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8月32日(3)

 僕が頭を抱えていると、お母さんは僕の顔をまじまじと見つめた。
「翔太、あなた本当にどうかしたの?」
「どうかって?」
「だって9月なんてあるわけないじゃない」
 僕は驚いた。
「9月がない?」
「当たり前でしょ。1年は8月までって決まってるじゃない」
 僕は頭がおかしくなりそうになった。
「1年は8月まで? そんな馬鹿な」
「馬鹿なのはあなたのほう。寝ぼけるのもいい加減にして」
「じゃあ、8月32日の次は?」
 お母さんは困ったように首をひねった。
「8月33日に決まってるじゃない」
「じゃあ、その次は8月34日なの?」
 お母さんは吐息をついた。
「当然よ」
「じゃあ、8月35日、8月36日、8月37日……って、ずっと続くの?」
「そこまで続けばいいけどね」
「どういう意味?」
「そういう意味。そんなことより、翔太、今日はお母さんと旅行に出かけない? もうホテルは予約してあるの。あなたの好きな海の見えるO市のホテルよ」
 ここで僕は考えた。どうやらお母さんは宿題をやっていない僕に罰を与えようとして突拍子のないことを言っているのではなさそうだ。お母さんの表情は、どちらかというと、いつもより優しく見える。
 それにお母さんは僕のことを本当に心配しているようだ。だとしたら、お母さんがおかしなことを言っているのではなく、本当に8月はずっと続くようになったのかもしれない。だからダイニングやリビングにはカレンダーがかかっていないのだ。
「もしかして8月がずっと続くって、法律で決まったの?」
 お母さんは僕の頭を撫でた。
「そうよ。ずっと前に翔太には言ったでしょ」
 僕はやっと合点がいった。つまり、今年からは8月は長くなったのだ。だから今日は8月32日で、夏休みはまだ続いているのだ。
 お母さんは僕の顔を覗き込んだ。
「どうするの? 旅行に行くの、行かないの?」
「もちろん行くよ。でもお父さんは出張なんだよね?」
「そう。だから今回は二人で旅行するの」
「車は? お母さん運転できたっけ?」
「いちおう免許は持ってるわよ。お父さん程運転は上手じゃないけどね。そんなに遠い場所じゃないから、車で行きましょ」
「うん。今から旅行の準備をしてくる」
 僕はいそいそと部屋に向かった。

(続く)

小説が面白いと思ったら、スキしてもらえれば嬉しいです。 講談社から「虫とりのうた」、「赤い蟷螂」、「幼虫旅館」が出版されているので、もしよろしければ! (怖い話です)