「つながる」感覚、問題をぶら下げる

学校の先生をしています。

人は生きていると、色々な場面や文脈と直面する。それに合わせて、自分の振る舞いを微妙に調整する。
ただ、切り替えながらも、それをしているのは1人の人間である、という意識が同時にある。
勉強している自分も、読む自分も、書く自分も、遊ぶ自分も、1人の自分なのである。

勉強や普段の生活で得た考え方が、仕事や他の場面で生きてくる可能性がある。私はその時の嬉しい感覚を、「つながる」と表現している。
生徒にも、勉強や普段の生活で得た考え方が部活などの他の場面で生きてくる可能性があるんだよ、なんて話をする。

例えば、私は音楽が好きでたまにCDを買う。ひとしきり楽しんだあと、歌詞カードの最後にあるクレジット(参加した演奏家などの名前が載っている)を見る。
一つひとつはなんてことのない、ただの情報で、「この曲のドラムはこういう名前の人が演奏しているのかー」という程度のものだ。
しかし、いくつもCDを見ていると、「あれ、この人ってどこかで見たぞ」となってくる。するととたんに、ただの名前だけの存在だったものが生きた人として感じられ、実際の音楽の聴き方も変わってくるのである。まさに「つながった」瞬間だ。
 ほかにも、部活で得た集中の方法を勉強の際にもやってみると捗った…とか、「つながる」瞬間はふとした時に得られたりするのである。意識していると、どんどんつながっていく。面白い。

「つながる」瞬間を多く得るためには、「色々な事柄を頭にぶら下げておくこと」が大切なのではないか、と考える。
大学に入学した直後、とある教授から、「そう遠くないうちに、すぐ解決しない問題に直面すると思います。そんな時はそれを頭にぶら下げておいて、然るべき時を待ちましょう。」というような話を頂いた。
「ぶら下げる」とは、問題からいったん距離をおいて、考えるともなく考えるということだ。そして、ふと思い出した時に、またそれを解凍して考える、ということだ。
問題が「つながる」までは、「これ、何かにつなげられないかな~」と思い続ける。何かの拍子に突然、その問題と目が合う。解決策があって、それに問題を合わせるような、不思議な感覚がある。
そして、その感覚が一回つかめると、当座の問題と距離を置くということができるようになってくる。
仕事においても、そんな「つながる」感覚が提供できないかと、アンテナの感度を高く張っている。

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