諦めと決意(集中力のための)

 高校教員です。

 相変わらず学校は忙しくしている。臨時休校が明けたと思ったら、今度は成績などの評価をつけるための考査が設定され、その考査のための授業がどんどん入ってくる。マスクもしているし、ゆっくり息をする暇もない。

 考査のための準備として、生徒にはそれぞれ学習計画を立ててもらった。計画の立て方として、①「毎日帰宅後すぐ単語を10個インプットする」というくらい具体的に計画する、②「計画が立ち行かない可能性=与件」を洗い出し予め対策を立てる、③スマートフォンを使わない時間帯を周囲に宣言する、などを提案した。計画を立て、実行し、振り返る。

 その中で考えたことを、手紙にして配った。それは以下の通り。

 皆さんの忙しさを眺めながら、「自分が高校生の時はどうだったかな…」と思い返します。皆さんと違うところは何もない、どこにでもいる高校生。とことん普通でした。普通の、劣等生でした。
 毎日部活をして、家に帰って何もせず、学習計画も上手く立てられず、直前になって焦って勉強を始める。前日夜遅くまで知識を詰め込み(布団にものをばらまき寝られないようにしたりもした)、ぎりぎりの成績を取りながら、なんとか単位を取得するという3年間でした。そして、「次こそはもっと早く準備を始めよう」と決意するのですが、結局また同じことを繰り返すのでした。

 人はどうして、直前にならないと動き出せないのでしょうか。理由は色々あると思うのですが、私は「可能性がありすぎると人は動けない(もしくは無駄な動きをしてしまう)」ということが原因なのではないかなと分析します。

 皆さんは今、十代後半。どんな将来を描くか、可能性は限りなく無限です。ある程度どんな仕事にだって就けるし、どんな性格の人間にもなれると思います。しかし、可能性があるからこそ迷うし、具体的に「○○を優先して勉強しよう」とか「日頃○○をしよう」という行動が決められません。多様な可能性があることは素晴らしいことです。ただその反面、迷いも生じやすいという側面は、知っておいてもいいと思います。
 逆に、「自分にはこれしかできないのだな」「これをするしかないのだな」と自分で判断すると、可能性は狭まるものの、「やるべきこと」は明確になります。可能性を狭めることは「諦め」とも言えますが、ある意味では「決意」とも言えます。私は、大学3年の辺りで、「教員になるなあ」と明確に考え始めました(「なりたいなあ」ではなく「なるなあ」です)。そこからはあまり迷わず行動できた気がします。苦手な勉強も、充実感をもってやることができました。
 むやみやたらに自分の可能性を狭めることが良いことだとは言いませんが、「可能性と集中力の反比例的な関係性」のことは、知っていても良い気がします。

 考査の勉強も同じかもしれません。考査3週間前は、今勉強をしなくても後でやれば点数が上がる可能性がある。しかし考査前日は、今やらないと点数が上がる可能性はほぼゼロです。そういう「今やるしかないのだよなあ…」という諦めと決意が、人を一夜漬けに向かわせるのです、多分。
 と、そんなことを考えると、「超具体的に計画を立てる」というのは、「他の行動を取る可能性」を無理やり削る行為と言えるのかもしれませんね。

 …話は戻ります。
 私も、皆さんと同じでした。おそらくもっと年上の人達も、そうだったのではないかと思います。皆さんの気持ちや焦りは、ある程度分かるつもりです。ただ、「俺もそうだった、だから皆も同じで大丈夫だよ」と言いたいわけではありません。私もそうだったからこそ、それを越えていってもらいたいです。
 そのために、計画の立て方のコツなどを私も学んで、これからもお伝えしたいと思うのです。
 良い計画、良い行動、良い結果、良い成績になるように、応援しております。


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