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8月32日(4)

 部屋に戻ってから着替えながら僕は少し考えた。
 どうやら今年は8月は31日で終わりじゃないらしい。お母さんが言うには法律でそう決まったそうだ。
 休みには限りがあるから、いつかは宿題を忘れたことを言わないといけないときが来るかもしれないけど、お母さんの話によるとしばらくは大丈夫みたいだ。
 ただ「そこまで続けばいいけどね」というお母さんの言葉は少し気になった。
 でもだったらお母さんが僕を旅行に誘う理由があるわけない。つまりはしばらくは夏休みってことなんだ。
 着替えを済まして、リビングに行くと、お母さんは旅の準備を終えて待っていた。
「さあ、行くわよ」
 僕らはいつもお父さんが運転する車に乗りこんだ。
「今日はお母さんの運転よ。お父さんほどうまくないけど我慢してね」
 だんだん僕はワクワクしてきた。お父さんがいないとはいえ、僕の大好きな旅行だ。しかも行先は海岸沿いのOホテル。僕の一番好きなところだ。
 後部座席に目をやったとき、大きな荷物があることに気づいた。
「あの荷物はなに?」
 お母さんは一瞬戸惑ったような表情をしたあと、優しく微笑んだ。
「今回の旅行の着替えとか荷物よ」
「でももう一つキャリーバッグを持っていってるよね。2つも荷物があるの?」
「そうよ。今回はいろいろ準備していくのよ」
「へえ」
 何日旅行に行くんだろうなあと思った。

 車が走り出してから、僕はあることに気づいた。
「ねえ、カーナビはつけないの?」
「それがね、いつもはお父さんがやってるから、どうやって電源を入れたらいいのかがわからないの。でも行き先はいつもの場所だから、頭にバッチリ入ってるわよ」
「ちぇっ、テレビで面白い番組やってないか見たかったのに」

 お母さんの運転はお父さんほどうまくなかったけど、なんとかO市までたどり着くことができた。9月1日……あ、8月32日か。32日だから海には入れないけど、天気が良くてとても気持ちがいい。
 ホテルにチェックインして、僕とお母さんは海に出かけた。まだ休日なのに、海岸はなぜか人がまばらだった。
「まだ休日なのに、人が少ないよね」
「もうお盆を過ぎたから、海水浴シーズンは終わったんじゃない」
「たしかにそうだね」
 海に入れないとはいえ、裸足で波打ち際を歩くと、ひんやりしてとても気持ちがいい。
 僕はお母さんと鬼ごっこしたり、貝拾いをしたりして、宿題のことも忘れて楽しんだ。
 夕方になって、僕らはへとへとになってホテルに戻った。お母さんがコンビニで買ってきてくれた弁当を二人で食べた。僕も着いていくって言ったけど、「そのあいだにお風呂に入っていなさい」と言われて、部屋の中で待たされた。
 コンビニ弁当は、面倒くさがりのお母さんがわざわざ容器を準備していた。「弁当のパックじゃ味気ないでしょ」と。
「お腹が空いてるから、買ったそのままでいいよ」
 そう言ってコンビニの袋を漁ろうとしたけど、半ば強引に取り上げられ、容器に盛りつけてくれた。
 弁当を食べたら、僕は昼間の疲れもあってか、すぐに眠りについた。

(続く)

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