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8月32日(11)

 刑事が去ったあと、私はひそかにほくそ笑んだ。
 うまくいった。
 これで血のつながっていない翔太と、DVを繰り返す夫の両方を同時に始末できた。
 翔太は私の子供ではない。翔太が1歳の時に、夫の浩一と元妻は離婚した。
 そして翌年、私は浩一と出会って、結婚を前提に付き合うようになった。
「あいつ(元妻)が、翔太が怖いって言って、逃げ出したんだよ。まだ1歳の生まれたばかりの子供が恐ろしいわけがない。彼女はどこか心の病を患っていたのかもしれないけど」
 そのときは深くも考えずに、私は浩一に同情した。そして一人で翔太を育てている彼を見て、翔太の母親になって、支えてあげようと思った。
 ところが一緒に暮らすようになってから、浩一は豹変した。酒を飲むと暴れだして暴力をふるう。私は浩一の暴力に悩まされ、結婚したことをすぐに後悔した。
 それどころか、夫の子供の翔太が恐ろしいモンスターだったのだ。他人に対してまったく思いやりがなく、冷酷で、一度交通事故の現場で怪我で唸っている人を見て、ケタケタ笑っていたことがある。
 3歳のときには、小さな虫を殺して遊ぶようになり、小学校に上がるころには、小動物をバラバラにして遊び始めた。
「生き物を殺しちゃダメでしょ」
「なんで? 僕以外の生き物なんて虫けら以下だよ」
 と真面目な顔をして言われたときには驚いた。
 そのときになって初めて浩一の元妻の言っていた本当の意味がわかった。
 小学校4年生になってからは手がつけられなくなった。
 隙があると、刃物を持ち出し、だれかれとなく傷つけようとした。そのときにはさすがに「吉川家の子はおかしい」と近所でも有名になっていた。
 近所でも猫や子犬のバラバラ死体が頻繁に見つかるようになり、近隣住民は吉川家の子供のせいだと噂した。
 そんなおり、私は翔太のアリバイ作成のための日記を発見したのだ。
 どうやら翔太は、浩一と私を殺して、自分だけは無理心中から逃げ出したストーリーを考えていたようだった。
 そこで私は、翔太が犯行を8月31日に決行するように誘導した。宿題をやっていないと、お父さんからきつい折檻があるとか、このままだと夏休みが終わったら、あなたはお父さんに殺されるかもしれないとか、ありもしないことを翔太に吹き込んだ。
 私がそそのかすにつれ、翔太はすっかりその気になったようだった。IQが高いとはいえ、まだ小学生。ものの見事に洗脳された。
 ただ翔太が私にも殺意を持っていることはあくまで知らないふりをした。知らないふりをしたまま、相手を油断させて逃げ出そうとの魂胆だった。
 当然このことは浩一には秘密だった。これを機にDV夫と、血もつながっていない翔太と一気に決別できる。そう思ったからだ。
 私はその夜一睡もせず、翔太の様子を窺った。
 深夜になり、翔太が部屋に忍び込んできた。最初に浩一に飛び掛かり、包丁を喉元に一気に突き立てた。そのあと何度も何度も夫に包丁を突き立て、やがて夫が動かなくなりかけたのを見計らって、私はベッドから飛び起きて一目散に逃げだした。
「なんだよ、ババァ、逃げやがって。あーあ、一匹しかクリアできなかったじゃん。つまんねえのー」
 翔太ののんびりとした口調の言葉が後ろから聞こえた。
 そのあとは安全なところまで逃げて、こんなこともあるかとポケットに入れておいた携帯から110番通報した。
 周りに人が集まり、完全に安全になってから、私は心労で倒れたふうを装った。

 DVを繰り返す最低な夫だったが、浩一は資産家の息子で、この家も、彼らの財産も、全部私のもの。機を見てすべてお金に換えて逃げ出せば、さすがの翔太にも追っては来られないだろう。ゴミはまとめてゴミ箱にポイだ。
 あとは見知らぬ土地に引っ越して、お金のある限り贅沢をする。
 今回はかなりまとまったお金が入りそうだから、しばらくは大丈夫。
 もしお金がなくなったら、またお金を持っていそうな男を見つけてたぶらかせばいい。浩一が暴力をふるったのは想定外だったけど、ガキも含めてうまく2人を始末できたからよしとしよう。
 翔太がサイコパスだったから、今回は私の手を汚す必要もなかった。前回も前々回も、私は夫を虫けらのように殺してやった。だって彼らは私に奉仕するためだけに生きてきたのだから。
 これからも世の中の人間どもは、私に奉仕するためだけに存在し続けるのだ。
 当然なんの罪悪感もない。
 なぜならば、私も翔太と同じサイコパスなのだから。

(了)


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