は永久に9月が来てほしくなかったから嬉しかったけど、実際に8月32日があるという話をお母さん以外から聞いていない。
 なぜか家のカレンダーもなくなっていたし、いつもはつけるカーナビもあえて消している。コンビニ弁当に書いてある消費期限の日付表示もお母さんが全部どこかに捨てている。テレビで確認しようとしても、お母さんは明らかにリモコンを隠した。
 もしかしたらお母さんは僕に本当の日付を知らせたくないのかもしれない。だとしたらなぜお母さんは僕に日付を知らせたくないのか?
 そこまで考えて、僕はある考えが頭に浮かび、ぞっとした。
 お母さんは夫婦喧嘩の果てに、お父さんを殺したんじゃないかって。
 そして、僕と無理心中するつもりで、最後の旅行に出かけたんじゃないかって。

(続く)

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